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2020年01月23日
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カテゴリ:想い出
ネット時代のありがたいところは、なんでも検索できるところだ。
昔きいたことのある素敵な歌なのだが、レコードも買う機会(当時は高価だった)もなく、その後、わすれていたのだが、検索するとでてきた。
由紀さおりの歌っていた「季節風」という曲だ。
男女の別れを女性の側から歌った歌なのだが、じめじめしたところがなく、風がふきぬけるような冒頭の旋律が印象的だった。その少し前に歌った「手紙」の大ヒットからしばらくはこうした手紙にまつわる歌をうたっていたようだ。
もちろん、この曲にも「私はあなたに手紙を書いている」というフレーズがでてくる。
https://www.uta-net.com/movie/87593/
季節風というだけでは季節は特定されないが、歌詞には「表の陽だまり」とか「花屋の店先に季節の花が咲く」とあるので、どうやら春だということがわかる。かつては春には春の歌、梅雨時には雨にちなんだ歌と季節ごとに、その季節を感じさせる歌謡曲が流れていた。そして大みそかには紅白で今年流行った歌をふりかえるというわけだ。
それにしても冬晴れとは縁のない曇りや雨の日が続く。まだ、1月なのだが、すぐにでも春一番が吹きそうな気がする。





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最終更新日  2020年01月23日 09時00分06秒
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Re:季節風(01/23)   ・曙光 さん
私事、日本の流行り歌については小西良太郎か合田道人に近くその道に詳しいと自負していますが、私のお勧め歴代歌謡曲ベスト5に由紀さおりの「手紙」があります。

「季節風」は改めて聞くと、「手紙」に優るとも劣らない良さがありますね。
今の流行り歌も決して悪くはないが、メロディアスな抒情性については、昭和歌謡に隠れた名品が多くあります。

古関裕而、米山正夫,八洲秀章、木下忠司等々、珠玉の歌が多いですが、古関夫婦を主人公とする次回朝ドラ「エール」が楽しみです。

昭和の名品の一例として米山正夫「津軽のふるさと」、八洲秀章「毬藻の歌」、木下忠司「惜春鳥」「女の園」、古関裕而「穂高よさらば」などを挙げる事ができます。 (2020年01月23日 10時31分11秒)

Re:季節風(01/23)   ・曙光 さん
>それにしても冬晴れとは縁のない曇りや雨の日が続く。まだ、1月なのだが、すぐにでも春一番が吹きそうな気がする。

今、そして21世紀を通じて、人類の最大の課題は地球温暖化です。
春一番は直ぐにでも吹くでしょう。

このまま放置すれば。死者500人、或いは1000人レベルの街を崩壊する巨大台風が日本に頻発するでしょう。
小手先の事では大きな成果に至りません。

火力発電は石炭、石油、天然ガスなどの化石燃料を燃やし、その熱エネルギーを利用して発電しているために、発電の過程で大量のCO2を排出します。
地球温暖化の元凶は火力発電によるCO2の排出です。

原子力発電は太陽光発電、風力発電と同じように発電時にCO2を排出することは有りません。地球温暖化防止の最も有効な優れた発電方法は原子力発電以外にありません。

車を新幹線を飛行機を利用する人間が、文明の利器である原子力を封殺するなどナンセンスすぎるでしょう。全て文明の利器はその取扱い如何で地球を救う事ができ、科学による人類の便益を享受することができるのです。

世界の大規模火災、交通事故、巨大台風・ハリケーンからの死者と比較し、原発により死者の何と軽微な事か。事実を直視する事です。

原発を一日も早くフル稼働し、地球温暖化に待ったをかけるのは、死を待つばかりの高齢者の次世代に対する最低限の責務です。
(2020年01月23日 10時59分29秒)

Re:季節風(01/23)   maki5417 さん
季節風
 作詞:千家和也 作曲:すぎやまこういち 編曲:高田 弘
1975年ですか。

このころは、歌謡曲は卒業していました。
フォーク、ニューミュージック、そしてジャズですね。 (2020年01月23日 20時30分35秒)

