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七詩さんのHP

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2022年05月22日
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カテゴリ:想い出
この間、久しぶりに新宿西口に行ってきた。
高層ビル群に向かう通路には動く歩道ができ、待ち合わせ場所として設置されたオブジェ「新宿の目」が消えていて、待ち合わせに使われている様子もなかった。ネットで検索すると2019年に何者かに壊され、その後修復されたとあるので、目が消えていたのは一時的だったのかもしれない。
ところで、この西口広場…その昔フォークゲリラなるものが出没していたことを記憶している人がどのくらいいるのだろうか。
1969年ごろだったか、あの西口にフォークゲリラが現れ、歌を歌うといつのまにか多くの人が集まって声を合わせて歌いだす。そうすると機動隊がどこからともなくやってきて「ここはひろばではありません~通路です~」と拡声器で呼びかけて群衆の解散を促す。そんな情景だったかと思う。
フォークゲリラの中からも、いくつか人気曲が生まれたし、「友よ」なんかはきっと今でもどっかで歌われているのだが、個人的に一番印象的だったのは「橋を作ったのはこの俺だ」という高石友也の歌う曲だった。これは調べてみるとアメリカに原曲があり、それをいちはやく日本に紹介したのが高石氏であったというわけである。
https://www.youtube.com/watch?v=p-0-cbWaHt4
https://www.youtube.com/watch?v=cF04JStqhgc
強いこの腕と体(原曲では肩と背中)で橋を作ったのは俺たちだ…というフレーズは好きだったのだが、実際には「強い腕と体」だけで橋がかかるわけではない。いや、それどころか、「強い腕と体」のかわりはいくらでもいる。足りなければ外国から調達すればよい…なんて声もどっかから聞こえてきそうである。
働く者の誇り、働く者の喜び、そして歌の最後でみんなで声をあわせて「この国を作るのは俺たちだ」と声を合わせたときの高揚感。今では想像にしくいのかもしれない。






最終更新日  2022年05月22日 10時29分29秒
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2022年05月19日
テーマ:ニュース(97580)
カテゴリ:事件・犯罪
4630万を誤送金された男は全額をネットカジノで使ったと言っているが、にわかに信じがたい話だ。多少の期間、自由が束縛されるのは覚悟の上で、大金を隠しているとしか思えない。少しずつ返す…と本人は言っているらしいが、仮に10万を月々返すとしても、462月、38年以上かかるし、実際に今後受ける給与の範囲内で返すとしたら10万どころか1万も難しいだろう。刑事裁判などで被告人が少しずつでも今後賠償していきたい…と言って反省のそぶりを見せることがあるというが、現実にそんな賠償が長い年月履行されるなんてことはほとんどないのではないか。
刑事裁判になったら涙ながらにこれから少しずつ返すと言い、実際に数万円払ったりもして見せ、短期の身柄拘束ですめば、その後は外国にでも行き、大金を使う。それでも誤送金前の人生に比べれば夢のようなものだし、それができれば男の勝ちだろう。使ったというにはあまりにも手際がよすぎるし、男の近くには金の匂いでやってきた知恵モノや指南役がいるのかもしれない。

さる有名な方のインタビューをまとめた本が話題となっている。本の現物は読んでいないのだが、憲法24条があるので娘の結婚には反対しなかったという箇所に違和感を感じる。成人の男女は本人同士の意思で婚姻できるというのが憲法24条であり、親が子供の幸福を願う立場で子供の結婚に反対も含めて意見を言ったり忠告したりすることは憲法24条とは無関係だろう。娘の結婚に反対しない理由として憲法24条を持ち出してくるのは初めて聞いた。
「お父さん、私、この前、お父さんにも紹介した○○さんと結婚したいの」
「反対しないよ」
「○○さん、いまのところ仕事もしていないし、何千万も借金があるの。それでも反対しない?」
「うん、お父さんは公務員なので憲法順守義務があるし、憲法24条には婚姻は両性の合意で成立とあるので、反対できないのだよ」






