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2019年01月06日
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カテゴリ:カテゴリ未分類

最近、やたらに「平成最後の…」という言葉を聞く。
昭和から平成に変わる時には、「昭和最後の…」なんて言葉は少なくともテレビではいえなかったのと対照的だ。昭和時代の激動に比べると、平成時代は二度の震災とオウムのような大事件があったものの、ずっと平穏に過ぎた印象がある。そしてなによりも、平成時代には一人の「戦死者」もでなかった。
新元号の予測なんてのもネット上には散見されるが、比較的画数の少ないよい意味の字であること、イニシャルがMTSHのように明治大正昭和平成とかぶることのないものであること、二文字であるがすでに熟語として使用されているものでないこと…という条件を付すると、それにあう候補はそれほど多くない。
それに、よい意味とされている字であっても、安は女が家にいる形であるので、今日の時代にはふさわしくないとか、道は路上に首をたてて目印にしたことに由来するのでふさわしくないという意見もあるようだ。また、文永の役、天明の飢饉、安政の大獄のように、戦乱や不吉な事象について語られる元号と似たものも外されそうである。
もうすでに検討され案はしぼられているのだろうけど、さて、どうなるやら。
それにまた、かつての改元と今度の改元で異なる点が一つある。それはネットの普及である。平成改元のときでさえ、ネットはほとんど普及していなかった。ネットの普及により、誰でも意見を言えるようになり、そしてそれは瞬時に拡散していく。マスコミが口をそろえて言っていることと、ネット民の多くが発信していることとはイコールではない。国民生活の便宜を考え、元号使用の継続を考えれば、新元号の発表など早いほどよいにきまっている。それをやらないのはなぜなのだろうか。おそらく発表をすると、マスコミはともかくネット上では議論がわきおこり、この元号のこの文字を使っていた年にはこんなことがあった、あんなことがあったというような議論がやまないと思う。そうしたネット民の反応を極力抑えたいのかもしれない。
本日の部分日食…かつてのような黒下敷きはなかったので、マスクの包装袋を重ねて観ることができた。そのあとは急に雲が広がって来たので…間に合ってよかった。新年だの元号だのに関係なく、地球も月も太陽もめぐっている。










最終更新日  2019年01月06日 17時17分44秒
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2019年01月04日
カテゴリ:カテゴリ未分類

箱根駅伝の視聴率が好調のようだ。
これはコンテンツそのものがよいというよりも、他に観るものがない…というのが大きな理由ではないのだろうか。
昔は「新春スターかくし芸大会」というのがあって、紅白の延長で炬燵を囲んで視聴というのがけっこうあったようだ。あれはいったいいつなくなったのだろう。女性タレントのラインダンスとか男性タレントの南京玉すだれ、それに中国語劇とか…けっこうマンネリだったようにも思う。それにまた、「スター」というのも言葉自体が消えてきているのではないか。「いつでも会いにいけるアイドル」はスターとはいわないし、バラエティ番組でコメントをする正体不明の人々もスターには程遠い。
駅伝ならテレビをつけっぱなしでも邪魔にはならないし、あれだけ大学が出場していれば、本人、あるいは親族の誰かが通っている大学というのも普通にある。走るコースも東京に住んでいればなじみのある場所だし、沿道に応援に出れば、自分が写っているかどうかを確認するという人もいる。
個人的には、ああいうのは単なる交通妨害にしか見えないし、放映している側もなんか「タスキがつながらなくなる」というドラマをどっかで期待しているみたいな気がする。それにしても、いつも不思議に思うのだが、駅伝の大学のカラーというのがすこぶる意味不明である。プルシアンブルーというのはどんな青でプルシアンとは何の意味なのだろうか。プラウドブルーも同様。なんでプラウドなんだ?フレッシュグリーンはなんとなく若葉の色というのは分かるが、英語にこうした表現はあるのだろうか。なす紺というのは非常にわかりやすいのだが、分かりやすすぎないか?ダサいという声はないのだろうか。これが鉄紺となると分かったような分からないような…。

あとよく駅伝で「一般入試で入りました」と選手を紹介しているが、一般でない入試とはスポーツ推薦であると思われる。一点二点で合否が分かれる入試で、大学の宣伝になるスポーツ選手を優遇して入学させるのは当然のように行われているのに、大学にとって経済的利益になる多額の補助金を出して入学すると「裏口」として指弾される。なんかおかしくない?







