七詩さんのHP

2012/02/21(火)00:20

光市母子殺害犯の男の死刑確定

ずるいレトリックというものがある。 AはBよりも重要だということとBがどのくらい重要かということは本来関係がない。 それにもかかわらずBよりも重要そうなAを持ちだし、Bがどうでもよいようにいいくるめるレトリックがまん延している。 例えば、刑事政策の分野でも、犯人を厳罰に処すよりも被害者への支援が重要だ、だから厳罰は重要ではないといった議論がめだつ。 たしかに犯人が厳罰に処せられたとしても、それで被害者が慰撫されるわけではない。 でもこれだけはいえる。 犯人が厳罰に処せられなかったら被害者が慰撫されることは永遠にない。厳罰は慰撫のためのゴールではなく出発点なのだから。刑罰には様々な意味があるが、応報という機能にも目をそらすべきではないだろう。国家が個人から復讐の権利をとりあげたときに刑罰というものが始まったのだから…。 * 若い奥さんを殺害し赤ん坊まで床に叩きつけた男の死刑判決が確定したが、こんな当然な判決になぜ13年もかかったのだろう。そちらの方が不思議でならない。 そしてまたこの事件も酷いが未成年者による凶悪事件はこれにはじまったことではない。 女子高校生を何人もで惨殺して死体をコンクリート詰めにした事件は社会を震撼させたがあの事件からだってはや20年以上がたっている。それなのに少年法改正の議論が遅々としてすすまないのはなぜなのだろうか。新聞社や政府がこうしたテーマでまともな世論調査をやっているのすらみたことがない。 たしかに光市母子殺人事件の男は現行法の枠内でも死刑にすることができた。でも、それよりもさらに下の年齢では重大事件であっても厳罰に処すことができず、そうしたことが大問題となっているのではないか。言いにくいことだが、東京都の東部地区には怖ろしくて子供、特に女の子を通わせられないような公立中学があるという。そのせいだろうか。こうした地区には偏差値50以下の私立中学もある。中学校に通うのに身の危険を感じるようでは、それはもう教育以前の問題である。重大犯罪については大人同然に厳罰に処す〈大人でさえ甘いのがこの国の刑事制度なのだが〉とともに、荒れた中学校では警察OBの巡回を始めるなどが急務であろう。 * さらにこの事件についての論評では痛いものがいくつもある。 少年が小柄で幼い感じであることを強調して死刑の不当をいいつのる論者がいたが、小柄で幼い風貌であれば死刑を回避すべしというのは愚にもつかない差別的議論である。 また、少年の母親が自殺し、その遺体を少年が目撃したことをもって、死刑を回避すべしというのもあったが、これも自殺遺児に対するとんでもない偏見、差別であろう。自殺遺児の会などもあるというが、抗議声明をだすべきだろう。親の自殺と犯罪は無関係だし、親が自殺しようが何で死のうが立派に成長する人は成長する。 また、反省しているだの更生の可能性だのを言う人もいるが、生きるか死ぬかの時には必死に反省のふりをするのは当然だし、更生の有無にしたって、それは被害者とは全く関係のない話だ。昔、級友を殺害して首を切断した男が立派に「更生」して弁護士になっているという話もあるが、被害者遺族はたぶんこうした「更生」は望まない。 また、新聞などには書いてないのだが、どうも気になることもある。犯人の男は若妻を乱暴しようとして殺害したというが、最初からこんな粗っぽいやり方で犯行に及ぶものだろうか。ありていにいえば女性を乱暴したのは最初ではなかったのではないか。 「犬がかわいい犬を見てやっちゃった、これは罪でしょうか」とこの男は手紙に書いていたというが、こんな男が「9年そこそこでひょっこり芽をだす」などしたら、社会にとっては危険極まりないことで、まったくもって冗談ではない。

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