一理ある国体廃止論&黄金茶碗盗難
浮かんでは消える議論に道州制の議論がある。今の47都道府県の枠組みは明治以来変わっておらず、その枠組みは今の時代にあっていないということが背景にある。道州制は今の都道府県に替えて道州を置くという議論なのだが、それを言い出すと甲論乙駁して収拾がつかない。道州制というよりも、今の現状をみると都道府県によって規模が違い過ぎるというのが問題ではないのだろうか。都道府県の中には人口が100万を切る県が10県もあり、一番少ない鳥取県では55万人となっている。東京の区でいえば、世田谷区が94万人、7番目の板橋区でも58万人である。人口でいえば中堅の区程度のところに、県庁があり、市町村があり、その市町村にそれぞれ市町村役場があり、議会があり、裁判所があり、国立大学があり、空港があり…となっているわけである。そのうち、小規模な県については合併という議論がでてくるのではないか。最近、知事から国体廃止論がでているというが、そういう主張をする知事は小規模県が多い。たしかに国体のような大規模な行事については県の負担は重い。もとい国体、今では国民スポーツ大会というのだが、これは別に大昔からあるものではない。戦後まもない頃に始まったもので、天皇の全国巡幸に替えて、天皇の巡幸する行事ということで始まったものだという。かつてはよく天皇が来られるから道路が一気によくなったとか、そんな話もあったというが、今はどうなのだろうか。見直し論にも一理あるように思う。※黄金茶碗盗難の話には驚いた。驚いたのは盗まれたということ自体ではなく、犯人が怪盗とは程遠いタイプで、れっきとした百貨店で警備員もいたのに、簡単に盗まれたということである。犯人はさっそく黄金茶碗を金に換え、最初の買取業者は他の業者にさっさと転売したという。貴金属買取はチラシやテレビでもさかんに宣伝されているくらいなので、けっこうな数の業者がいるだろうし、スマホ一つですぐに業者を探すこともできる。高齢化で、若い頃に買った貴金属や装身具はあるものの、使う当てもなく、贈るような子や孫もいないという人は多い。また、親の持っていた、こうした貴金属類を売って生活費の足しにしているような人も多いだろう。業者にしてみれば、もやし系の無職青年が黄金茶碗を持ってきても不審に思わなかっただろうし、マイナンバーカードで身分確認もしているので、贓物故買とするのは難しいかもしれない。ただ、うまく買い叩いたので、利益を確定させるために、他の業者にさっさと売ったということだろう。犯罪は社会の縮図であるという。そうだとしたら、この犯罪はどんな世相を反映しているのだろうか。