総理が「新しい資本主義」なるものを言い出した時、現在の資本主義に伴う格差や貧困の問題、いわばごく少数の巨富と多くの貧困層が生まれることを問題視していると思っていた。実業家として成功しながら資本主義の精神にも倫理が必要なことをとき、福祉事業などの弱者救済に尽力した渋沢栄一の子孫を検討メンバーに加えたことも期待を抱かせた。そうして鳴り物入りで始まった「新しい資本主義」検討会の報告書であるが、報道でみるかぎり、方向が違うとしか思えない。格差是正はいったいどこにいったのだろうか。
まず、投資の促進であるが、投資は投機やギャンブルとは違うとはいうものの、本質的には元本割れの危険を秘めたものである。だから投資というものはあくまでも余裕のある資金を回すもので、猫も杓子も投資となれば、自然、なけなしの生活資金を回す人もでてくる。そして残念ながらそうした人に限って情報に乏しく誤った情報を信じやすい。つまり余裕のない人ほど投資で損する可能性が大きい。そうした人々の損は即生活困窮となるだろう。つまり国民全体で見れば投資で資産が増えるのではなく資産に余裕にある人が増えると投資も増えるというわけである。
次に人への投資である。「魚を与えるよりも魚の取り方を教えろ」とはよくいわれる言葉であるし、全体的では正しいのであるが、個々の人間で言えば魚を受け取るのは誰でもできるが魚の取り方は誰でもできるようになるわけではない。公的な職業訓練を行うというのであればその中身が気になるところである。取りやすい資格や技術はそもそも待遇に問題のあるものが多く、むしろ待遇を改善してモチベーションを上げる方が重要ではないか。副業の容認や短時間勤務も、余裕の時間を能力向上にあてるなどは役人作文で、実際には本業だけでは食えない人が増えて、ギガワークで生活を補填する人が増えるだけのように思う。
がっかりの「新しい資本主義」であるが、野党があのていたらくなので、いくら不満層が増えようが、政権与党は安心していられるわけなのだろう。
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