最終更新日  2019年01月04日 23時49分53秒
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2019年01月03日
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謹賀新年明けましておめでとうございます

日本の伝統とか習慣といわれるものも案外と新しいものが多い。
それはそうだろう。人の記憶は限度がある。小さい頃から慣れ親しんできたものを古くからある伝統と思っている場合も少なくない。年賀状も、これが風習として普及したのは戦後になってからだだと思う。だってそうだろう。オール印刷の年賀状は資源の無駄ではないか。年賀状の枚数が減少傾向だというのだが、それも時の流れで仕方ないことのように思う。
そういえば子供の頃には新年の挨拶まわりという風習があった。
お正月に上司の家に挨拶に行くのだが、今では、よほど親しい間柄か親戚でもない限り、他人の家に行くなんてことは考えられない。そういえば、最近の家には「客間」とか「応接間」というものもないようである。
晴れ着、羽根つき、福笑い、双六…こうしたお正月行事も実際にはあまり見なくなっている。
結婚しない人が増え、子供の数が減っているのでこれも当然だろう。
不思議なのは、こうした正月行事が地味になっていくのに、おせち商戦だけは盛況なことだ。伝統的なものだけではなく、西洋風のおせちとか中華風のおせちとかいうのもでている。いずれも一人では食べきれないような量なので、単独世帯や二人世帯が増えている世相の中で、何故とも思う。売る方にしてみれば儲けが大きいのは分かるのだが、それも需要あってのことなのに。






最終更新日  2019年01月03日 11時00分05秒
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2018年12月31日
カテゴリ:カテゴリ未分類

ある方のブログで韓国ドラマはなぜ人気があるのかというテーマを扱っていた。
これに対する自分なりの答えは「面白いから」であり、なぜ面白いかについては「俳優が上手いから」ではないかと思う。
善い悪いは別にしてだが、日本の芸能人はスターやアイドルという側面が強いように思う。
視聴者や観客は歌唱や演技という芸を見るのではなく、ステージの上で歌う〇〇や△△に扮した□□を見る。これが落語だと、いくら人気の落語家であっても、期待されるのは落語という芸であるのと大違いだ。
だから…というほど、日本のドラマを見ているわけではないのだが、日本のドラマでは、脚本やストーリーでも、スターやアイドルのイメージを落としてはならないという制約がけっこうあるのではないかと思う。ましてや出演を機にさらなる飛躍を目指そうとする芸能人は、なんとかイメージアップにつながる役を得たいと願うのではないか。よく「実力派歌手」とか「演技派女優」なんて言う言葉をきくが、これも歌唱力や演技力のないスターやアイドルが普通にいることの裏返しのように思う。そうした制約があるので、自然と物語は好感のもてる善人や優等生、そして設定も地のままの演技でもできるような話が多くなる。
これに比べると、韓国ドラマでは意地悪な役や悪役がでてくることが多い、そしてスター俳優や女優もそういう役をやる。また、現実にはありそうもない設定や波乱万丈のドラマも多い…というよりも、今まで見た韓国ドラマのほとんどがそうである。そして、そういうストーリーに説得力をもたせるのも俳優の演技である。今、視聴している「シグナル」も壊れた無線機を通じて現在のプロファイリング専門の刑事と過去の時代を生きる刑事が交信するというストーリーだが、これも一歩間違えるとばかばかしいだけの話になってしまう。
正直、冬ソナブームの頃にはくだらないと思っていた韓国ドラマなのだが、実際に観てみるとクオリティが非常に高い。

