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テーマ:政治について(19780)
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ネット社会のよいところは、権威あるものとされていたマスコミ様ばかりでなく、知的訓練をうけていないとそのマスコミ様のいう大衆の一人ひとりが情報を発信できるようになったこと…。
だから意図的かどうかは知らないけどマスコミが決して報道しないような情報だってたやすく手に入れることができる。 マスコミだけをみても何もわからない。 だって、消費税増税の翼賛報道はしても、その消費税が多くの国で生活必需品とそれ以外で区分されている事実はほとんど報道しない。 二大政党を先進国の共通スタンダードであるかのように報じても、多くの先進国は多党制であることはろくに報道しない。 村野瀬怜奈さんのHPで紹介しているヨーロッパの先進国の事情は日本の状況を考える上でも示唆するところが多いように思う。 http://muranoserena.blog91.fc2.com/ 「社会全体がその構成メンバーに居場所を与えている時に私はフランス人であることをうれしく思う」。このページにはこんな言葉も出てくる。深く考えるべき言葉である。 多くの人々が就職難や失業で社会からはじかれていると感じる時、そういう人々はその国家やその国民であることに誇りを持つのだろうか。一部には国家や民族しかよりどころがないとばかりに、そちらに傾斜する人もいるかもしれないけど、多くはきっとそうではないだろう。 多くの人が社会での居場所がないような状況では、いくら学校などで愛国心や国民の誇りを教えたところで無駄であろう。 そういう意味で安定した立憲君主制が格差の少ない北欧社会でしかみられないこともけっして偶然ではないように思う。 * 前にも書いたが中目黒の老夫婦殺傷事件の現場は自転車でもよく通るあたりだ。 捜査はどう進行しちるのかしらないけど、またわすれられた頃に似顔絵公開、ビデオ公開なんてことになるのではないか。 無縁社会とは言え、全く孤立している人はそう多くない。 よく行く店の店員などは必ず顔を覚えているはずだ。 時間がたてば人の記憶も薄れ、周囲の状況も変わっていく。 自分が手を下した殺人者はたぶん今も不安にさいなまれているだろうけど…じゃあ、我々は本当に殺人とは無縁なのだろうか。 この冬はラニーニャ現象とやらでことのほか寒さが厳しいという。 路上や孤立したアパートなどで凍死していく人もけっこうでるのではないか。 そうしたときに水際作戦で生活保護申請者をおいかえした市町村職員。 路上生活者を軒先からおいやった商店主は痛みのようなものを感じないのだろうか。 そしてまた貧困は自己責任だとばかりに新自由主義や市場原理主義を標榜している人々も…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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