最終更新日  2022年05月20日 08時06分41秒
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2022年05月18日
テーマ:ニュース(97580)
カテゴリ:事件・犯罪
4630万円の誤送金が世間の話題になっている。
この若者の立場になっていろいろと考えてみる。
町はさっそく訴訟をおこしたようだが、100%の確率で勝訴するだろう。悪意の不当利得なので、ギャンブルに使おうが何しようが額面に弁護士費用をつけて返さなければならない。ただそうした勝訴判決と実際に金が戻るかはあくまでも別である。勝訴判決≒画餅というのもあるわけだ。自動車や不動産など資産価値があるものがあればそれを差し押さえればよい。そんなものは当然ないとなれば預金なのだが、預金を差し押さえるためには銀行と口座がまずわからなければならない。これがなかなか難しい。ましてや金塊や宝石に変えてどっかに隠したとなると差押えは困難を極める。警察は基本民事不介入なのでなおさらである。
次に誤送金された若者が刑事事件に問われる可能性である。これはいろいろな人がいろいろなことを言っているが、それはつまり決め手がないということでもある。もっとも刑事事件になるかどうかを決めるのは警察や検察であるので、国家はあらゆる法令解釈を動員して刑事事件にするかもしれないが、どのみち重罪にはできないだろう。
町が訴訟を起こしたことによって若者の氏名は全国に知られた。このことによる不利益はどうなのだろうか。普通の就職はかなり難しくなると思うが、さっそく職場を辞めたというこの若者にとってはもともとそうした就職の希望などはなかったのかもしれない。むしろ世の中にはおかしなことだが、犯罪者が本をだしたり、迷惑系ユーチューバーと称する人が有名人になっている例もある。若者もこの機会に知名度を生かして一発逆転なんて思っているのかもしれないが、そううまくいくのだろうか。さすがにそんなに甘くないと思うのだが。
もしかしたら、返金を頼みに来た役場の職員の態度が上から目線で「アタマにきた」ところがあったのかもしれない。大金をみて当然ながら心が揺らいだのかもしれない。しかしそれにしても、24歳という年齢と今後の長い人生を思うと、やはり返却せずに所在をくらましたのは、まずい選択ではなかったのか…と他人事ながらそう思う。






最終更新日  2022年05月18日 10時59分48秒
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2022年05月17日
テーマ:ニュース(97580)
カテゴリ:事件・犯罪
山梨のキャンプ場で起きた女児行方不明事件は、女児の遺体が発見されるということで区切りを迎えた。事件事故の双方で検証されることになるが、事件を主張する人は遺体発見場所が女児一人で行ける場所ではないことを根拠とする。ただ現場は自動車も通れない山道であるし、徒歩の場合、子供は身も軽く、大人なら通れないような藪の隙間もひょいひょいと通り、意外に大人よりも早く行くこともある。むしろ大人が女児を手にかけた後、遺体をもって上がる方がよほど大変ではないか。ただ、これも報道だけを見て想像するだけで、現場の様子や遺留品の状況からは、また違った側面がみえてくるのかもしれない。
そして、これも報道によるのだが、キャンプはインターネットで募った仲間での行動で、参加者相互には特に面識はなかったようである。子供同士も顔見知りでないとしたら、どうしても単独行動は起きやすく、しかも、誰かが欠けても気づくのが遅れる。これが学校や学童でのキャンプなら、すぐに○○ちゃんがいないということになるのだろうけど。
はじめて山に来た子供がものめずらしさから歩き回り、道に迷って、戻ろうとしてますますわかりにくいところに入ってしまう。山などはちょっと道を外すと大人でも戻れないのではないかと思うことがよくある。
4630万円御送金事件はいまだに送金された人の行方がわからないという状況が続いている。送金を受けて返還を拒んでいるという状況だけで、犯罪とするのは難しいのではないか。もっとも、犯罪かどうかを決めるのは、まず警察であり、何とか法令知識を総動員して犯罪にするのかもしれないが。町は送金された人物相手に返還訴訟を起こし、氏名も公表した。これで氏名も全国に明らかになった。24歳という年齢を考えれば、普通に返した方が本人のこれからにとってもよいと思うのだが、もともとは行政のミスであり、はじめから多少の迷惑料を払うことを提示していれば展開は違ったのではないかと思う。職場もとうに辞めているということなどだが、今の職場や今後の人生計画よりも眼前の4639万円が重い…という人は今は多いのだろう。
そして、万々一であるが、送金を受けた人が海外に渡航しようとした場合、止める手立てはあるのだろうか。






