ジョーカー と楽園 狂人は何故生まれるのか
「犯罪を犯す人たちも、それぞれが差別の中で生きてきて、ボタンのかけ違いのように犯罪の世界に追い込まれていく。みんなが実は楽園みたいなものを目指そうとしてたのではないかと思い、『楽園』というタイトルをつけました」瀬々監督の言葉である。ジョーカーのアーサー・フレックと、楽園の中村豪士の共通点は、狂気が生まれべくして生まれたモノ。差別、貧困の中で、狂気にとらわれていく。在日外国人、母子家庭、偏見で片付けられない。生まれ落ちた直後から環境が精神を蝕んでいく。怒りを卑屈な涙混じりの笑いに変え狂っていく。限界集落の住民圧力で、パニックになった豪士は、狂気のうちに滅びてゆく。アーサーは女性に絡んでいたウェイン産業の証券マンたちに暴行され、彼らを拳銃で射殺してしまう。現場から逃走したアーサーは、言い知れぬ高揚感に満たされる。確かに豪士は、外国人だというだけで差別され、理不尽な扱いを受けているが、、結局はそれによってとっくに壊れていた。失跡した愛華ちゃんは、12年後東京に現れたというシーンは紡の妄想で、あの時、豪士に殺害されていた。「遊んでくれる人、いないの?」帰り道でつくったシロツメクサの花冠を、豪士の頭にのせる。「バイバイ」手を振って去っていく愛華ちゃんを目で追うと、豪士は立ち上がった。頭から花冠が落ちる。小さく白い花を踏みつけて、豪士は愛華ちゃんのあとを追った。ピエロの扮装のまま地下鉄に乗ったアーサーは、同じ車両内で女性をからかう3人のビジネスマンに気づく。絡まれている女性はアーサーに助けを求めるが。アーサーは発作の笑いが起きて、ビジネスマンに目をつけられてしまい。アーサーは¥袋叩きに遭い、発作的に持っていた拳銃でビジネスマン3人を射殺してしまった。アーサーは殺人の後に汚れた公衆便所の中で法悦の表情で踊る。アーサーも豪士も母子家庭で育っている。母親が作り出した怪物ということか。【山口母親殺害事件・大阪姉妹殺害事件】の山地悠紀夫死刑囚は、、もう書くのが嫌になった。そりゃ環境のせいにしてはいけないと、そこそこの環境下で暮らし安全地帯から、上から目線で語る人には解らない。アーサーも豪士も置かれた環境の中で、足掻いた・・・いや耐えただけだが。結局、人として生きることができなくなった。 Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.死んでしまったらそれは喜劇。犯罪小説集 (角川文庫) [ 吉田 修一 ]yui‐itsu 小倉唯パーソナルブック