皆さま、どうかよい年をお迎えください。








最終更新日  2018年12月31日 08時00分34秒
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2018年12月26日
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今年一番印象的だった出来事はオウム真理教事件関連死刑囚の処刑だろう。
オウム実行犯の心理はどう考えてもよくわからない。
そもそもなぜ入信したのだろうか。
人生と世の中が不条理なものである以上、宗教の需要は必ずある。貧、争、病を背景にして昭和の新興宗教は信者を増やしたというのだが、それは伝統宗教も事情は似ている。習俗としての信仰?は別にして、人生の不幸を契機にして宗教を考えるという人は世に多い。
けれども、オウム実行犯にそれほどの人生の不幸があったとは思えない。なんとなくむなしいとか、超能力に憧れてとか、そんなことが背景にあるのだったら、それは一種のぜいたく病のようなもので、信心のおかげでどん底から救われたという巷の宗教とは全く異質である。
そして犯罪の動機となるとさらにわからない。よく閉鎖された情報空間の中でのマインドコントロールがいわれるが、信者たちはある時期までは普通に生活しており、いくらオウムが閉鎖的集団であっても、独裁国家や砂漠の中のテロ集団とは違う。このあたりの心理は実行犯の医師(無期懲役)の手記などを読んでもよくわからなかった。
そういえば昨日だったか東京新聞に死刑制度についての社説が掲載されていた。
ヨーロッパでは死刑が廃止されているが、フランスでの死刑廃止は意外に遅い。
世論調査では大多数が死刑制度に肯定的だったのだが、時の大統領が世論よりも良心に従って死刑を廃止したという。東京新聞の論調はこうした決断に肯定的のようなのだが、世論に反することを承知の上で唱えられる死刑廃止論というのは偽善的で選民思想にこりかたまっているようにしか思えない。
オウム実行犯の処刑はあまりにも遅すぎ、「犯人達は松本サリンで死んだ息子の年よりも獄中で長く生きた」という遺族の言葉には実感がこもっている。
またオウム実行犯の処刑の前に市川一家4人殺害の関光彦の死刑執行もあったのだが、これも、残された遺族が事件に区切りをつける必要を考えると遅きに失したように思う。







最終更新日  2018年12月26日 06時00分06秒
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2018年12月25日
カテゴリ:カテゴリ未分類

ふるさと納税というのをやってみた。
たしかにやってみると、誰かが言った「ふるさと納税をやらない奴はバカだ」という言葉も納得できる。
そうしたよさが認識されてきたせいか、最近ではふるさと納税の申し込みが殺到しているという。
これには手軽に申し込みができるサイトが出現したことが大きいだろう。
けれども…とさらに考える。
ふるさと納税は住民税を「ふるさと」とする自治体に支払う制度である。
だから住民の実数以上に税をうけとる自治体と逆に税が流出する自治体とがある。
東京都のある区では、保育園を一か所運営するくらいの税金が流出しているという。
それでも、A市の住民のために使われる金がB市の住民のためにつかわれているのならまだよい。
ふるさと納税を集めるためには、そうしたwebサイトへの掲載が必要なのだが、それはもちろんタダではないだろう。返礼品は地元業者を使うので、まあ、地元に金が回るのかもしれないけど、宅配便業者にも支払う金がいる。
となると、本来なら住民サービスやA市にしろB市にしろ自治体の行政に使われる金額のかなりの部分が、webを運営する会社や宅配業者に流れていることになる。なんかこれっておかしくないのだろうか。国税だけではなく、自治体だってどこも財政が厳しいのに。







最終更新日  2018年12月25日 06時30分06秒
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2018年12月24日
カテゴリ:カテゴリ未分類

アカデミー会員との懇談の後はENA時代の仲間たちとのパーティー。ところで大衆どもは何を騒いでいるのだね?
は、ガソリンが買えず、このままではクリスマスも祝えないと騒いでいるので。
ふっふふふ…ガソリンがなければ電気自動車に乗ればよいのに。
なんて台詞をついつい想像するおフランスの黄色いベスト運動。いったい今はどうなっているのだろうか。
閑話休題
最近、ひょんなことから精神障碍者三級という方と知り合う機会があった。
障碍者三級というと支障は少ないのだが、それでも身体的障害であれば客観的判断ができる。例えば人工股関節を入れれば身体障碍者三級なのだが、これは物理的に人工股関節が身体にあり、それなりに座る際に難があったりもする。けれども、精神障害となると、もっとファジーで障害と健常の差異はわかりにくいのではないか。
そういえば戦前、「神経衰弱」という病名が多用された時代があった。
推測なのだが、神経衰弱は病気というよりも、もっと広い意味でつかわれ、医師の診断も乱発されていたようだ。今ではこの病名はトランプゲームの名前に残るのみで診断としてはほとんど使われていない。
また、ひところ言われた「ノイローゼ」とか「心身症」という言葉も最近ではあまり聞かず、これも病名としてはやりをすぎたのだろうか。
もしかしたら精神病の中には、痴呆、幻覚幻聴、奇矯な行動のような明らかに「異常な症状」というものがあるのは否定できないのだが、それ以外はかなりファジーなもののように思う。
実際に会った精神障碍者三級という人などはいったいどこが障害なのか、正直よくわからなかった。
障害認定は支援など本人の利益になる面もあるが、その一方で、「障害」というレッテルが人生の選択を狭めることもある。
ハンセン病の隔離政策や障碍者の不妊手術など、当時はもっともなこととして行われても、今になっては、人権侵害だとして批判されている。精神障害の認定の中には、将来、不必要に精神障害のレッテルを貼ったと批判されるようなものはないのだろうか。







