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カテゴリ:雑感
南総里見八犬伝にはところどころに作者の付言がある。これをみると、里見八犬伝はすでに評判となり、江戸や大阪で歌舞伎や浄瑠璃になっているだけでなく、錦絵や神社の絵額や灯篭にも八犬士の絵が描かれていたという。それだけではなく、煙草入れ、うちわ、子供の腹かけにも八犬士の絵が描かれていたというのだから、昨今の人気アニメのキャラやグッズがあちこちで売られていたのと似たような状況だったのだろう。今でいえばドラゴンボールか鬼滅の刃のようなものなのかもしれない。 ところで八犬士の絵といっても、今日の漫画と違いイメージがわきにくいのだが、岩波文庫版には原本の挿絵も収録されており、読み本はふんだんな挿絵とともに娯楽として読まれていた。挿絵は浮世絵のような画風で、役者絵にも近い印象だ。ヒーローの八犬士は歌舞伎で人気役者が演じ、それがまた役者の人気、原作の人気を盛り上げていたのだろう。今でいうメディアミックスであり、江戸後期に、これだけの大衆文化の隆盛があったのは驚くほかはない。 里見八犬伝は偏見と独断で分けると以下のようになるのだろう。 結城合戦から八つの玉の飛散までの発端部分 八犬士の出現から親兵衛を除く七犬士の武蔵穂北への集合 第一の犬士である親兵衛の出現と反賊蟇田素藤の討伐、結城法要での八犬士会同 親兵衛の京上りとそこでの冒険 管領軍と里見軍との関東会戦 その後の大団円? それぞれに趣が違うのだが、一番人気のあるのは、芳流閣の決闘などがある二番目のあたりだろう。有名な場面もそこにあるのだが、よくよくみると、犬士達は、さほど強力な相手と戦っているというわけでもないようにみえる。ただ、歌舞伎などにすると面白いところなのだろう。 昔、読んだときには親兵衛が出て来てから急につまらなくなり、関東会戦の途中でリタイアしたのだが、どこでリタイアしたのかすら記憶にない。そのくらいに惰性で読んでいたのだろう。 今、関東会戦のところを読んでいるのだが、非常に面白い。 江戸時代には擬古典的なものが流行り、源氏物語もどきのものが共通テストにもでているようだが、擬古典のなかには軍記物もあり、ここのあたりは見事な擬古典の軍記物になっているようである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2025年03月19日 17時19分28秒
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