最終更新日  2022年05月17日 07時22分46秒
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2022年05月15日
カテゴリ:雑感
沖縄が復帰して今年で50年になるという。
沖縄については琉球という呼称もあり、本土との一体を強調する場合には沖縄、異質な点を強調する場合には琉球とよんでいるように見える。復帰前の統治機構は琉球政府であり、復帰後は沖縄県とよぶのはそのせいだろう。国立大学の名称が琉球大学なのは、琉球大学は米国統治下で設立されたものであり、戦前の沖縄には高等教育機関はなかった。
沖縄という名称について「椿説弓張月」では沖の倭国、つまり沖の方にある日本という意味だと説明した箇所があったが、学術的にはこうした説はなく、沖の方の漁場とかそんな意味が発祥だという。ただ、この沖というのは本土目線で沖という意味なので、本土目線の呼称と言えるのかもしれない。
椿説弓張月は源義家が沖縄に渡り、その子供の舜天丸(すてまる)が沖縄の王になるといういわば沖縄征服の物語であり、同じ江戸時代に書かれた国姓爺合戦が日本育ちの英雄が中国を征服するという気宇壮大な物語であるのと通じる。それ以外に、江戸時代以前の文献に沖縄が出てくることは少なく、本土の沖縄への関心はそれほどに強くなかったのではないか。
明治以降、そして戦後の沖縄復帰以降、沖縄と本土の一体化は急速に進んでいるように見えるし、様々な呼称でも沖縄が琉球を圧倒しているようにみえる。ただ、統計でみると、沖縄の所得水準は本土の他の県に比べても低いし、その割には物価は安くなく、住環境はむしろ悪い。住環境の悪さは多くの土地が基地として使用されていることも大きな要因であるし、他県に比べて圧倒的に大きい沖縄の基地負担を減らすことは急務であろう。
もっとも、基地のない平和な沖縄…という表現にはどうしても違和感がある。
基地がなければ、空から変なものが飛んでこないとでもいうのだろうか。むしろ逆なように思うのだが。あたりまえだが、ダンゴムシポーズや折り鶴、それに憲法の条文では平和は守れない。






最終更新日  2022年05月15日 18時08分32秒
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2022年05月14日
カテゴリ:読んだ本
極端に背が低く醜怪な容貌の竹職人の下に美しい女が嫁いでくる。女は父のなじみの芸妓であり、墓参りが縁となってのことであった。職人は女に幼い頃に死んだ母の面影を見ており、女に対する愛は純粋であったが、それは母に対するような思慕であり、女に触れることはなかった。職人は女に対する憧れをひたすら竹人形作りに昇華する。そこに女の過去のなじみ客が卸先の商家の番頭としてやってきて、一時の過ちで女は妊娠する。女は職人知られずに胎児をなんとか処理しようとするのだが…という物語である。
(以下ネタバレ)



論説や評論ではいいにくいことも、小説という形式をとれば、案外ストンと胸におちることがある。
胎児の処理に困った女は、最初胎児の父親である男を訪ね、つぎにおばを頼るつもりで宇治川を渡っている途中で渡し船の中で早産をする。女の様子から事情を察していたらしい船頭は手早く嬰児を宇治川に捨て、汚物の処理も行う。そして女には「あの赤子はこの世とは縁がなかったんだねえ」という。女は船頭に感謝するとともに、このことは一生夫には言うまいと決めて、夫の下に帰っていく。この時の宇治川の夕焼けの描写が素晴らしく、酷薄ななじみ客に対比して、名も知れぬ船頭は神のように見える。
一般論で言えば船頭の行為は殺人であろう。しかし、ぎりぎりの状況では道徳的に責めることができない嬰児殺もあるのではないか。ときどき嬰児殺人の記事が新聞に載り、無軌道な行為を責める論調は多いが、一方で未熟児医療の進歩で中絶可能期間はどんどん短縮され、犯罪被害などで望まない妊娠をした女性が駆け込み的に公費で中絶する機関(外国にはそうした例があるという)についての議論は遅々としてすすまない。想像力に欠けた建前論ではなにも解決しないのに。そういえば、終戦まもない頃、引揚者の施設に勤務していた看護婦の体験談で、生きて生まれた赤ん坊を処理したという話があるが、この看護婦の行為を非難する人はまずいないだろう。
女は赤ん坊を処理したことは夫には生涯秘密にすることを決めて夫の待つ家に帰っていく。これも原理主義的な考えでは、そんな重要なことを夫に言わないのは不誠実だということになる。しかし、それを言ったとして誰が幸せになるというのだろう。小説は百の論評も及ばないような人生や社会の断面を提示する。女は自分を母のように思慕してくれる夫との愛を全うするために秘密を守るのである。
物語はここで終わっても良いように思う。
その後、女は肺病で死に、夫も後を追うように亡くなるのだが、こうした薄幸な結末にせず、二人のその後は読者の想像に任せた方がよい。






