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格差社会

2008年08月24日
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テーマ:ニュース(81577)
カテゴリ:格差社会
ネットカフェ難民に生活費、職業訓練費支給などという記事をみて、ようやく国も若年貧困問題に重い腰をあげたか・・・なんて思ったが、よくよく見るとこの予算では対象となる人数は150人ほど。
参照http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006
どうみても焼け石に水。国だってこれだけの施策を行っているのだから、貧乏なのは自己責任だよといわんばかりのアリバイ作りではないか。
それともこうした事業を行うこととなる組織の予算獲得か関連法人の延命が目的か。
ついつい疑り深くなってしまう。

そもそも憲法上の権利である生存権を守るのは生活保護だけではない。
そこに至る前に、まともに働いてまともに生活できるように様々な労働上の法規制があるはずだ。
ネットカフェ難民の何十人かのうちの一人に金を支給するのもよいけど、派遣業のばなし、ピンハネの上限なし、欧米に比べても低い最低賃金をなんとかするのも重要ではないか。
こんな格差社会や貧困を背景に蟹工船がブームとなっているが、今度は某漫画雑誌にこれを原作とした新作の漫画が連載されるという。
漫画の訴求力をなめてはいけない。
世の中の潮目は確実に変わっている。






最終更新日  2008年08月24日 08時51分57秒
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2008年07月22日
カテゴリ:格差社会
こんな話を聞いたことがある。
求人案内でただ「女性求む」と書くよりも「女性(美人に限る)求む」と書いたほうが応募者が殺到するのだという。
真偽のほどはともかくとしても、客観的な美人の比率よりも、自分は美人だと主観的に思っている自称美人の方が多いということなのだろうか。
よく差別語や問題発言が話題になるが、不思議にこの女性の容姿の優劣をギャグにした発言は問題視されない。
ある数学教師が生徒に集合論を説明する際、「デブはみなブスだが、ブスはデブとは限らない」という表現を使ったという。集合と補集合の関連を説明したわけだが、これを聞いた肥満気味の女生徒が母親に泣いて訴え、それを母親が教育委員会やマスコミに訴えて物議をかもしたという話もきかない。
つまり、多くの、というかほとんどの女性にとっては、「ブス」という言葉はあくまでも他人事なのであろう。

この「美人」というのと「実力」、「能力」というのはどこか似ている。
「能力に応じて処遇する」とか「実力主義」とか言えば、多くの人が無条件でよいものと思ってしまう。生まれや環境による差なら問題だが、実力や能力による差はあって当然だし、それはまったく問題にならないと、多くの人が思っている。
でもいったいこの「実力」とか「能力」とは何なのだろう。
潜在能力は神のみぞ知るものであり、人が認知する「実力」や「能力」というのは結局のところ目にみえる「成果」であり「実績」ということである。
となると「実力主義」とか「能力主義」というのは、「成果主義」とか「実績主義」というのとほぼ同じ意味になる。
もちろん、こうした成果や実績によって報酬や貧富に差がでることは否定しない。
しかし、その差が無限定に拡大し、多くの貧困層が量産されるような社会でよいのだろうか。
たしかに起業で成功する人間は、採用試験を落ち続ける人間よりも能力があるかもしれない。
同じ会社でも実績をあげる社員の方がそうでない社員よりも能力はあるだろう。
だからといって、不安定な就労でいくら働いても生存すれすれの報酬しか得ない人間が多勢いたり、賞与や昇給も無い社員が多勢いるような世の中がよいわけはない。

普通、女性で自分で正面から「ブス」と自認している人は少ない。
同じように人間は自分で正面から「能力が無い」とは自認しない。
そして無意識のうちに非「ブス」からの視点、「能力がある者」からの視点に自分を同調させて物事を考えがちだ。
美人かブスかはともかくとしても、本当は能力のない人間でも真面目に生きていれば人間らしく暮らせる社会が理想だと思うのだが、なかなかそうした発想はでてこない。
貧困者は能力が無い、スキルが無い、だからオマエが悪いだって…ふざけるな。
能力が無い、スキルが無い人間でも、健康で文化的な最低限度の暮らしをおくれるような社会こそが目指すべきものではないのだろうか。