Re[1]:季節風(01/23)   七詩 さん
・曙光さんへ
あの頃はヒット曲があると、その曲の勢いが衰えた頃に次の曲を出し、そしてまた次の曲と次々と新曲を出していたようです。歌のトップ10とか20とかというものもあって、流行りをすぎた歌のレコードは売れず、そのレコードの売り上げが主な収入だったように思います。「季節風」は、「手紙」の大ヒットの後に出た曲で、記憶ではそんなにヒットというほどでもなく、ほぼ忘れられた曲なのかもしれません。でも、忘れられるには惜しい名曲だと思いますし、風が吹き抜けるような軽やかな旋律がすごくよいですし、歌で歌われている世界もしゃれたドラマの一場面のようです。「キャリアウーマン」(今では死語ですが)なんていう言葉の生まれる直前の時代で、こうした歌に出てくる女性もすこしずつ出てきた頃ですね。
(2020年01月23日 22時42分31秒)

Re[1]:季節風(01/23)   七詩 さん
maki5417さんへ
ニューミュージックと歌謡曲ってどこが違うのかよくわかりませんでした。
ニューミュージックと称する歌手は自分らは従前の歌謡曲とは違う…という自負があったのかもしれませんね。 (2020年01月23日 22時44分25秒)

Re[2]:季節風(01/23)   maki5417 さん
七詩さんへ

ユーミンに代表されるように、自分で作って自分で歌うということが新鮮でした。

関西フォークというのもありました。

他にもニューシネマと、なんだかんだ言って米国文化の影響力は大きかったです。 (2020年01月24日 21時17分32秒)

Re[3]:季節風(01/23)   七詩 さん
maki5417さんへ
シンガーソングライターの曲はニューミュージックということなのでしょうか。たしかにある時期、すごく才能のある人たちがどんどん自作の曲を歌うようになって、それは従来の歌謡曲とはたしかに異質な感じがします。

(2020年01月25日 09時28分57秒)

Re:季節風(01/23)   ・曙光 さん
>シンガーソングライターの曲はニューミュージックということなのでしょうか。

フォークもニューミュージックも様々な捉え方がありますが、一つだけはっきりしていることがありますので、当ブログで読者が過てる認識を持たないように解説します。

シンガーソングライターの曲=ニューミュージックではありません。

フォーク及びニューミュージック共に殆どがシンガーソングライターですが、シンガーソングライターと云えば、北島三郎も五木ひろし等も時にはシンガーソングライタ-になります。
自作自演と云えば、ニューミュージックよりも寧ろフォークソングの方が寧ろ色合いが濃いでしょう。

フォークからニューミュージックの転換点に拓郎の「結婚しようよ」があるとはよく言われる処ですが、フォークからニューミュージックへの襲撃的な分岐点として私はユーミンの「ルージュの伝言」があると思っています。
「神田川」の銭湯の世界から、「ルージュの伝言」のバスルームの世界へと生活様式も時代も変貌していきます。

追伸

日本においてはジャズは戦前から戦後までが隆盛でしたが、フォークの衰退とともに衰退傾向で、ジャズの名曲は古典として継承されていますが、現在は寧ろロック・ミュージックが現在の流行り歌へと連なっているというべきでしょう。
(2020年01月25日 12時35分15秒)

フォークの原点   仙石 和三 さん
曙光さんが述べたとおりです。

付け加えると
・フォークの原点は「反戦歌」と言う点は外せない。
日本では森山良子が代表される。
(アコースティックギターで反戦主張。)

・自作を自演するのがシンガーソングライター。

・ニューミュージックは演奏に使われる楽器がエレキ・ドラムなど様々。
吉田拓郎がフォーク(反戦歌)からニューミュージックへの先駆け。

■例えば
(フォーク調の神田川)を吉田拓郎がアレンジするとこうなる。
再生後1分辺りから
https://www.youtube.com/watch?v=454GDvnUISc
(2020年01月25日 16時05分46秒)

補足 Re:フォークの原点(01/23)   仙石 和三 さん
シンガーソングライターが自演する楽器にギターやピアノが適しているだけのことす。
フォーク(反戦主張)から聞かせる音楽へ変化。って感じかな。




