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格差社会

2011年10月03日
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テーマ:ニュース(79852)
カテゴリ:格差社会
ウォール街で起きたデモは全米に拡大をはじめ、当初無視をきめこんでいたマスコミもようやく報道をはじめたようだ。
アラブの春の民衆デモが、英国の「暴動」へとつながり、そして今回の米国のデモへとつながっていく。日本からみれば全くの異文化でしかない中東世界も欧米の感覚ではずっと身近なのかもしれない。米国の指導者達は、つい最近の英国の「暴動」の映像が目の前にちらつき、気が気ではないのではないか。デモが暴動に発展したらそれこそ悪夢であろうから…。
こうした米国の動きに対する日本のマスコミの扱いはひかえめだ。デモで何百人拘束といったように見出しだけをみると単に百人単位の規模であるかのように誤解させるような表現も目立つ。実態は7万人ほどの参加者があり、若者以外の者も多いという。
http://blog.goo.ne.jp/tarutaru22

資本主義は究極まで発展すると少数の資本家と多くのプロレタリアの階級対立が先鋭化し、やがては革命によって次のステップに移行する。
100年以上前にマルクスはこう語っているが、その大筋は正しかったのではないか。
ロシア革命や中国共産主義革命、東欧や北朝鮮での社会主義政権樹立。
あんなものはおそらく「社会主義」や「共産主義」とは無縁である。
旧政権を倒した勢力が自らを権威づける手段として社会主義思想を疑似宗教的に使っただけで、その結果できたものは党官僚が特権を享受する格差社会であり、しかもその地位は往々にして世襲もされるので、どちらかといえば中世社会に近い。
今の北朝鮮がよい例だろう。
しかも「社会主義」圏のほとんどは途上国やそれに近い国であったため、西側からの技術移転がとだえればしだいに立ち遅れていった。冷戦の勝敗は社会主義と資本主義の優劣と言った問題ではなかったのではないか。

もちろんマルクスは19世紀のひとであれがそのまま今に通じるとも思えない。
親が地主や工場主なら資本家階級で労働力以外に売るものがないなら労働者階級という分析もいかにも古い。
完全平等の千年王国たる共産主義社会も、不平等に生まれつき不平等を願う人間の性からすれば見果てぬ夢であろう。
しかし、資本主義の発展が途方もない格差と貧困を生み、しかもその貧困層の数がますます増え、その状態はますます悲惨になっていくというあたりは当たっているとしか言いようがない。
資本主義は機会の平等は保障できるが結果の平等は保障しない。優秀な人材の発掘は企業にとってもプラスなのだから。その結果社会は自らの能力、努力、運で富を手にできる者とそうでない者とに二極分解していき、当然ながら圧倒的多数は後者である。
そうした貧困層はやがては社会に対して異議申し立てをしはじめ、革命という形をとらなくとも社会は崩壊し、国家は衰退していく。いうなれば一等船客もまきぞえにしながらの船の沈没である。

唯物論者のマルクスはもちろん霊などは信じないだろう。
でも、きたるべき社会主義革命を確信し、資本主義の先端国家である英国に移住し、そこで不況がおこるたびに友人エンゲルスと祝杯をあげていたというマルクス。
今度の英国暴動ももしマルクスがみていたらどう思っただろうか。
やはり自分の理論は大筋では正しかったとうなずいているような気がする。
資本主義の発展はやがては多くの人から希望も人間としての誇りもうばっていく。
むきだしの資本主義のままだといつかはゆきづまり、国家や社会は自壊していく。






最終更新日  2011年10月03日 06時06分43秒
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2011年01月19日
カテゴリ:格差社会
ひとしきり雇用、雇用と騒いでいた菅政権だが、最近では消費税増税とTPPにまい進といったところのようだ。主要紙の声をそろえての翼賛社説もこれを後押しするのだからどうしようもない…。

さて雇用の方だがあの就職氷河期よりもよほど実態は深刻のようである。
こんな状況を反映して最近の神社には就職祈願の絵馬が目立つというが、今までなかった就職祈願なんて神頼みの領域が出てきたこと自体に雇用の問題が新たな局面に入ったことを示しているのではないか。戦前にも「大学はでたけれど」という時代はあったし、終戦まもない時期だって就職は大変だったろう。でも、そういう時代には、まだ農村共同体があったし、自営業を営んでいる親戚なんてのもけっこうあった。
職がなければ農作業を手伝えばよい、親戚の会社を手伝えばよい。全部ではないがそういうセーフティネットを持っていた人もかなりいたのではないか。それを考えると今の事態は深刻である。