最終更新日  2018年12月24日 07時46分57秒
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2018年12月19日
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時代や生活環境によって障害の定義は違う。
極端な話、人類の祖先が樹上生活をしていた頃なら木登りができなければ、それは間違いなく障害者だし、生きていくのも難しかっただろう。そして人類が樹上生活を止め、様々な場所で生きていくようになれば、それによって求められる能力も違ってくる。近眼など現代生活ではさしたる障害ではないのだが、狩猟や牧畜で生きてゆくような社会だったらこれも立派な障害である。
こうして時代の変化によって、かって障害とされたものが障害ではなくなり、かわりに新しい障害の定義がでてくる。最近、アスペとか発達障害などという言葉をきくが、これも、少し前にはなかった言葉である。
出現率が高く、しかも治療法がないとなると、こういうものってそもそも障害といえるのだろうか。
定義をみると、昔だったら「変わった人」というのはたいていこれに分類されるように思う。
確かにそうした人はその人なりの「生きにくさ」があったのだろうけど、じゃあ、障害の診断を下せば生きやすくなるのだろうか。どうもそうは思えない。むしろ学校や職場でアスペだの発達障害だのが、排除のためのレッテルに使われているのではないか。
推測だがこうした人々というのは「人物重視」の採用をすれば面接などでまっさきに落とされる人々である。就職できず、社会とのつながりを断っているうちに、ますます症状が亢進していくこともあろう。となると、しばらく前にはほとんど聞かなかったアスペだの発達障害だのという言葉が言われるようになったのは、就職できない人々、まあ、ありていにいえば面接で採用したくないような人々を「障害者」という枠でくくろうとする動きではないのだろうか。






最終更新日  2018年12月19日 09時43分50秒
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2018年12月14日
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本格的な冬の訪れとともにあちこちでイルミが点灯し、花のない季節に華やぎをもたらしている。
そんなイルミの中でよいと思うところをあげてみる。
まず目黒川のイルミ。これは目黒川沿いの桜並木に点灯したもので、ピンクの色が珍しい。
冬の花見といった風情で、大崎駅から少し歩くとみることができる。
見に行ったときには、桜の葉はまだ散っていなかった。桜の木も紅葉するし、一枚一枚の葉はなかなか綺麗だと思うのだが、桜の紅葉はさほど愛でることもないようだ。
もう一つは京橋の東京スクエアのイルミ。これは金一色が上品な感じだ。そして繁華街とは距離があるのであまり人通りもない。
そして有名な六本木の欅坂のイルミ。これは青い色が印象的ですっかり東京の名所になっている。
イルミがではじめたときには、色とりどりのネオンサインをイルミに置き換えたようなものもあったが、最近ではイルミならではの幻想的な光景を演出したものが多く、楽しませてくれる。






最終更新日  2018年12月14日 20時08分57秒
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2018年12月13日
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湖東三山の翌日は京都の寺を詣でた。
本法寺、清水寺、そして光明寺である。清水寺は有名であるが、本法寺と光明寺は観光客がおしかけるようなことはなく、静かであった。
本法寺は大きな涅槃図が有名なのだが、通常展示してあるものはレプリカである。本物は3月15日から4月15日の間にしか展示しないのだが、レプリカでも本物と変わらないそうだ。涅槃図もよかったのだが、石庭もよかった。岩の白い模様を滝にみたてた枯滝などは発想として面白い。
光明寺はもみじ参道が見ごろになっていて、紅葉のトンネルを歩くようであったが、もうこの頃になると紅葉になれてしまって、当初の感動が薄くなってきたのが残念である。
実はその後、東京周辺で紅葉をみても、あまりきれいとも思えなかった。
清水寺は相変わらずの人出で、修学旅行シーズンに加え、外国人の観光客が目立つ。
前来た時にはなかった種類の店として観光客向けに着物を貸し出すというものがあり、そのせいか特に女性で着物姿の観光客が目立つ。こうしたものは東京の浅草寺周辺にもあり、最初みたときは。このあたりでは着物が流行っているのかと思ったがものだった。多くはアジアからの観光客のようだったが、中には日本人もいて、若者にとっては着物もコスプレ感覚なのかもしれない。
清水寺はけっこう坂がきつく、着物に草履であるくのは大変ではないかと余計な心配をしてしまうのだが、観光客はけっこう格子戸をバックに写真をとったりして楽しそうだった。







最終更新日  2018年12月13日 07時00分08秒
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