こう書いたからって実力や能力による格差を否定するつもりはないし、能力やスキルをみがく努力を否定するつもりはさらさらない。
格差といっても、要はその程度の問題である。
それを考えると、昨今の格差拡大というよりも貧困層の増大は、民主的な先進社会を維持するという観点からは危険水域に近づいているように思われる。
ちなみに、以下のHPはこの問題についての、大変面白い論考で参考になる。http://blog.goo.ne.jp/rebellion_2006/e/329a39a4a9180d0cb7d5affef182e6ac






最終更新日  2008年07月22日 07時02分50秒
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2008年07月21日
カテゴリ:格差社会
ときどき思うことがある。
新聞や雑誌では高尚な言説がよく語られるのだが、世の中を現実に動かしているものは、きっとそんなレベルの高いものではない。
上部構造に対する下部構造、建前に対する本音といってもよいのだが、実際に世の中を動かしているのは、もっと別の感情であり欲求であると思う。
たぶんそれは経済にあっては欲望。
そして政治にあっては嫉妬ではないか。

中産階級が多く、満ち足りている人が多い社会では、この嫉妬という感情はそれほど政治の表面にはでてこない。
なぜなら有権者にとって「今の状態」が続くことこそが何よりも重要であり、面白半分にタレント候補が人気を集めることはあっても、現政権がみかぎられるということはまずない。
ただ、階層分化がすすみ、少数の富裕層と多数の貧困層に社会が分裂していくとそうもいってられなくなる。
現在、20代の半数は非正規雇用、本来は自分で生計を立てなければならないはずの30代前半男性でも3割くらいは非正規雇用者だという。
そして年収200万円以下の雇用者もついに1000万人を超えた。
その周辺には失業者や就労をあきらめ家にひきこもっている無業者もいる。
貧困層やその周辺、家族も入れたら、貧困や格差を他人事ではなく自己の問題と考える人は相当数に上るのではないか。
こういう人達が今後も政権党やその亜流のような政党に投票をしつづけるとは思えない。

それではいったいどんな政治勢力がこうした不満層の受け皿になっていくのだろうか。
それはなんともいえない。
一部にブームが取り沙汰されている政党だって、貧しい人のご飯には何の関係も無いお花畑的平和念仏ばかりを唱えていたり、新興宗教やねずみ講まがいの党員拡大ばかりに血道をあげていたら、案外流れに取り残されるかもしれない。
それよりもミンシュとシャミンが合体して再分配や労働者保護政策を前面にだして風を起こすなんていう方がよほどありそうなのかもしれない。
ただどちらにしても、そうなれば、こうした勢力にはものすごいネガティブキャンペーンが行われることだろう。
おそらくその効果は薄い。
○○党が政権をとればカンボジアみたいになっちゃうよ。それよりは安アパートでコンビニ弁当を食べていた方がよいのじゃない・・・といわれたって、さっそうとスーツを着てよい生活をしてそうな同世代に対する嫉妬の炎は消えない。
怠惰と嫉妬は低レベルのものだといっても、それもまぎれもなく人間性の一面であるのだから。






最終更新日  2008年07月21日 12時18分36秒
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2008年07月18日
カテゴリ:格差社会
よいとか悪いとかではなく…人はその人それぞれの立場で価値観や政治信条を形成する。
だからこそ一億総中流などといわれた時代には多くの人が政権党を支持し、政治の方も極めて安定していたのではないか。
逆に少数の富者と多数の貧困層を擁するような国では民主主義とは無縁の強圧政治が行われている例が多い。
そうしないと体制がもたないからである。

現在の日本で貧困層が増えているということがいわれる。
福祉とか治安の関連で論議されることが多いのだが、この問題は政治にも少なからぬ影響を及ぼすはずである。
日本は民主主義国で、これは後戻りできない。
となればセレブも一票、プカレタリアート(住所があれば)も一票である。
貧困者、弱者の最後の武器は投票権。
となれば格差拡大や貧困層の増大が、近い将来大きな政治変動をもたらす可能性だってあるのではないか。
デモや政治的テロで世の中が変わることはあまりない。
実際に政治、そして世の流れを変える最大の要因は民主国家では選挙である。
たしかに「貧困者の自己責任」や「能力差ゆえの格差の正当性」を唱える人は多い。
そうした人の多くは能力もあり、裕福な生活をおくっている人々のようにみうけられる。
問題は、そうした人々が考えることと、貧困者自身が考えることとはあくまでも別であるということ、貧困者自身がそうした人々と同じように考えるとはかぎらないということである。
マルクスが再評価され、蟹工船がブームになっている昨今の状況をみると、こうした自己責任論に異議を唱える流れが形成されてきているのではないか。

