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2026.08.16
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カテゴリ:芸能・エンタメ


 今回は、社会学者・太田省一さんが、アイドルグループ・SPEEDについて書いた記事を取り上げます。

あの頃の人気は、凄かったですよね。



 平成を代表するアイドルとは、誰を指すのか。社会学者の太田省一さんは「平成のテレビ番組から生まれたアイドルという意味では、SPEEDがあげられる。彼女らを後世に残るグループにした背景には、デビュー前のひと悶着があった」という――。

■平均年齢13.5歳のグループに熱狂した平成
今年8月でSPEEDがデビュー30周年を迎える。1990年代彗星のように現れ、デビューから大ヒットを連発して一世を風靡した4人だが、いまはそれぞれの道を歩んでいる。ただそうしたなか、島袋寛子が大型音楽特番に久々に登場し、変わらない姿を見せてくれた。彼女たちの魅力、そして新しさはどこにあったのか? ここで改めて探ってみたい。

最近、島袋寛子がTBS『音楽の日2026』とテレビ東京『テレ東音楽祭 2026夏』に出演した。

SPEEDの曲をTBSで歌うのは16年ぶり、テレビ東京については何と28年ぶりとのこと。前者では「ALL MY TRUE LOVE」「Body&Soul」の2曲、後者では「Body&Soul」から始まり、「Go! Go! Heaven」「Wake Me Up!」「STEADY」の4曲を披露した。

いずれも大ヒット曲で、しかも発売されたのが1996年のデビューから1998年までというきわめて短期間だったことが当時の爆発的な人気を物語る。寛子のあのハイトーンのボーカルも変わっていなかった。

SPEEDは、島袋寛子、今井絵理子、上原多香子、新垣仁絵(現・HITOE)の4人グループ。デビュー時の平均年齢は13.5歳で、寛子と絵理子はともに12歳。1984年生まれの寛子に至ってはまだ小学生だった。低年齢のアイドルは他にもいたが、そのなかでも若く世間を驚かせた。

デビュー曲「Body&Soul」がいきなり60万枚超を売り上げるヒット。以降の曲もすべて大ヒットを記録した。先ほどあげたもの以外にも「my graduation」がミリオン、「White Love」がダブルミリオンといった凄まじさである(いずれもオリコン調べ)。

■あえて「小室ファミリー」の逆を行く
これらの楽曲すべての作詞・作曲、プロデュースをしたのが伊秩弘将(いぢち ひろまさ)である。

1990年代当時、小室サウンドが一世を風靡していた。クラブカルチャーが全盛期を迎え、ユーロビートが巷に流れていた時代である。小室哲哉はそのトレンドをリードする存在であり、プロデュースしたTRF、globe、安室奈美恵、華原朋美ら小室ファミリーがヒット曲を連発。その基本は、コンピュータへの打ち込みによる電子音楽であった。

それに伊秩はあえて逆行した。

デビュー曲の方向性について、最初伊秩は迷っていた。だが4人のレッスンを見て、彼女たちからほとばしるスピリットに魅せられた。そしてそれに合った音楽として、ユーロビートとは違う、生バンドによるソウルミュージックをベースにした曲にすることに決める。それが「Body&Soul」だった(『Cocotame』2018年9月6日付け記事)。

歌詞でも、若い4人が発散するエネルギーを強調した。「Body&Soul 太陽浴びて Body&Soul 踊り出そうよ」というおなじみのサビのフレーズからは、さんさんと輝く太陽の下で弾ける4人の姿が思い浮かぶ。寛子と絵理子のボーカルをあえてハモリにせず、ユニゾンで力強さを強調したのも同じ意図から来たものだった(同記事)

■最初は2人組の予定だった
そんなSPEEDの持つエネルギーは、全員が沖縄出身ということとも無関係ではないだろう。その4人が幼い頃からレッスンを積んだのが、沖縄アクターズスクール(以下、スクール)である。

スクール設立者はマキノ正幸。そこからマキノは多くの才能を世に送り出した。

たとえば、「その少女は、他の子どもたちとまったく違っていた。ふっと身体を揺らすだけで、もう違う」とマキノが天賦の才に驚嘆したのは安室奈美恵である。当時10歳だった。だがそれにもかかわらず、安室は難しいことを教えてもすぐその場でできてしまったという(マキノ正幸『才能』)。

スクールからは、ほかにもMAX、知念里奈、DA PUMP、さらに三浦大知と満島ひかりが所属していたFolderなど、多くの才能が発掘された。

そしてそのなかにSPEEDになる4人もいた。

実は最初、マキノは寛子と絵理子の2人組でデビューさせようとしていた。

寛子は4歳のときからスクールに通っていた。そのときから歌も踊りもメリハリがあり、群を抜く存在だった。幼いにもかかわらず腰が据わっていて、演技でも大成するのではないかとマキノは思っていた(同書)。

絵理子のほうは6歳のときにスクールに入ってきた。こちらも幼くしてすでに実力を認められる存在。コンテストやオーディションでは、後にMAXのメンバーになるミーナ(天久美奈子)といつも優勝を争っていた(同書)。

■大ヒットグループをつくった役割分担
寛子も絵理子もミュージカルの舞台などで場数を踏み、経験も十分。だからこの2人を組ませればいけるとマキノは踏んだわけである。ところが、当時安室奈美恵が所属していた縁もあり、マネジメントを依頼したライジングプロダクションが難色を示した。そこでマキノは新たにスクール生だった上原多香子と新垣仁絵を推薦。結局、4人組でのデビューとなった。

