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謹賀新年明けましておめでとうございます
日本の伝統とか習慣といわれるものも案外と新しいものが多い。 それはそうだろう。人の記憶は限度がある。小さい頃から慣れ親しんできたものを古くからある伝統と思っている場合も少なくない。年賀状も、これが風習として普及したのは戦後になってからだだと思う。だってそうだろう。オール印刷の年賀状は資源の無駄ではないか。年賀状の枚数が減少傾向だというのだが、それも時の流れで仕方ないことのように思う。 そういえば子供の頃には新年の挨拶まわりという風習があった。 お正月に上司の家に挨拶に行くのだが、今では、よほど親しい間柄か親戚でもない限り、他人の家に行くなんてことは考えられない。そういえば、最近の家には「客間」とか「応接間」というものもないようである。 晴れ着、羽根つき、福笑い、双六…こうしたお正月行事も実際にはあまり見なくなっている。 結婚しない人が増え、子供の数が減っているのでこれも当然だろう。 不思議なのは、こうした正月行事が地味になっていくのに、おせち商戦だけは盛況なことだ。伝統的なものだけではなく、西洋風のおせちとか中華風のおせちとかいうのもでている。いずれも一人では食べきれないような量なので、単独世帯や二人世帯が増えている世相の中で、何故とも思う。売る方にしてみれば儲けが大きいのは分かるのだが、それも需要あってのことなのに。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
あけましておめでとうございます。
晴れ着、羽根つき 凧あげ同様、雪国では無縁です。 日が照る時間が少なく、雪ばかりです。 当地の成人式は雪が消える3月に行われます。 おせち商戦だけは盛況なことだ。 うちも数年前から利用しています。 おせちは少しあれば十分なので、便利です。 あとは刺身やカニ、肉類など好みのものを用意すればいいので楽です。 昨年はテレビショッピング、今年は地場の仕出し屋さんのものにしました。 田舎は安いですね。 (2019年01月03日 11時59分01秒)
時代に合わせて変化した結果だと思うが・・・・
御節なんてのはもともとが節会料理、神様にお供えする料理です、 重箱に詰めるのが定着したのはそれこそ戦後のことで、 もともと家で作ることも多かった御節をデパートが見栄えよく重箱に詰めて大量に販売したのが定着したものです。 節会料理には宗教的な観点が多分に含まれ、本来正月に火の気を嫌ったために、雑煮を作る、茶を沸かす以外に火を使う必要がないように保存の利く料理をが中心になってる。 それが昨今の保存技術の発達により多様化し、ローストビーフだとか生に近いものも保存がきくようになった。 量が多いのはもともと数日分の食事だからなんですが(本来は重箱に詰めたもの以外に鍋などに同じ料理をたくさん用意しておいて詰めなおしたりするものです) 昨今は別に正月でも買い物に行くし煮炊きもするのでそんなにたくさんはいらないということで今程度の量に「減った」のですよ。 一人用、二人用なんて少人数用の御節が近年の御節のトレンドです。 で、昨今は調理済み食品の普及から調理済み食品を食い慣れてる、そうなると正月というハレの日でもあるのでいつもよりも豪華なものという意識が働く、 御節なんか家で作ろうと思う人が非常に少なくなった、 まあいんじゃないですかねそれで・・・・、伝統だしきたりだにこだわる必要はないですよ。 家は古風というわけじゃないけれど、御節は手作り、31日に重箱に詰めて3日かけて食いますよ、まあほかに雑煮や餅は食うけれど・・・・、後刺身とかなんやら。。。。 だいたい3日目の昼くらいに全部なくなります、松前漬けが残るくらいで、1日、2日は食事は作りませんね、雑煮温めるくらいで・・・・ 年末に一気に作って正月はのんびりしようという意味もあるんですよ御節には・・・・、客も多い時ですし。。。 それとさすがに韓国ドラマ17~18時間くらい見続けたので、次のおすすめはまた今度ということでお願いします・・・・ いくらなんでも見きれない。。。。 (2019年01月03日 13時13分56秒)
≯小さい頃から慣れ親しんできたものを古くからある伝統と思っている場合も少なくない。。≯年賀状の枚数が減少傾向だというのだが、それも時の流れで仕方ないことのように思う。
>そういえば子供の頃には新年の挨拶まわりという風習があった。 お正月に上司の家に挨拶に行くのだが、今では、よほど親しい間柄か親戚でもない限り、他人の家に行くなんてことは考えられない。そういえば、最近の家には「客間」とか「応接間」というものもないようである。 >晴れ着、羽根つき、福笑い、双六…こうしたお正月行事も実際にはあまり見なくなっている。 >不思議なのは、こうした正月行事が地味になっていくのに、おせち商戦だけは盛況なことだ。 時代の変化、世相の変貌とともにお正月の風習が変わるのはやむを得ないでしょう。 晴れ着、羽根つき、福笑い、双六は確かに見かける事は少なくなった。 小・中・高時代はわが家では百人一首が正月の必須として年末年始家族でやったものです。 私が最初に覚えたのは「田子の浦に打ち出でてみれば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ」(山部赤人)です。東海道静岡は殆ど富士を仰ぎ見て歩く印象です。田子の浦は確か今の由比あたりか。富士山と東海道、駿河湾は忘れてはならい日本の穏やかな原風景です。 現代の正月の楽しみ方はまさに人それそれで、初詣をすませば、ゴルフ、登山、歌、その他、それぞれの趣味を1日満喫すればよいでしょう。行事の均一性は希薄になったが、食して正月を味合うという習慣は多くの人に残された均一性かもしれません。 今年の多摩川浅間神社から見る富士山は雲一つない良き眺望でした。富士を観る。これだけのことが富士の裾野で生まれ幼少期を過ごした私にとって自分のアイデンティティに思いを馳せる大切な感懐です。 (2019年01月04日 10時34分19秒)
maki5417さんへ
そうですね。お正月は冬晴なんてのは東京の感覚で地域によって様々ですね。 お節は我が家も買いましたが、これって材料費の割には高いし、すごく利ザヤが大きいのだろうなと思います。二日になると食べ飽きますし、一人暮らし二人暮らし用に一段くらいのものでもよいように思います。 正月二日目は近くの温泉施設で一日のんびりしました。 あの「長生きチョンパ」のCMで有名だった施設のように、こうした温泉施設は高齢者向けという印象が強かったのですが、若い人がむしろ目立ちました。 (2019年01月04日 21時29分12秒)
ふぁみり〜キャンパーさんへ
家で作ると煮豆などどうしても多く出来すぎてしまいます。 少人数用のお節というのがトレンドなのですね。 開いている店が多く便利になったというのは、反面、お正月も休めない人がそれだけ多いということです。 (2019年01月04日 21時34分52秒)
・曙光さんへ
田子の浦の景勝地は今では「田子の浦みなと公園」になって大きな歌碑もあります。秀峰富士の景色はよいのですが、製紙工場の煙突があるため、観光写真には使われないようです。 富士山のイメージは生まれ育ったところで違いますね。私などは、どうも富士山といえば丹沢ごしにみえるイメージです。 (2019年01月04日 23時21分42秒) |