年収200万円以下の雇用者は1000万人を超えている。
これにその親族や失業者、無業者なども加えると、身近な問題として貧困や格差をとらえている人はかなりの数になるのではないか。
こういう人々がこれからも市場原理主義をおしすすめる現政権に投票しつづけるとも思えない。
また、多くの社会でみられるような貧困者の悩みや不満を吸収する社会安定装置としての宗教も日本にはない。
たぶん近い将来に大きな政治変動が起きることだろう。
それを考えると将来が楽しみのようなおそろしいような。






最終更新日  2008年07月18日 07時02分25秒
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2008年07月06日
テーマ:ニュース(81577)
カテゴリ:格差社会
当世では出産をするのも大変らしい。
なにしろ妊娠がわかった時点で産院を予約しておかないと入院できないというのだから。
それを怠っていると救急車を呼んだところで病院たらいまわし、あげくのはてには妊婦や生まれてくる子供に異変がおきるなんてことにもなりかねない。

それにそんな病院の問題をぬきにしても子供を持つのって大変だ。
若夫婦が子供を持とうとすれば二つの点について確信がないとまず無理である。
一つは10年後、20年後に必ず継続して収入があること。
二つはその収入が10年後、20年後には上がっていること。
20代や30代で増えている非正規雇用では、明日の収入すらままならず、子供どころか結婚だって難しい。
また、正規雇用だって年功序列の慣行が薄れている今日、入社当時の給与のままずっと働くはめになる可能性だってある。リストラされたり職場いじめで鬱になったりしなければ、まだましなのかもしれないけど、初任給の収入では子供を育てるのは不可能ではないか。
それに「正社員」ということでサービス残業なども目いっぱいさせられれば赤ん坊の世話などとても無理で、ことによると出産を機に仕事をやめた妻も養わなければならない。

そんなわけで何かにつけ「格差」がいわれる今日、出産自体も二極化しているような気がする。
収入が安定していて、その収入が増加していく見通しのもてるカップルでの出産と、いわゆるできちゃった婚的出産。
母親が就労しているほど出生率が高いというデータがあるが、これは三世代同居の農村型ライフスタイルばかりでなく、都会の均等法カップル、つまり安定した大企業正社員同士のカップルの間での出生率の高さもあるのではないか。政府の少子化対策の恩恵をうけるのも、ほとんどがこの層なのだから。
こんな高収入カップルの出産の一方で、収入の不安定のままに子供が生まれるできちゃった婚的出産は、どうも児童虐待や育児放棄などの温床になりやすいようだ。
出産の格差は、そのまま養育環境の格差につながっていく。
生まれたときから二極化した社会というのは、あまり健全ではない。

今度、消費者庁というのができるらしいけど、なぜ今、消費者保護なのか、さっぱりわからない。
数年前の家庭内のシュレッダーの事故や誰も腹をこわしたわけでもない賞味期限の偽装が大報道されたけど、これもこの役所をつくるための布石だったのだろうか。
でも、今、一番保護してほしいのは消費者ではなくて、雇用者だろう。
偽装派遣や過労死を起こした会社のトップが政府の政策を左右している現状では無理かもしれないけど、21世紀によみがえった蟹工船のような状況だけはなんとかしなければならない。
雇用者庁の創設。幹部は名ばかり管理職や二重派遣の問題で活躍した弁護士や運動団体から登用する。他の職員は再チャレンジ枠を広げて採用したらどうなのだろう。
そして厚生労働省の中の旧労働省系の部局は縮小の上、経済産業省に吸収すればよいではないか。
いい考えだと思うけど…。