このように、デビューまでにスムーズにいかない面もあった。だがこの追加によって生まれた役割分担が、SPEEDが後世に残るグループになる道を拓くことになる。

当時を思い出してもらえばわかるように、4人の役割は完全に2つに分かれている。寛子と絵理子がメインボーカル。そして多香子と仁絵がダンス&コーラスでダンスがメイン。わかりやすく言えば、歌うのは寛子と絵理子で、踊るのは多香子と仁絵である。

これによって、SPEEDならではの唯一無二のパフォーマンスが生まれた。誰もが思わず聴き入るハイトーンで伸びやかなボーカル、そして日本人にはまだ珍しかったヒップホップをベースにしたハイレベルなダンス(特に仁絵はそれを得意にしていた)の絶妙な融合である。

■「沖縄チャキチャキ娘」「ハブとマングース」
そしてSPEEDは、テレビから生まれたグループでもあった。

デビュー前の4人が出演していたのが『THE夜もヒッパレ』(日本テレビ系、1995年放送開始。以下、『ヒッパレ』)である。三宅裕司が司会の音楽バラエティ番組。ベストテンに入ったヒット曲を本人ではなく別の意外な芸能人が歌う趣向で人気を博した。

そもそも「SPEED」というグループ名も、この『ヒッパレ』で公募して決まったものである。沖縄に由来する「琉球ガールズ」、さらには「ハブとマングース」という珍妙な候補まであったが、最終的に「沖縄チャキチャキ娘」との争いになり、若さや疾走感をイメージさせる「SPEED」に決まった。

山口百恵やピンク・レディーを生んだ1970年代のオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)のことを思い出すまでもなく、アイドルはテレビと切っても切り離せないものだった。家庭でテレビを見ることが多い視聴者が芸能人に求めるのは親近感。それを歌手の世界で体現したのがアイドルだった。

特に『ヒッパレ』は音楽番組と言ってもかしこまったものではなく、カラオケ番組やバラエティ番組の色も濃く、いっそう親近感を高めてくれる内容になっていた。そのなかでまだ子どもの年齢のSPEEDの4人は、必然的にお茶の間のアイドルになった。

■テレビ発としてはほぼ最後のアイドル
SPEEDが彗星のように登場した同じ1990年代後半には、テレビ東京のオーディション番組『ASAYAN』からモーニング娘。(1998年1月デビュー)も誕生している。テレビとアイドルの結びつきは健在だった。

ただ振り返ってみれば、ちょうどこの頃が、テレビからアイドルが生まれる時代の終わりになった。2000年代中盤にAKB48が誕生。テレビではなく劇場公演中心の活動から大ブレイクするという新たなパターンが生まれた。その意味で、SPEEDはテレビ発としてはほぼ最後のアイドルと言えるだろう。

SPEEDは2000年に解散を発表。その後日本テレビの『24時間テレビ』などをきっかけに何度か再結成したものの、現在は活動休止状態にある。4人はそれぞれの道を歩んでいる。

島袋寛子は唯一芸能活動を続け、近年は俳優としての活動も目立つ。むろん歌手活動も続けていて、SPEEDの楽曲だけで構成されたライブを今年開催予定だ。

今井絵理子もソロで歌手活動を続けていたが、2016年に参議院選挙比例区に自由民主党公認で出馬。当選以来、現在もその職にある。

上原多香子と新垣仁絵は、ともに表舞台には登場していない。多香子は俳優や歌手として活動していたが、その後美容家に転身した。仁絵のほうは2013年にライジングプロダクションを退所してフリーに。その後は得意のイラストの作品を目にすることなどはあるが、表立った芸能活動はしていないようだ。

■解散後の波乱万丈
こうした過程で紆余曲折もあった。寛子、絵理子は離婚を経験、多香子は夫と死別の後に再婚。さらに絵理子と多香子については不倫報道もあった。外側から事情はわからないが、平穏だったとは言い難そうな様子がうかがえる。

一方で、デビュー30周年という節目でもあり、SPEEDの功績を忘れてはならないだろう。アイドルかアーティストかという既成概念に収まらず、歌やダンスの高い能力を持ったアイドルグループが主流になる現在の先駆けになったのがSPEEDだった。

2022年に開かれた沖縄本土復帰50周年を記念するライブイベント「沖縄アクターズスクール大復活祭」では、寛子、絵理子、多香子の3人が登場して「Body&Soul」を披露するサプライズがあり、ファンを喜ばせた。

まだ全員が40代。簡単な話ではないだろうが、いつか4人揃ってのパフォーマンスを見られる日が来るのを待ちたい。

引用
デビュー曲が60万枚のヒット→離婚、死別、不倫報道まで…「テレビが生んだ最後のアイドル」だった4人組の現在|Infoseekニュース
平成を代表するアイドルとは、誰を指すのか。社会学者の太田省一さんは「平成のテレビ番組から生まれたアイドルという意味では、SPEEDがあげられる。彼女らを後世に残るグループにした背景には、デビュー前のひと悶着があった」という――。■平均年齢13.5歳のグループに熱狂した平成今年8月でSPEEDがデビュ…



 当時、SPEEDの人気は凄まじかっただけに、突然の解散は衝撃的でしたね。
 再結成はあるのかな?

懐かしのPVが見たい人は、是非購入してください。






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最終更新日  2026.08.16 17:50:49
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