2008/01/07(月)23:27
社会の行方
昨日の朝日新聞に対談記事があったが、その中で妙に印象に残った箇所がある。
日本では規範の源泉になっているのは共同体なのだがそれが崩れている。
その中で規範を維持できたら、それが一つの社会モデルになる…といった趣旨のくだりである。
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規範の源泉が共同体意識にあるということは「恥の文化」としてつとに指摘されているところであるが、その共同体の消滅によって大小さまざまの犯罪や逸脱行為がでてきていることは、多くの人が感じているのではないか。
農村の衰退によって村という共同体が消滅し、それを基盤とした親族という共同体も消滅した。カイシャという共同体も終身雇用制の崩壊や非正規化の中で崩れてきている。
今の時代、最後に残っている共同体といったら夫婦や親子くらいしかないのではないか。
かくして親が重荷になれば子に、子が重荷になれば親にもろに負担がかかっていく。
2007年は大事件こそなかったが、貧困を背景とした犯罪、特に親族間の犯罪がめだった年だったように思う。
経済力のない子供が親と同居し、介護負担がかかってきた結果としての介護殺人。
定職がなく暴力をふるう息子や病気の娘を思い余った親が殺した殺人事件。
社会の底に澱のように貧困がひろがり、その負担がごく近い親族におおいかぶさっていく。
根無し草のような貧困者が増えれば犯罪はいやおうなく増えていくだろう。
親族間の惨劇だけではない。
刑務所しかセーフティネットがなければ刑罰だって怖くない。
自暴自棄で自殺するつもりなら人をまきこむのもなんともない。
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恥の文化の国で共同体が崩れていけば規範なんて維持できるわけはない。
朝日の討論記事にあったような社会モデルの創設なんてできるわけないのである。
そしてそれより、このまま貧困者が増えていったら、もしかしたら犯罪の頻発以上のことが起きるかもしれない。
共産主義のような思想が復活して燎原の火のようにひろがっていくか、それともカルト宗教のようなものがはやっていくのか…。
いったい社会はどういう方向に向かっていくのか、今年あたりが分水嶺なのかもしれない。