最終更新日  2008年07月06日 09時06分14秒
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2008年06月22日
カテゴリ:格差社会
ちょっと気が早いかもしれない。
でも書くことにしよう。
次の選挙のことである。
マスコミは勝手に争点を決めるかもしれないが、本当の争点を決めるのは私達有権者だ。
そして、たぶん次の選挙の争点は格差と貧困・・・。

貧困の問題は多くの人にとって他人事ではない。
あの秋葉原の殺傷事件になぜ多くの人が関心をもったのか。
実際の犯人像がどうであれ、あの一見、普通の家庭で普通に育った普通の若者の犯行に現代社会の病理をみたのではないか。
学校を卒業しても就職ができない。
真面目なサラリーマンがある日突然辞職を強要される。
なにかのきっかけで職場で辞めてくれといわんばかりの凄まじいパワハラやモラハラがはじまる。
こんなのは多くの人にとって決して他人事ではない。
そしてこの社会はひとたび落ちると蟻地獄のようにけっしてはいあがることができない構造になっていることも知られている。
ワーキングプアや非正規雇用。昼夜も土日も関係なく働いても自分ひとりの口も養えないような世界だ。
昔からたしかに貧困はあったが、健康な人間が真面目に働いて自分の口も養えないような貧困なんて、平成の今日が初めてではないか。
「蟹工船の労働者には結婚して赤ん坊もいる。まだ、恵まれているのではないか。」というのも今の読者からのいつわらざる実感である。
蟹工船ブームについて、元総理の中曽根氏は「反政府活動をする力はないが、本をよんで癒されている」と語っていた。現状への不満イコール反政府活動という認識はいかにも古い。古すぎる。
蟹工船の読者、いやこうしたブームに共感している一人ひとりが選挙で一票をもっていることを、この長老はお忘れなのだろうか。

実は前回の自民圧勝の選挙も、隠れた本当の争点は格差と貧困だったのではとにらんでいる。
しかし、既成政党の中でこの格差や貧困の問題に正面から応えようとしたところはなかった。
イラクの子供の写真をかかげてイラク派兵に反対したり、平和憲法維持を訴えたり・・・。
それも重要かもしれないが、これでは絶好のホームランチャンスにバントのかまえをしているようなものである。
ここで利口だったのはやはり天才的な扇動政治家のコイズミだ。
彼は大衆の間に巣くう格差への不満、貧困への恐怖を、身近な国家公務員である郵便局員に対する嫉妬にすりかえることに成功した。
アンタ方はリストラや就職難で苦しんでいるのに郵便局員は税金でのうのうと暮らしているよ…というように。
いったん民営化法案が流れたときに、大喜びしている郵便局員の映像がニュースで放映されたが、コイズミにしてみれば、あれも計算のうちだったろう。
あの選挙直前、郵便局員の話をしながら「人間だから人の庭に蔵がたつと面白くないんだよね。ましてやその出所が税金となるとね。」と言っていたタクシーの運転手の言葉が忘れられない。

蛇足だが、今度の選挙でも夢よもう一度とばかりに「公務員たたき」を選挙の争点としたがる政党がでてくるかもしれない。
でもそんな手に何度も乗るほど国民はバカなのだろうか。
公務出張マイレージの一括管理。それをやれば民間会社でも同じことをやるようになる。
公務員のレクリエーションの撤廃。趣旨はわかるけど、これからは民間でも福利厚生費をけずっていくようになるのだろう。
無能な公務員はクビ。そうなると民間でもリストラの嵐はますます強まることになる。
いずれも自分の首をしめるようになるだけの話である。
※※
最近ちょっと怖いもの。
青少年に有害情報を提供するなという名目で「ネット規制」がされていくこと。
ネット機能のない携帯が推奨されるという話があるが、そのうち携帯ではネットはできないというのが一般的になるかもしれない。
フィルタリングも青少年だけではなく、「青少年も使うことができる」という名目で普通のネットカフェなどでも一般化していくかもしれない。
そもそもいったい「有害情報」てなんだろう。
偏った政治的意見も有害情報だなどと言い出したら、それこそ日本も中国なみの情報統制社会になってしまうかもしれない。
有害情報かいなかの判断を政府ではなく、民間団体にやらせるという方向のようだが、これだって政府の看板ではできない「偏った」有害判断がなされそうで怖いことである。
ネットで床屋政談を書いても誰も読まないなんて時代になると本当にいやなんだけど。






