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カテゴリ:事件・犯罪
30年前サリン事件が起きた。 毒ガスを使った前代未聞のテロで、もし、あのサリンの純度が高ければ、国家の根幹が揺らぐほどの事態になったのかもしれない。 事件直後、二種類の人々がテレビ、新聞、雑誌を席巻した。当時はインターネットは普及しだした頃で、いわゆるオールドメディアが圧倒的に優勢な時代だ。二種類というのは、まず一つはオウム側のスポークスマンの人間、そしてもう一つはオウムウォッチャーといわれるカルト問題に強い評論家や弁護士、そして精神科医などだった。 オウム側の人間でテレビを席巻した人はなぜか人気者になって、女子高生のファンまでついたという。まあ、広報部長はなかなかの美形だったし、顧問弁護士も今でいえば韓流ドラマの脇役っぽい雰囲気があってむべなるかなであった。ファンについては非難する声もあったかもしれないが、視聴率がとれると思ってテレビにだせばそりゃあ、ああなるだろう。一方、オウムウォッチャーは多彩なようで皆似たようなことを言っていたと思う。あの犯罪はカルトの教祖に犯罪とは無縁の信者達が「マインドコントロール」されて起こしたという解釈である。信者は被害者だ、彼らを犯罪者扱いするのは問題なので破壊活動防止法適用には反対だ…という具合である。しかし、その「マインドコントロール」なるものの中味はいくら説明を聞いてもよくわからない。カルトはマインドコントロールをする、カルトとはそういうものだというのであれば、結局それはトートロジーではないか。 貧困、障害、社会からの隔離など、あの教祖がいかに自分の不条理な運命に憤りを感じたか、そして恵まれた人間にいかに憎しみを感じたかというのは、よくわかる。ただ、なんの専門知識もない教祖があれだけの犯罪を主謀したとは、思えない。 そしてまた、実行犯たちの心理となると、これはさっぱりわからない。何人かの幹部は「オウムと私」、「悔悟」などの本を書いていて、そうしたものは読んだことがある。ただ、読んでみてもわからないのである。教祖を非難しながら、なぜサリンを撒いたのか、その説明があまりない。 人間この不可解なるもの…サリン事件のあった季節になると、いつもこの言葉を思い出す。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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