かつてある凶悪な少年犯罪事件で、犯人たる少年が被告人質問で、殺した〇〇君の分まで長生きして幸せになるといった例がある。あの最近起きた神居古潭殺人事件で犯人の19歳女がマスコミに公表した手紙も、記事の見だしは「責任と重い罪を背負う」とあったものの、中味を読むと、言っていることは殺した〇〇さんの分まで長生きして幸せになると言っているだけのようにみえる。
「…勉強していて英語に興味がでてきたんです。…」として一日9時間から13時間勉強しているというあたりは、早期の出所と社会復帰、その先の幸せな人生を目指しているということなのだろう。おそらく「責任と重い罪を背負って生きたい」というくだりは弁護士の入れ知恵で、早く出所して幸せに長生きしたいというのが本音なのだろう。まあ、わからなくはないのだが、こうしたものをマスコミに公開したのは逆効果のように思う。
それにしても不思議でならない。国民のうちの誰が望んだのかもわからない裁判員制度なるものは事前の世論調査もなしに導入された。そしてまた、18歳成人というのも、諸外国との均衡ということなのだろうけど、なにやら突然に導入されたという印象がある。その一方で、少年法に関しては世論と制度との乖離がかなりあると思われるのに、改正の動きは遅々としている。18歳で成人というのであれば、18歳を超えた人間を特定少年などという変な日本語で呼ぶのは奇妙としか思われない。国政の代表を選ぶだけの判断力は18歳で十分であるというのなら、人を殺してはならないくらいの基本的な判断能力も18歳で十分に完成しているとみるのが普通ではないのだろうか。