最終更新日  2022年05月15日 07時31分46秒
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2022年05月12日
カテゴリ:カテゴリ未分類
映画「この世界のかたすみに」で印象的な場面がある。戦争が終わった街に米軍がやってきてチョコレートなどを子供に投げ与える。主人公達は米軍からきたソーセージやハムの入ったスープをおいしそうに食べる。こんな場面だったと思う。原子爆弾はもちろんのこと、空襲でも家族を失った人は多かっただろう。そこに米兵がやってくれば、復讐を考える人がいそうなものだけれども、米軍に対する抵抗反撃運動が起きたという話は聞かない。それはどういう経路だったから知らないが、米軍から食料が供給され、大規模な飢餓が起きなかったということがあるのかもしれない。戦争は勝つのも大変であるが、抵抗運動に悩まされずに占領を持続するのも難しい。米軍の統治が成功したのは、なによりも、米国に食糧を援助するだけの経済力があったということが大きい。逆にいえばこれほどの経済力に差異があるのに、そもそもそうした国相手に戦争を起こしたこと自体が悪手だったのだろうけど。
そしてまた、太平洋戦争では日本中が焦土になったというわけでなく、農村地帯はほぼ空襲を免れていた。そうした農村では人手不足はあったものの、春には種がまかれて、それなりの収穫があったわけであるから、それも極端な飢餓におちいるのを救ったことだろう。祖父母の家は農家であり、祖父は戦争の頃にはかなりの齢であるし、伯父はまだ若く、戦争に行った人もいないし、爆弾も農村には落ちなかった。自作農だったので、戦後の農地改革による困窮も免れた。戦争の被害は少なかった方なのだが、それでも終戦まもない頃には、「新潟にソ連軍が上陸してもうすぐこっちにやって来る」という噂があり、米俵を土蔵に隠し、娘たちはこぼれた米を掃いて隠したのがわからないようにしたという。母はそんな想い出をいかにも怖そうに話していた。






最終更新日  2022年05月12日 07時22分27秒
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2022年05月11日
カテゴリ:雑感
この頃、ヤングケアラーという言葉をよく聞く。年少の弟妹や祖母、あるいは病気の親などをみている子供や若者をいうらしい。兄妹も多く、平均寿命も短い時代には、弟妹の御守りをする子供も、病気の父母祖父母の世話をする子供も珍しくなかった。それどころかそうした世話がなくとも、家事は今より大変だったうえに、農業の手伝いや商家の子なら店番など子供の役割は、いくらでもあった。
戦後になって、家事も楽になり、家業のある家は減った反面、家族が小規模化し、問題をかかえた家庭ほど孤立しがちであるという状況がでてきたため、ヤングケアラーの問題というのがでてきたのだろう。こうした子供たちに対して、支援の動きがでてきたのはよいことであるし、こうした支援は勧めていくべきであろう。
そしてそのうえで思う。ヤングケアラーという言葉が独り歩きしていくことで、弟妹の世話をしている子や病気の親の看護をしている子、親に代わって家事を行っている子を、必要以上に「不幸な子」とか「可哀そうな子」と思うのはちょっと違う。中学生の頃、親が病気で家事を行っている子がいた。非常にしっかりした子で「偉い子」だとは思ったが「可哀そうな子」と思ったことはない。部活や友人との付き合いなど普通に中学生活を送っていたからかもしれないが、本人も自分自身については、不幸とか不運とかは思っていなかっただろう。
小さな子供ならともかく、思春期以降の人間にとって、好きなことを好きなようにやるとか欲しいものが与えられるというばかりが幸せではないだろう。自分が役に立っていると実感する幸せ、人の役に立つという幸せだってあるはずだ。家族の中で、ただ与えられているだけの中学生と、家族の一員としての役割のある中学生と、さてどちらが幸福なのかは、よくわからない。少なくとも後者の方がまともな大人になる確率は高いのではないか。弟妹を見ている子供や親の看護をしたり、家事をしたりしている子供が自分は不幸だと思い込み、幼い弟妹や病気の父母を恨むようになるとしたら、それこそ不幸だろう。