(2020年01月25日 17時00分04秒)

1950年代~1971年までの(日本で歌われた反戦歌一覧)   仙石 和三 さん
・原爆を許すまじ(1954年) ・死んだ男の残したものは(1965年)
・ゲンシバクダンの歌:小室等と六文銭(1968年) 
・友よ:岡林信康(1968年) ・自衛隊に入ろう:高田渡(1969年)
・フランシーヌの場合:新谷のり子(1969年)
・イムジン河:ザ・フォーク・クルセダーズ(1969年)
・さとうきび畑:森山良子(1969年)
・坊や大きくならないで:マイケルズ
・腰まで泥まみれ:中川五郎 ・いつのまにか:中川五郎
・血まみれの鳩:五つの赤い風船(1969年)
・日の丸:斎藤哲夫 ・妻になる女に:西岡たかし
・むかしばなし:バラーズ ・追放の歌:休みの国(1969)、
・大統領殿:高石友也 ・男らしいって」わかるかい:ザ・ディラン(1971)
・教訓I:加川良(1971年) 
------------------------------------
まだまだ他にもありますが取り敢えず1950年代~1971年の反戦歌だよ~ん♪ (2020年01月26日 06時21分13秒)

Re:季節風(01/23)   ・曙光 さん
反戦歌いいですね。よく歌っています。

他に「美しい地球」(いづみたく)、「愛する人に歌わせないで」(森山良子)、「一本の鉛筆」「8月5日の夜だった」(美空ひばり)、「死んだ女の子」(元ちとせ)、「似島」「折り鶴」「象列車よ走れ」「青い空に」「ヒロシマのある国で」「INORI~祈り~」(クミコ)などが思い浮かびます。

歌は思想を国境を越えて、心の叫びとして、心の雫として、心の栄養として、人には不可欠なものと思います。

世界の国家たるどこの国にも軍歌と反戦歌があり歌われています。自由と平和を愛するフランスのフランス国歌「ラ・マルセイユーズ」は軍歌そのもので「取れ武器を、組め隊伍を、進め、進め、我が祖国の自由を守れ」と声高らかに誇らしく歌われます。

世界の社会主義、共産主義の代表曲である「インターナショナル」は「いざ戦わんいざ、奮い立ていざ、ああインターナショナル我らがもの」と戦意高揚を図るべく歌われれます。

日本には「露営の歌」や「出征兵士を送る歌」などの優れた軍歌の名曲が数多ありましたが、残念ながら今歌われることは殆どなくなり、心慰める叙情的な「戦友」や「徐州の歌」までが日陰者扱いされる始末です。

この歪(いびつ)さを、卑屈さをなくし、人間としての屈辱的自縛さから解放され、真っ当な健康な健全な国家、国民となる事が、真の平和を実現するために必要不可欠と云えるでしょう。 (2020年01月26日 10時23分55秒)

Re[1]:季節風(01/23)   七詩 さん
・曙光さんへ
曙光さんが反戦歌とは…意外です。
でもその昔、プロテストソングというのが流行りましたね。
「友よ」なんていまこそ歌われればよいのに…と思います。
そんな歌の中で「橋を造ったのは俺たちだ」というのがあります。
このたくましい腕とこの体で橋を造ったのは俺たちだ…と労働者の誇りを歌うのですが、まさに「たくましい腕と体」では橋を作れなくなった時代だから教科書どおりのマルクス主義が色あせてしまうのですね。
革命家もよいですし、ソ連の軍歌や歌曲もよいですよ。「満州の丘に立つちて」は日露戦争を歌った歌ですが、日本の同時期の歌と比較して聞いても興味深いです。いずれも、検索すればでてきます。 (2020年01月26日 10時49分56秒)

Re:季節風(01/23)   ・曙光 さん
>曙光さんが反戦歌とは…意外です。

七詩さんに再認識して頂き有難き事です。

私は皆さん同様、2度と再び日本を焦土にしてはならない,2度と戦禍に塗れさせてはならないと心底から願う、平和な穏和な日々がかけがえのない、何よりも貴いものと考える者です。

