パールハーバーでトラトラトラや!(6) バウフィンパークの屋外展示物
今日は久しぶりに昔の上司とラーメンを食べ歩きました。本日は九段の斑鳩を初めとして市ヶ谷方面で3軒を征きました。うー、三杯はつらい…。さて、続きです。アリゾナメモリアルビジターセンターの隣のバウフィンパークに参りました。先ずは入り口でございます。 入るといきなりミサイルです。合衆国海軍が有する最も強力な兵器でございます。手前はポラリスA3ミサイルです。奥がポラリスA1ミサイルでございます。今からでは信じられないかもしれませんが、第二次世界大戦後に米国海軍は存在意義を問われた時代がありました。昭和20年8月6日の広島への核攻撃以降、核による抑止力が世界の軍事バランスのベースになりました。朝鮮戦争から冷戦初期には、戦略爆撃機と核爆弾のみで超大国のパワーバランスが保たれると考えられた時代があったのです。核兵器の前には空母機動部隊など無力であると。このような考え方の下、空軍(当初は戦略爆撃機+核爆弾、後には地上発射型の大陸間弾道弾を持つ軍種)への予算の集中が始まります。海軍は、核兵器時代にどのように役に立つか、という課題を突きつけられます。艦載機に核兵器を積むだけでは戦略爆撃機には敵いません。そこで、潜水艦に戦略ミサイルを積めば良いというアイディアが出てきます。しかし、中々うまくいきません。最初に登場した潜水艦搭載型のミサイルです。レギュラスという名前です。残念ながら弾道弾を潜水艦に積む技術がまだ登場せず、無人飛行機のようなミサイルです。発射に時間がかかり、なかなか効果的な抑止力になりません。海軍は努力を重ね、漸くのこと、ポラリスを開発し、潜水艦発射の本格的な核ミサイルを保持できるようになりました。超大国同士の抑止力は、核兵器搭載戦略爆撃機・地上発射の大陸間弾道弾・潜水艦発射の大陸間弾道弾があるわけですが、潜水艦発射のものは最も生残性の高い報復攻撃手段の地位を占めます。こうして、米海軍は再び確固たる地位を占めるに至りました。潜水艦公園の入り口の最初に目に入る位置にポラリスミサイルが展示されるのもむべなるかなでございます。こちらは第二次大戦塩魚雷でございます。我が国の「マルシップ」多数を撃沈した魚雷でございます。沖縄本島からの学童疎開の児童千人近くを載せ、この公園に展示されているバウフィン号に撃沈された対馬丸も、この魚雷で沈められたのでした。沖縄の児童に合掌…。余談ですが、対馬丸の撃沈で、沖縄本島では疎開する方が危険と言う雰囲気が高まり、本土への児童疎開は進まなくなりました。そして運命の昭和20年4月を迎えます。訓練に使われたらしい、司令室と潜望鏡です。我が軍が使用した特殊潜航艇(ひょっとして回天?)みたいです。現在の海上打撃戦力の主力兵装のハーブーンミサイルです。我が国海上自衛隊の艦船も多数装備しています。屋外展示はこんな感じでした。次回はバウフィン本体の内部をご紹介いたします。【本日の成果】なし。【資料:バウフィンが沈めた我が国の艦船】25 Sep 1943 Kirishima Maru Passenger-Cargo 26 Nov 1943 Ogurasan Maru Tanker 26 Nov 1943 Tainan Maru Cargo 26 Nov 1943 Beryl (Vichy French) Passenger-Cargo 27 Nov 1943 Van Vollenhoven (Vichy French) Cargo 28 Nov 1943 Tonan Maru Tanker 28 Nov 1943 Sydney Maru Passenger-Cargo 17 Jan 1944 Shoyo Maru Cargo 10 Mar 1944 Tsukikawa Maru Cargo 24 Mar 1944 Bengal Maru Cargo 5,39924 Mar 1944 Shinkyo Maru Transport 2,67214 May 1944 Miyama Maru* Cargo 10 Aug 1944 Seiyo Maru Transport 22 Aug 1944 Tsushima Maru Passenger-Cargo 4 Sept 1944 Hinode Maru #6 Picket 16 Feb 1945 Coast Defense Vessel No. 56 Frigate 17 Feb 1945 Nanshin Maru #28 Picket Boat 2 Mar 1945 Chokai Maru Picket Boat 4 Mar 1945 Fukuyu Maru #1 Picket Boat 1 May 1945 Chowa Maru Passenger-Cargo 8 May 1945 Daito Maru No. 3 Fishing Vessel 11 Jun 1945 Shinyo Maru No. 3 Passenger-Cargo 13 Jun 1945 Akiura Maru Cargo 我が国商船乗組員及び乗客の霊に合掌。