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奇改屋のチラ裏雑記

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2019年08月14日
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テーマ:徒然日記(22702)
カテゴリ:一期一会



米軍による「京橋大空襲」から14日で74年を迎えた。
そう終戦の前日、終戦が決まっている状態での空襲。
これが戦争で、これが人種差別なのだ。

京橋大空襲は1945年3月から始まった大阪大空襲の8回目。
爆撃機B29の編隊が、大阪城東側にあった
大阪砲兵工廠(こうしょう)を集中爆撃した際、
近くの京橋駅にも1トン爆弾を数発落とした。
500~600人が犠牲になったとされる。


当時、女学生として「学徒動員」された
山崎稲子さん の証言から以下に抜粋する。


京橋駅の空襲は、終戦の前の日のことでした。
それでも、当時の私は、
まさか戦争が明日に終わるなんて知らないです。
ところが、空襲がやんでしばらくして、
アメリカ軍機が飛んできて、
「空襲は今日で終わりです」
と書かれた紙を壊滅した京橋駅の上空からバラまきました。
きれいな毛筆で、白い短冊のような紙に書かれていました。
それが何を意味するのか分からないまま、
手にとって読んでいると、大人の男性が来て、
「そんな物を持っていてはいけない」
と言って取り上げました。


今さらながら、原爆投下も人体実験だったことは周知の事実。
この令和の時代「原爆投下が戦争を早く終わらせるため」と
信じている人は少ないと思うケド、いちおう簡単に。。

米国空軍のカーティス・ルメイ将軍は、
「戦争は、本来、ロシアの侵入なしで、
そして、原子爆弾なしで2週間で終わっていました。
原子爆弾は、全く戦争の終わりと、
関係がありませんでした。」と言ってます。
カーター・クラーク准将は、
「我々は、ますます多くの商船を沈め、
日本人をますますひどい飢餓に陥れていた。
このことだけでも、
彼らに卑屈な屈服を強いることができた。
我々はそれ(原爆投下)を行う必要がなかった。
我々は、それを行う必要がないということを知っていた。
それでも、我々は日本人を2発の原爆の実験のために利用した。」
と言っている。
最終的に原爆投下の候補地になったのは、
広島、京都、新潟、小倉の4都市でした。
日本軍の戦闘機が緊急発進してきたため、
小倉への原爆投下を断念して長崎に切り替えました。
小倉に原爆投下ができない場合には、
長崎に投下することがあらかじめ決められていました。
広島の原爆投下では約14万人、長崎では約7万4千人が
死亡しました。広島や長崎で死亡したのは、
ほとんどが戦闘員ではなく一般市民でした。
戦争を早く終わらせるためであれば、
広島への原爆投下で原爆の威力は十分に
日本に伝わったのですから、
原爆投下は1回でよかったはずです。
タイプの異なる原爆を落としたのは、
2種類の原爆が兵器としての殺傷能力や
都市に与える被害の効果を見るためでした。


大阪京橋への空襲は、事実として必要はなく、
ただ米軍が余った爆弾を落としたという、
人間の狂気だ。前述の原爆の件は、
元々ドイツには使うつもりもなく、
黄色人種への差別があったことは否定できまい。
アメリカを許すことなどできるはずはない。




大阪戦争モノ語り 街かどの「戦跡」をたずねて [ 森田敏彦 ]





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最終更新日  2019年08月15日 06時50分08秒
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