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オウムの死刑囚の一部が別の拘置所に移送されたという。
これをもっていよいよ死刑執行では…という話もある。 政権がスキャンダルで火だるまになっているときに、別のニュースでその話題を消す。オウムの死刑執行などはまさにそれにうってつけなのかもしれない。死刑執行をそんな風に扱うなんてということの是非はともかくとして、麻原以外の実行犯の処刑には反対する人がいる。 そしてそれがオウム事件の頃、電波ジャック状態でテレビにでずっぱりだったような人なのだ。 その反対の理由というのが、珍妙である。 いわく 麻原は実行犯の処刑を望んでいる。 だから実行犯の処刑は行うべきではない。 ???? 麻原は裁判の途中からほぼ言っていることが意味不明となり、現在でも家族とすら意思疎通できない状況が続いている。「麻原が実行犯の処刑を望んでいる」というのには何か根拠があるのだろうか。犯罪の内容から社会の破壊を望んでいた、国家の崩壊を望んでいたということは十分に推測できるが、共犯者となった実行犯の処刑を望んでいるなんていうことがどこからでてくるのか不明である。 そしてまた、「麻原が実行犯の処刑を望んでいること」が「実行犯の処刑を行なうべきではない」こととどうしてつながるのか。死刑制度に応報という色彩がある以上、問題は被害者やその遺族が処刑を望んでいるかどうかであろう。あの前代未聞のテロ事件で、子供を失った親、重篤な後遺症を負った被害者本人が処刑を望まないという意志を表明したという話はきいたことがない。 かつてネットの普及していない頃にはマスコミを通じて意見を言えることは一部の人々の特権であった。でも、今ではおかしいと思った意見にはおかしいと思うことを言える。上記のようなことを言っているのは、前述したような立派な方なのだが、あまりにもおかしな言説だと思うので、ここに感想を書いてみた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
来年は天皇即位のバカ騒ぎ、その次はオリンピックで、やるなら今年しかないとのことのようですね。
日本は、先進国で死刑制度がある数少ない国のようで、批判も多いそうですから気にしているのでしょう。 それにしても誰がいつどのような基準で、執行を決めているのかは藪の中です。 未決の半分が東京拘置所に収容するのが慣例とは、最近知りました。 (2018年03月18日 10時09分43秒)
>来年は天皇即位のバカ騒ぎ、その次はオリンピックで、やるなら今年しかないとのことのようですね。
天皇即位のバカ騒ぎとは、天皇を敬愛する気持ち、将又、象徴天皇を尊重する気持ちが微塵も感じられない、日本の伝統文化、歴史的伝統を踏みにじる心冷え冷えとするものを感じます。 仮に天皇即位が気に入らないとしても、憲法第1章第1条が定める「天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」を遵守し、国民の総意として天皇即位を寿ぎ慶賀する事が真面な国民、良識ある大人の対応です。 (2018年03月18日 23時59分57秒)
maki5417さんへ
判決まではあれほど均衡が重視されるのに、死刑確定囚の処刑の順序については恣意的なように思います。冤罪の可能性のある人には執行しないようですが、ならばきちんと再審を行なうべきでしょう。帝銀事件の死刑囚は冤罪を主張し続け、90歳をこえて獄死しました。オウム死刑囚についてはどうなのでしょうか。冤罪の可能性はないのですけど、もしかして麻原については獄中での自然死を待っているのかとも思います。信者は麻原の「超能力」を本気で信じていた。そこに不可解さがあります。 (2018年03月19日 22時48分46秒)
・曙光さんへ
天皇の地位は国民の総意に基づくもので、それが変われば天皇の地位も変わっていく。今は憲法改正といえば9条ばかりが議論になりますが、いつかは天皇制についても議論になるかもしれません。 皇室の代替わりや慶事が国民の関心事となったのは明治以降で、明治初期には国民に尊王思想を喧伝するための宣教使(宣教師ではなく)という公務員もいたようです。 天皇に対する国民の感情は自然人としての天皇によるところが大きい。そういう意味で今の両陛下、特に皇后陛下は奇跡的としか思えません。次の代にはどうでしょうか。また皇族女性の結婚延期の事案も、相手方の男性やその母親のイメージもあって皇室に対する国民の見方を変容させているように思います。 (2018年03月19日 23時01分51秒) |