最終更新日  2022年05月11日 09時07分54秒
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2022年05月10日
カテゴリ:読んだ本
この間、登場人物の心理がよくわからない小説を読んだからというわけではないが、昔読んで登場人物の心理がどうもよくわからなかった小説を再読する気になった。「狭き門」である。信仰深い女性が清らかな愛に憧れるあまり主人公の求愛を拒み,最後は病で死んでしまう悲恋物語。かつて読んだときにはこうした観念にひっぱられて読んでいて、そして読んだ結果どうにもわからなかった。
あらためて読み返してみると、女性が死んでしまうということがなくても、おそらく二人が結ばれることはなかったのではないかと思う。初めて主人公ジェロームとヒロインのアリサが互いを意識したのは12歳と14歳のとき。その後、アリサの妹の結婚、ジェロームの兵役、進学、ジェロームの母の死、アリサの父の死と年月は流れていく。25歳でアリサが死に、さらに長い年月がたってもジェロームはアリサを忘れられずにいる。最初は純粋な思慕に始まり、恋が芽生えても、しだいにその恋の対象は現実の人間から幻想の女性に移っていったようにもみえる。思春期の男性が年上の聡明な女性に恋するのはよくあることだが、残酷な事実がある。自分は成長していくのに対し、女性の容色は衰えていく。何度目かにアリサに出会った時、ジェロームがアリサが前ほどに美しく見えず、そしてアリサの読んでいる本をくだらないと思う場面がある。彼の知性はアリサをはるかに凌駕するくらいに成長し、広い世間をしった彼の眼には、娘盛りをすぎたアリサの容姿には以前ほどには惹きつけられない。それでありながらジェロームはなお幻影のアリサを恋しつづける。一方で、アリサにはそれがわかっているので、ジェロームを拒む。
こうした主人公二人と対照的なのはアリサの妹のジュリエットだ。ジュリエットはジェロームに恋するのだが、かなわぬ思いと知ると、愛してもいない求婚者と結婚をし、何人もの子供をもうけて幸福に暮らす。幸福というものは、あまりにもつきつめて考えていくと逃げてしまうものなのかもしれない。それでも、ジュリエットはやはりジェロームを忘れられないことが小説の最後で示唆されているのだが。
源氏物語を読んだとき、妹の中の君と薫が結ばれることを願って薫を拒む大君はアリサによく似た女性だと思った。しかしあらためて「狭き門」を読み返してみると、源氏を拒んだ年上の聡明な槿の君にもアリサの面影があるように見える。






最終更新日  2022年05月11日 12時42分10秒
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2022年05月08日
カテゴリ:雑感
行動制限なしのGWということで各地の観光地が大変ににぎわっているという。
ただ現実には緊急事態宣言をしていた昨年、一昨年よりもコロナ感染者数はずっと多く安全になったわけではない。違うのはやみくもに恐れステイホームだの我慢のGWだのと言っていた頃に比べ、人々があまりコロナを気にしなくなったことだろう。コロナもここまで長引けば、好む好まざるにかかわらずwithコロナにならざるを得ない。それてまた、賑わい復活とはいっても、外国人客が戻るのはまだ先だろうし、公共交通機関よりもマイカーでの移動が増えているのもwithコロナならではの状況だろう。
緊急事態宣言をするかどうかは人間の都合だが、感染症は人が媒介とはいえ半ばは自然現象である。自然現象は基本人間の都合とは関係なく進行する。冥王星を惑星から外しても冥王星は一ミリも軌道を変えずに運行を続けている。同様に、コロナも緊急事態宣言を出そうが出すまいが、さらには感染症の指定を二類から五類に変更しようがしまいが、感染症としての性格は全く変わらない。ただコロナは半ば自然現象とはいえ、不思議なふるまいをする。第五波の後の急減も説明がつかないし、第六波の高止まりも説明がつかない。検査抑制などの人為的な要因があるのだろうけど、そのあたりマスコミではあまりふれない。GW後の感染状況がどうなるのかも予断をゆるさないが、世界的にはゆっくりと収束に向かっているようにも見え、それがトンネルの先の光のようにもみえる。






最終更新日  2022年05月08日 10時30分25秒
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