主義で言えば、右とか左でなく絶対的平和希求主義といえるでしょう。

自分の家を守るために家に施錠する、犯罪から殺人から暴力から、個人の身を守るために警察が在る。人間として生命を財産を守るための、個人として国家として鍵があり、警察が在るのは当たり前過ぎる基本的要件であり責務です。

家の鍵を放棄せよ。警察を放棄せよ。極論を言うならば身を護る衣服をも放棄せよ。一切の防具を放棄し街中を裸で歩けという、無責任、荒唐無稽極まれるのが、日本が占領時代、連合国軍最高総司令部により作られた9条です。

自分自身の身は自分で守るという、人として国家として基本的責務を放棄して、平和な日々が続くことは絶対に有り得ない事は歴史が証明しています。

アヘンの如き怠惰放逸な、アホダラ教ともいう9条教から一刻も早く覚醒しなければ、日本は焦土となり、日本国民は海の藻屑となり魚の餌食となる事が必定でしょう。
(2020年01月27日 12時24分20秒)

Re[1]:季節風(01/23)   七詩 さん
・曙光さんへ
戦争の惨禍を想像できる人は誰でも反戦でしょう。
そしてその戦争を防ぐために武力がいるという考えもあるでしょう。
暴力は暴力でしか防げないパラドックスがあるというのも人間社会の実態です。
警察がなければ犯罪がなくなる、犯罪の悲惨さを訴えれば犯罪がなくなる…なんて考える人はいないのに、なぜ戦争についてはそう考えるのでしょうか。
ただ一方で戦前の大日本帝国が庶民の生命を捨て石のように扱っていた記憶もある。そしてまた白衣の傷痍軍人が街頭に立っていた姿も覚えている。ふたたび軍隊で庶民の命が粗末に扱われるような時代がくるのか…と考えると軍隊を持つのがよいのかどうか。悩ましいところです。 (2020年01月27日 21時23分02秒)

捨て石を恐れてなんになる   鳩ポッポ9098 さん
>戦争の惨禍を想像できる人は誰でも反戦でしょう。

ボクはそれには懐疑的。惨禍を想像できる、否、人間は莫迦だから何度やっても痛みを忘れる、平和な事を当たり前のように感じ、てめえのもらいが少ないとほざきやがる、こんな腑抜けた野郎どもは戦場にぶち込んで痛みを思い出させてやらねばならんとつくづく思う。

>ただ一方で戦前の大日本帝国が庶民の生命を捨て石のように扱っていた記憶もある。そしてまた白衣の傷痍軍人が街頭に立っていた姿も覚えている。ふたたび軍隊で庶民の命が粗末に扱われるような時代がくるのか…と考えると軍隊を持つのがよいのかどうか。悩ましいところです。

ならば敵に七面鳥撃ちにされて文句も言えないような状態がいいんですか?あの時代は大概の国が徴兵制なんだから、捨て石っちゃ捨て石ですよ。ですけれど、それは一平民が国家を背負って戦うということでもある、そこには平民も貴族もなければ、傭兵のような算盤尽くの感情もない。そういう時と生命の全てをかけた誠心誠意があったればこそ、現代の日本は形作られた、そういう意味では傷痍軍人を日陰者扱いした我が国は間違っている、バンド・オブ・ブラザースの逸話ではないが、傷を一生の誉れに出来るような顕彰をしてこそ、戦いによって勝ち取った価値の重みが承継されるというものです。 (2020年01月28日 05時11分34秒)

Re:捨て石を恐れてなんになる(01/23)   七詩 さん
鳩ポッポ9098さんへ
鳩さんの世代はどうか知りませんが、子供の頃傷痍軍人は見慣れた光景でした。特に新宿駅西口の雑踏にはいつも二人の傷痍軍人がいて、一人は片足でアコーディオンをひき、もうひとりは片手片足でうずくまっていました。
その光景の思い出がどんな言葉よりも戦争の醜さと戦争に行く悲惨さを語っています。
徴兵にせよ志願にせよ、もし、国家のために戦場に行くという人が出た場合、その人々の犠牲には最大限の名誉をもって報いなければならないのに、大日本帝国から日本国となったとたんにそんなものは反故になりました。
(2020年01月28日 07時21分31秒)

