|
カテゴリ:雑感
中学生の時の国語の先生が南総里見八犬伝の話をしたことがあった。それは、日本に近代文学が始まる前の悪い小説の例として…。曰く、登場人物が善玉悪玉に分かれていて類型的、曰く、高殿から落ちたところにたまたま舟があったなどご都合主義的なストーリー、しかし最後に先生はこうもいった。 「すごく面白いんだけどね」と。 明治になり、日本にも西洋風の近代文学なるものが芽生えた時期、やはり里見八犬伝のような小説が批判された時期があった。どうも、このあたりが、里見八犬伝があまり評価されていない最大の背景ではないのだろうか。源氏物語は、本居宣長が日本的美意識の精華として評価され、今にいたるまで多くの研究所や解説書、現代語訳がでている。これに対して里見八犬伝は文学としての研究は少ないし、それをもとにした漫画、小説、映像は多いがいずれも原作を大いに変えているものがほとんどだ。 実際に読んでみると登場人物は決して類型的ではないし、八犬士も昔の評論家が言ったような道徳の繰り人形ではなく、それぞれにキャラがたっている。 そんなわけで、八犬伝キャラの中で思いついたものをいくつか評してみる。 船虫 若くもないし絶世の美女でもないが、文学史上の稀代の毒婦とされている。最初は夫婦で旅人を襲う盗賊の妻(水滸伝の母夜叉に似ているが武芸の心得はない)、次は化け猫が変化した郷士の妻、さらに越後の盗賊団の首領の妻、最後は逃げのびた盗賊のかたわれと夫婦になり辻君になって客を襲う。まあ、悪いといえば悪いのだが、そこそこ美人で女にしては腕力があり、頭の回転が速く口が上手いという犯罪者は今でもいそうだなあ。例えば時効直前まで逃げ切った絞殺犯とかね。それに不倫とかはしていないし、逆に最初の夫の仇を執拗に狙うなど案外と貞女(最初の夫に対して)なのかも。 亀笹 これも悪役なのだが、欲深でいじわるというだけで、改めて読むとさほどの悪女とも思えない。親から捨てられた濱路を令嬢として育て、行き倒れの母の子の額蔵も下男としてだが幼児のうちから家にいれている。美男で遊び人の浪人の左母次郎は気に入っているが不倫をするわけではない。孤児になった信乃のところには話し相手にもなるようにと額蔵を派遣する。最後のところを除けば、そんなに悪くもないのでは…。 濱路1、濱路2、夏引 濱路1は薄命な美女で、親の悪行が子に報いで昔はこれで読者は納得したのかもしれないけど、新八犬伝などでは生きているという改変が多い。濱路2は幼児期に鷹にさらわれ、お姫様としての出自がわかり、お城に戻ってからも、化け狸にさらわれかけたり継母夏引の幽霊になやまされたりと美人は辛いよといった受難にみまわれる。特に気の毒なのは夏引が不良武士と不倫をしたうえ、父殺害にも関係し、おまけに濱路を売り飛ばすことまで考えるとんでもない女だったこと。ちょい役なのだが、夏引の悪女度はかなり高い。 音音(おとね) 武器をとっては大活躍の最強のおばあちゃん。水滸伝の梁山泊にも女性はいるが、おばあちゃん戦士はいない。若い女性にしなかったのは、八犬士の恋愛相手にならないための作者の用心なのかも。 他のキャラについてもおいおい書いてみよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年03月19日 14時11分21秒
コメント(0) | コメントを書く
[雑感] カテゴリの最新記事
|