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2020/02/15(土)08:30

映画「パラサイト」がアカデミー賞四冠の快挙

映画(68)

韓国映画「パラサイト」がアカデミー賞の四冠に輝いたことが話題になっている。 たしかに奇想天外で面白い映画なのだが、アカデミー賞四冠となると、他に傑作がなかったのだろうかと不思議に思う。 そしてまた、「パラサイト」が韓国社会の格差を描いた映画だというように喧伝されているのだが、正直言ってそれほどそうしたものは感じなかった。身分とか生まれとかが昔のように重要でなくなっている現代では格差は「能力、努力、運」によるものだろう。貧乏な一家の方が小賢しく機転がきき、金持ちの一家の方がおまぬけに見えるのは気のせいなのだろうか。そしてまた、格差の主因が能力であり、まさにそのことが格差に苦しむ側の絶望につながってゆく。ところが映画「パラサイト」では貧乏な家の息子は金持ち娘の英語の家庭教師を行い、まったくバレる様子もない。そしてその息子は学歴詐称こそしているが、なかなか優秀で、一流大学を受験している様子である。だから最後の「金持ちになるぞ」という息子の決意は荒唐無稽でなく、十分に可能性がある。なんだ、格差はあっても、そこには希望格差はないではないか。 こうした能力を主因とする格差は、この少し後に観た映画「リチャード・ジュエル」の方でより強く感じた。ちょっと知恵遅れぎみのジュエルと彼に唯一対等に接してくれた弁護士との会話の中で、「オレはあんたのようになれやしない。オレはオレだ」と叫ぶ場面があるが、それこそがまさに格差社会の下にいる者の絶望感ではないか。 それでは映画「パラサイト」で生活の格差は描かれているかというと、それもそれほど強烈には描かれていない。瀟洒な豪邸と半地下の狭い家という住居の格差は象徴的なのだが、それ以外では、食べるもの、着るものの差は描かれていない。普通に街を歩いていると貧乏だか金持ちだかわからない。映画の中で貧乏人の共通の「臭い」が言及される個所があるが、逆にいえば臭いでしかわからないということではないか。半地下という住居の貧困はあっても、腹をすかして、ぼろを着て…という衣食の貧困はあまり描かれない。 韓国では、韓国映画の快挙に国中がわきたっているという。けれども「パラサイト」には韓国の風景の美しさや伝統の素晴らしさが描かれているわけではない。誇るべき歴史や細やかな人情がでてくるわけでもない。そしてあの映画をみて、韓国に行ってみようと思う人もあまりいないのではないか。映画という芸術の一部門で自国の作品が認められたというのは喜ばしいことなのだろうけど、大統領をはじめ、国中であれほど大喜びするようなことなのかというと、どうもよくわからない。

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