最終更新日  2008年06月22日 06時55分13秒
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2008年06月12日
カテゴリ:格差社会
格差や貧困の問題になると必ずでてくる議論がある。
それは自己責任論である。
スキルがないのが悪いという某政治家の発言などその典型なのだが、そうでなくても貧困や格差の問題については、「重要なのは機会の平等」だとか「格差は乗り越えられる」といった式の議論は多い。
たしかに高校の卒業証明と少々の金があれば、誰でも東大理3は受験できるわけで、そういう意味では「機会の平等」はあり、試験に受かれば「格差は乗り越えられる」のかもしれないけど、ちょっとそれは違うだろう。
某評論家が監督した映画「受験のシンデレラ」が格差社会の処方箋だなんて、悪い冗談にしか思えない。
それはともかくとして、そんな自己責任論の跳梁の中で自分を責め、自己嫌悪を募らせ、あげくは自己や他人に向けて暴発してしまう若者は多い。
本当のところ、彼らに必要なのは自己責任論でもなければ、「負け組」という烙印でもない。
連帯し、ともに社会を変えていこうとよびかける勢力である。
今、若者の半分は非正規雇用だという。
もちろん非正規雇用といっても高収入の人もいるし、全部が全部悲惨な境遇と言うわけではない。しかし、一方では現代のタコ部屋を髣髴とさせる話もあるし、低収入や過酷な労働や労災などの実態もある。
そろそろこうした人々の声がもっともっと大きくなってもよいように思う。
貧困についての自己責任論という呪縛はそろそろとりはらうべきときである。






最終更新日  2008年06月12日 21時59分57秒
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2008年06月09日
テーマ:ニュース(81577)
カテゴリ:格差社会
アキハバラでいやな事件が起きたけど、これについては銀塊うさぎさんの書いていることに同感…。
貧困の連鎖、そして暴発はこれからも社会のあちこちで起こるだろう。
新聞の社説や政党のポスターには、子育て支援や減税の文字が躍る。
でも、本当の貧困層にとっては子育てなんて夢のまた夢。
明日の生活をなんとかしてくれというのが本音ではないか。
ましてや地球環境なんて雲の上のテーマ。
アフリカなんとか会議ではアフリカの貧困解決を訴える市民のパフォーマンスがあったけど、日本人のホームレスはどうするのさ。
男女共同参画なんていったって、今や男女差よりも、男内、女内の格差の方がずっと深刻だ。
ワークアンドライフのバランスなんていったって結局それで恩恵をうけそうなのは公務員か大企業の社員くらいじゃない?
消費者庁といったって、なぜこの経費節減の時代に新しい庁などつくるのだろう?
庁ができれば、そこには会計課、総務課、人事課は必ずいる。役人のポスト対策にはいいだろうけど、消費者保護って新しくそんな組織を作らなならんほど緊急かつ重要な問題なのかしら。

今の日本の最大の懸案は格差と貧困の問題ではないかと思うのだけれど違うのかな。
「格差は活力」だとか「日本の貧困はアフリカよりもまし」なんて言っている人もいるようだから、政財界の認識は違うのかもしれないけど。
今や貧困は多くの人にとっては他人事ではない。
よくネットカフェ難民の問題などで、親の支援を受ければよいという意見があるが、逆にここにこそ問題の深刻さがある。
なぜなら、今日、子供と同居する高齢者といっても子や孫と同居する高齢者ばかりではない。
高齢者が成人した未婚の子供と暮らすという世帯が大幅に増えている。
そしてその未婚の子供の多くは一人で独立するだけの十分な収入のないケースが多い。
つまりネットカフェ難民というけど、その予備軍はもっと沢山いるわけである。

こうした格差の問題、貧困の問題を中心にすえて戦う政治勢力がでないと社会は直らない。
日本列島のあちこちから悲鳴があがっているのが聞こえないだろうか。
年収200万以下1000万人超、30代の半数が非正規雇用で明日の生活設計もたてられない。
いったいこんな国に誰がしたのだろうか。






