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2019/05/29(水)09:28

川崎の通り魔事件~なぜ止められなかったのだろうか

事件・犯罪(151)

川崎の通り魔事件についてまだ考えている。 51歳まで前科もなく生きていたのに中学時代の写真しかでてこない犯人の男性。凶行後自分の首を刺して死んだという男性。 不特定多数の者に対する強い殺意と自殺への強固な決意がなければ、ここまでのことはできまい。 「死にたければ一人で死ねばよい」という意見もネット上にはうずまいているが、多くの人をまきぞえにしたかったからああいう方法をとったのであって、「一人で死ねばよい」はなんの回答にもならない。 事故、病気など人生には「なぜ私だけが」と思うような不運は数あるし、そうでなくとも、思うような職業や収入に恵まれない不満層というものはどんな社会になっても一定数はいる。一頃書いていた格差や貧困の問題についてはもう書かない。けれども、こうした事件はこれからも起きるし、こうしたものは、「無職の子供と親との間の親族間殺人」、「介護殺人」とならんで今後増えていく犯罪類型かもしれない。40代、50代といえば人生の先は見えてくるけど、まだまだ体力はあるというやっかいな時期である。そして親の死亡や施設入所などで、転機を迎える人もいる。こんな中で、自暴自棄になる人がでたって不思議ではない。 それでは、川崎の事件での岩崎隆一さんのような方の暴発を防ぐにはなにか方策があったのだろうか。残された家族に対する思い、宗教上の地獄や死後の裁きへの畏れ。そんなものはおそらくこの方にはなかったのだろう。怖いものもなければ失うものもない、いわゆるネット上でいう「無敵の人」だったように思われる。 それにしても…と思う。 人間が自己を律して、まあ、自暴自棄にならない程度に生きていくにはそう多くのものは必要ない。ささやかな楽しみ、ささやかな娯楽があればそれでよい。せめて、会費2000くらいの飲み会でもよい。何か月先にでも、楽しみにしているそんな集まりの予定でもあったら、暴発などする人はいない。人生は小さなつながり、小さな楽しみにすごく救われているものなのだから。

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