Re:季節風(01/23)   ・曙光 さん
>ふたたび軍隊で庶民の命が粗末に扱われるような時代がくるのか…と考えると軍隊を持つのがよいのかどうか。悩ましいところです。

素朴な平和を願う人の感情としては理解できます。

されど人は何時までも母親の胎内にいる胎児のまゝで、或いは親の庇護のもとにある幼児のままでは生きていくことはできません。
自分の身は、自分で守る気概がなければ自立した大人とは言えません。

如何に高邁な理想を説こうとも、人間いる処、犯罪は決してなくなりません。理不尽な殺人は決してなくなりません。神ならぬ人間は過ちを、ミスを犯すものなのです。、

力あるものが力なき者を制する。当たり前過ぎる生きとし生きる者の掟であり定めです。
力とは何か。精神と物的の両面の力があってこその人の生きる力です。

優しさは人間にとってのかけがいのない崇高な力でしょう。
然し人は、優しさだけで生きていくことはできません。
日本人は余りにも日常の危機感が欠落しているといわざるを得ないでしょう。

外敵から我が身を守る術を備えてこそ自立した大人であり、世界で生存することができる生物である人間です。

武力の行使を、陸海軍の戦力の放棄を明言する9条は、人間放棄宣言ともいうべき破廉恥極まりない人間性の欠如したものと云えるでしょう。

補足

1946年に占領地支配の思惑だけで9条を押し付けたGHQに対して、その9条のいい加減さに気づいて、トルーマン米大統領の指令を受けたダレス長官は翌1947年には9条改正、再軍備を吉田首相に要求しているのである。

経済復興を優先する吉田はいづれダレスの要求に応じるから,、戦後自立できていない日本は今しばらく米国の軍事的庇護を受けさせてくれと応じて、戦後73年が無責任にも狡猾にも経過しているのである。

日本の全ての民に告げたい。狡猾な無責任な国家、国民となる勿れと。


(2020年01月28日 12時07分02秒)

Re[1]:捨て石を恐れてなんになる(01/23)   仙石 和三 さん
七詩さんへ

>徴兵にせよ志願にせよ、もし、国家のために戦場に行くという人が出た場合、その人々の犠牲には最大限の名誉をもって報いなければならないのに、大日本帝国から日本国となったとたんにそんなものは反故になりました。
---
◎それは連合国の占領下に於いての話でしょう。

・(日露戦争後)に大量の傷痍軍人が出現して大きな社会問題となり、国家により救済支援制度が整備された。とある。

・(第二次世界大戦の戦時下)に於いては戦傷もまた名誉の負傷とされ、在世中の軍人傷痍記章を着けることを許され、社会的に優遇を受けることもあった。とある。
-----------------------------------
■ただし【連合国の占領下に於いて】
ポツダム宣言による第二次世界大戦の停戦後、連合国の占領下で軍事援護の停止による恩給の打ち切りなど、戦傷を負った人々とその家族の生活は困窮と苦難の淵にあった。しかし・・・
↓↓↓↓↓↓
★【サンフランシスコ講和条約発効による主権回復後】
軍人恩給の復活とともに傷病者への支援に改善をみた。
戦後、厚生省のもとでその補償がなされるようになり、軍人恩給等の対象ともなった。
体の一部を戦禍で失ったこれら元軍人は仕事に就ける訳でもなく、その生涯の多くを国立療養所やその後の国立病院で過ごすこととなった。
---
※日々の生活はそこで送っていたものの、都会の人通りが多い駅前や、地元の祭りや縁日にはその場に来て、露天商が並ぶ通りなどの通行人から金銭を貰い、小遣いとした。
※(俺も七詩さんも子供の頃に眼にした光景の大半はコレです。)

※俺の親父も片足を失っていたが滅多に客が来ない小さな時計屋を営んで親子5人が細々と暮らしていた。
弁護士の資格があっても片足ではな? (2020年01月28日 13時53分08秒)


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