にわか雨の際に傘に入れてやったことがきっかけで、遊郭の女と知り合い、その女の下にしばらくは通うものの結局は別れていく。そんな体験を私小説として描いたもので、これは遊郭が公然とあった時代の話であり、当時はこうした小説がけっこうあったのかもしれない。「雪国」もこの範疇の傑作だともいえよう。こうしたものは、書きようによっては下品な小説になるのだが、それを救うのがある種の詩情であり、「濹東綺譚」も盛夏から秋に向かう季節を背景に、まだ江戸情緒の残る向島の雰囲気が描かれている。今、このあたりを散策しても、小説を思わせるようなものは何も残っていないだろう。作中にでてくる玉ノ井稲荷を検索してみたが、これもすっかり現代風の神社となっていて、作者が描いたものとはおそらくずいぶんと違うようである。
角川文庫版で読んだのだが、ふんだんに掲載されている挿絵(連載当時のものだろうか)が非常に雰囲気があり、また、かなりの分量で作者の「贅言」なる後書きも掲載されている。贅言は、肩をこらずに書いた感じの雑文で面白い。当時(昭和11年)の風俗が事細かく諧謔を込めて書かれており、何かというと花電車なるものが走ったことや、アイスコーヒーやアイスティーが流行り始めたことなどの記述もある。後者については、本場ではそんな飲み物はないと洋行帰りらしく筆者はまゆをひそめている。東京音頭については、東京市が広くなったのを記念してできたものだが、贅言によると内情は日比谷の角にある百貨店の広告に過ぎず、その店で揃いの浴衣を買わなければ日比谷公園の盆踊り大会には入場できなかったそうである。ついでに盆踊り事情についても触れており、江戸時代には山の手の御屋敷の農村出身の奉公人に限って踊りが許されていたそうだ。今でも夏にはあちこちで盆踊りが行われているのだが、盆踊りや東京音頭にそんな歴史があるなんて知らなかった。
永井荷風はおそらく今では読まれていないだろう。父は尾張藩士から官庁に役人として勤めた人物であり、旧武士の中では秀才であり勝組であった。荷風はそれに反抗するように放蕩生活をしたが、一方で、当時はめずらしく洋行する機会も得て、その体験も小説にしている。こうした恵まれた体験や境遇がなければ作家として、これほど有名になることはなかったのかもしれない。
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