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カテゴリ:雑感
沖縄が復帰して今年で50年になるという。
沖縄については琉球という呼称もあり、本土との一体を強調する場合には沖縄、異質な点を強調する場合には琉球とよんでいるように見える。復帰前の統治機構は琉球政府であり、復帰後は沖縄県とよぶのはそのせいだろう。国立大学の名称が琉球大学なのは、琉球大学は米国統治下で設立されたものであり、戦前の沖縄には高等教育機関はなかった。 沖縄という名称について「椿説弓張月」では沖の倭国、つまり沖の方にある日本という意味だと説明した箇所があったが、学術的にはこうした説はなく、沖の方の漁場とかそんな意味が発祥だという。ただ、この沖というのは本土目線で沖という意味なので、本土目線の呼称と言えるのかもしれない。 椿説弓張月は源義家が沖縄に渡り、その子供の舜天丸(すてまる)が沖縄の王になるといういわば沖縄征服の物語であり、同じ江戸時代に書かれた国姓爺合戦が日本育ちの英雄が中国を征服するという気宇壮大な物語であるのと通じる。それ以外に、江戸時代以前の文献に沖縄が出てくることは少なく、本土の沖縄への関心はそれほどに強くなかったのではないか。 明治以降、そして戦後の沖縄復帰以降、沖縄と本土の一体化は急速に進んでいるように見えるし、様々な呼称でも沖縄が琉球を圧倒しているようにみえる。ただ、統計でみると、沖縄の所得水準は本土の他の県に比べても低いし、その割には物価は安くなく、住環境はむしろ悪い。住環境の悪さは多くの土地が基地として使用されていることも大きな要因であるし、他県に比べて圧倒的に大きい沖縄の基地負担を減らすことは急務であろう。 もっとも、基地のない平和な沖縄…という表現にはどうしても違和感がある。 基地がなければ、空から変なものが飛んでこないとでもいうのだろうか。むしろ逆なように思うのだが。あたりまえだが、ダンゴムシポーズや折り鶴、それに憲法の条文では平和は守れない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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