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カテゴリ:読んだ本
大変に面白い本で一気に読めた。
なぜ面白いかといえば、日頃なんとなく考えていて、それでいてマスコミなどではおおっぴらにはいわないことを言っているので、非常にすっきりするのである。 だいたい、なんにあのノーベル賞受賞の大騒ぎの報道…。 どうすれば先生のようになれるのでしょうか? それは日頃から興味を持ち、頭を柔らかくすることが重要ですね。 とまあこんなやりとりなのだが、聞く方も答える方も知っているはずだ。 生まれ持った才能、タレント、資質、重要なのはそこであって、バカはいつまでたってもバカだし、凡人にはノーベル賞どころか、そのはるかふもとのあたりでも理解なんて不可能だってことを…。 どうして、音楽やスポーツには生来の能力や資質のあるのをみなが認めてみるのに、学才や知能、つまり論理的思考力、数理的思考力にはそうした資質が存在しないような議論がまかりとおっているのか理解に苦しむ。子供の学力は親の所得次第だとか、貧乏人の子供が「高等教育」を受ければ貧困から脱却できるとか、そんなことを本当に世の人は信じているのかしら。 その昔、市民革命が起きた時は身分のない市民が立ち上がり貴族や王族を倒した。そして社会主義革命では実態はともかくたてまえでは無産階級が立ち上がり資本家や地主を倒したということになっている。人類の歴史は「持てる者」と「持たざる者」の戦いである…そう言ったマルクスはその限りでは正しい。ただしその何を持つか持たざるかが大昔は身分、その次には資産(工場や土地)だったものが、いまで知能や能力になったというだけのこと。所得や資産の分布はそれに大方はよるので、収入や資産分布は正規分布からロングテールの少数の勝者と持たざる大衆の分布になってきている。ただ、困ったことに身分のない有能な市民やマルクス理論を信奉しているプロレタリアに比べると、現代の「持たざる者」は自分に対する誇りを持ちにくいし、その中から指導者も生まれにくい。白人であること、男性であること…という自分に残った唯一の誇り?の源泉にしがみつくのもこういう層にはありがちのことで、それがトランプ現象を生んでいるという指摘はおそらく正しいだろう。人間は誰しも自分を弱者とは思いたくないものだ。だからそんな誇りにしがみついたり、叩きやすい弱者を叩く方がよほど精神的にもよい。 こうした知能による分断のその先にはなにがあるのだろうか。 アメリカでは若者の間に社会主義への関心が高まってきており、これに対し、トランプは「社会主義はすべてを破壊する脅威」と批判しているが、米国の困窮者に社会主義≒悪なんていう素朴なすりこみがいつまで効くのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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