最終更新日  2008年06月09日 22時43分38秒
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2008年06月08日
カテゴリ:格差社会
冷戦が崩壊したとき、多くの人は共産主義は過去のものになったと思った。
当時様々な人が共産主義理論の欠陥をあげつらったが、最も多くいわれたのは次のような点ではないか。
人には能力の差がある。
それなのに結果の平等を唱える理論はおかしい。
能力に差があれば結果に差があってあたりまえではないか・・・と。
また、平等には機会の平等と結果の平等とがあって、機会の平等は崇高な理念だが、結果の平等は「悪平等」だという人もいた。
この結果の平等イコール悪平等、機会の平等は保障するが結果の平等が補償すべきでないという理屈が、今日でもよく言われる貧困の自己責任論と地続きになっているように思う。
機会の平等はあったにもかかわらず、貧困に落ち込んだ。
それは自己責任じゃないのというわけである。

本当にそうなのだろうか。
そもそも機会の平等と結果の平等とは、それほど別のものなのだろうか。
だいたい人は生まれを選べない。
古典的な身分社会が過去のものであったとしても、家庭の経済力や環境で人生が左右されることは否定しない。
そしてたぶんそれ以上に生まれ持った身体条件や能力、そして運によってでも人生は変わってくる。
そうした意味で厳密な機会の平等なんてありえないということになる。
機会の平等さえ確保すれば、結果の平等はどうでもよいという考え方はやはり間違っているのではないのだろうか。
現代、貧困にあえいでいる多くの人は自分を責めているという。
そうではない。
自己責任論からは進歩は生まれない。
貧困を生み出す社会のしくみに異議をいうときではないのだろうか。






最終更新日  2008年06月08日 18時59分23秒
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2008年06月07日
カテゴリ:格差社会
昨日の毎日新聞夕刊に蟹工船ブームについての中曽根総理の発言が掲載されていた。
以下のような発言である。
「ブームらしいね。フリーターなんかの境涯におる青年たちだろうね。全共闘みたいに反政府運動を起こす力はないが、心に時代や世の中に対する不満がうずまいておる。『蟹工船』を読むことで、仲間意識を持ち、癒やされるかもしれないな。これは自民党も民主党もない、政治家は考えないといかんよ」 http://mainichi.jp/select/wadai/news/20080606dde012040017000c.html
政治家は考えないといかんよの部分はそのとおりなのだが、「反政府運動をする力がないが読むことで仲間意識を持ち癒される」という部分にはちょっとひっかかる。
「蟹工船の惨状に比べれば今の貧困層はマシ」なんていうすっとぼけたことをぬかしている評論家よりはずっとまともなのだが、すぐに全共闘だの反政府運動だのを持ち出す感覚はいかにも古い。
今の時代、反政府運動などしなくても世の中は動く。民主国家だし、こればかりは後戻りできない。投票で政権だって変わる。何度も書いたけど、ネパールでだって選挙で王制が廃止され共産主義政権ができたことは中曽根氏も知らないわけではあるまい。
それに今の時代、政治活動はデモや集会だけではない。
ネットが登場して、一人ひとりの自発的な思いが発信できるようになったこと。
これも後戻りできない現実である。
そして、一人ひとりが思いを発信し、それが大きな流れになれば社会は変わる。
きっと変わっていく。

思えばオバマブームもネットで始まったものであり、当初はヒラリーこそが不動の有力候補とみられていた。
広がる格差や貧困に多くの人が他人事ではない危機感を感じている。それなのに政治家や御用学者はあいも変わらず、貧困は自己責任だといわんばかりの発言を繰り返している。財界人にいたっては「日本の貧困はアフリカよりマシ」なんていう人もいるくらいだ。
それをいうならネパールだって今世紀初頭のロシアだって、アフリカよりもましだっただろう。
蟹工船ブームは、貧困や格差の問題が、自己責任などではなく、人間らしく暮らせない社会のあり方自体の方に問題があるのではないかと問いかけるきっかけになったのではないか。

今後、おそらくこうした思いを受け止める政治勢力が大ブレークする。
それは多喜二の党とは限らないが、とにかく、ワーキングプアやフリーターとの連帯を実感させ、ネットをうまく使い、貧困や労働環境の問題に焦点をしぼって訴えかける政治勢力であることは間違いない。






最終更新日  2008年06月07日 18時14分08秒
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