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何度も書いているように「除染」という言葉はやめた方がよい。
そのまま放射性物質を含んだ土や落ち葉の除去といえばよい。 そうすれば「除染」の限界もみえてくる。 土や落ち葉を除去したところで原発事故が収束しない限り、再び放射性物質をふくんだ塵は空中から落ちてくる。 人の住む空間のすべての土や落ち葉をどけることなんてそもそも不可能だ。 取り除いた後の土や落ち葉、草はどこに持っていくのだろうか。 「除染」は除菌や有害化学物質の分解などとは違い、放射性物質自体は消えない。 瓦礫処理もそうだが「除染」後の土や落ち葉の処理いかんによっては放射性物質の被害を拡散するだけの結果となる。 ところでテレビでみていたら除染作業で落ち葉を除去していた人は小さなマスクを一つしているだけだった。ああした作業をしている人が何年か後に病気になったらどうするのだろうか。労災にもならず、補償もされないという可能性が一番大きいように思う。 * 昨日の産経新聞に「風評被害を断て」というコラムが掲載されていた。 風評被害とは汚染されていないものを汚染されていると思い込むことから生ずる被害であって、現に放射性物質が検出されているものを消費者がさけたとしても、それは風評被害とはいわない。したがってコラムのほとんどは意味不明なのであるが、特に最後の「石棺」をつくるなというところは全く理解不能である。 「石棺」は多くの労働者の命を奪った不吉な名称の構造物であり、そうしたものを作れば福島は永久にフクシマのままになるからだという。 理解不能なのだが無理に理解しようとしてみると、どうやら不吉な名称の不吉なものをつくると福島が永久に「差別」されるということらしい。いやなもの、考えたくないことは言葉にしなければよい。まさに日本人の「言霊思想」は健在である。 言霊思想がすべて悪いとは言わないが、それに基づくこうした言説が全国紙で相当のスペースをとって流通すると、むしろその害悪の方が大きいのではないか。 旧ソ連は人権無視の暗黒国家のようにいわれることもあるが、チェルノブィリ事故の際には、100キロ離れたキエフ市の子供達を疎開させ、住民へのヨウ素剤の配布も行われた。石棺とよばれる構造物により十数日で事故を収束させ、その際に職に殉じた労働者や軍人には今でも献花が行われている。同じ原発事故でも当時のソ連と今の日本と、どちらがまともなのだろうか。 「原発付近には未来永劫人は住めない」とか「死の街」とかいった言葉を、郷土愛を理解していないとか住民の心を傷つけるからという理由で封ずるのはけっこう。でもそうした言葉を封じておけば人が住めるようになるのだろうか。 原発事故処理作業ではすでに死亡した労働者もいるが、それを「労災ではない」とすれば、今後の労働者の犠牲はなくなるのだろうか。 現に放射性物質が検出されている農産物を消費者がさけることを「風評被害」だといえば放射性物質がなくなるのだろうか。 言霊思想にとらわれるよりも現実をみなければ、言葉の上ではない現実の解決は永遠にできないのではないか。 原発事故の収束に「石棺」以外にどんな手段があるというのだろうか。 このコラムでは何も言っていない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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