求職者支援などの動きもいろいろとあるようだが、椅子にすわりたい人の数と椅子の数とが変わらない限り、座りにくさは同じである。卒業から三年以内を「新卒扱い」にしようが、就職活動の時期を遅らせようが、求職者に面接等の指導をしようが、なんの解決にもならない。
テレビで就職に苦戦している学生の映像が流れていたが、そう思ってみるせいか、要領の悪そうな学生、不器用そうな学生、友人が少なく人付き合いが苦手そうな学生がはねられているようだ。あと特に女子の場合には容姿も大きい。
よい悪いは別にしてかつての就職では大学の偏差値や成績で左右されたが、おそらく今は高度な専門知識でとる技術系は別にすれば、偏差値や成績だけではさしたる武器にはならない。なんというか、面接で受けの悪そうなタイプは徹底した性格改造にとりくむか、そうでなければ、身の丈にあった資格などで生きていくことを考えた方がよい。公務員試験というのもあるが、それも2倍、3倍の面接で最後は決まるようなので、いくら筆記試験をがんばっても、最後の結果は民間と同じことだろう。
なんとも生きにくい時代になったものである。
就活生に鬱になるものが多いというが、真面目に生きてきて、最後に社会からはじかれたら、そりゃそうもなるだろう。

いったいなぜこんなに就職が大変になったのだろう。
大卒の質低下ということがまことしやかに言われるがそれは違う。
大学進学率は上がり、たしかに若年層自体は減っても大卒の数は増えている。当然、全入に近い大学もあるわけだから質も低下しているだろう。でも、そうした大卒の数が増えたことが原因であるのなら、逆に高校の方は売り手市場になっていなければおかしい。ところが実態は高校も大卒同様の就職難である。
就職難の原因は「椅子」の数が減ったということに尽きる。
そういう意味では1995年に経済団体が発表した「新時代の日本的経営」というのがターニングポイントになったように思う。
http://www.h5.dion.ne.jp/~hpray/siryou/shakaikeizai/nikkeiren21.htm
この中で終身雇用として会社に置くのは基幹的社員だけでよく、他は外部労働力でまかなうべきであるとした。こうした経済界の意向を受け、派遣法の改正などの雇用法制の規制緩和が行われ、「椅子」は少なくなっていったわけである。
この「新時代の日本的経営」での労働力を三つにわける方向は、そのまま現在の基幹的正社員、定期昇給なしで過酷な残業を強いられる名ばかり正社員(使い捨て正社員)、派遣・バイトなどの外務労働力という区分にほぼ対応している。

民主党政権は自民党政権と同様、雇用の問題にまともに取り組むつもりなどはない。法人税減税が雇用の増加につながるなどというたわ言もちょっと聞こえていたようだが、法人税減税後も就職は依然として厳しい。
「正社員」の椅子は限定されており、それも、外国人留学生で埋めようという動きも加速しているようなので、これからは相当数の人が名ばかり正社員や不安定雇用者、ワーキングプアや失業者、無業者といった人生を強いられるようになるのではないか。
これでは将来、社会が崩壊し、国家が沈没するのもやむをえないような気がする。






最終更新日  2011年01月20日 07時16分24秒
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2010年12月19日
カテゴリ:格差社会
相棒の第8話「ボーダーライン」が反響をよんでいる。
http://genkinagochan.blog.ocn.ne.jp/doranyanko/2010/12/season98_e211.html
転落していく派遣社員の話であるが、これに多くの人が他人事ではない…という思いをもっているのだろう。
実はこのドラマはみていない。
ただストーリーをみる限りでは派遣の問題以外にもいくつかの現代的なテーマがうかびあがってくる。
まず、就職難という時代は戦前にもあったが、そうした時代と今との差は背景となる社会構造が全く変わっていることだ。かつては農業をはじめとする自営業が社会の中で大きなウェイトを占めていた。また、そうした農業社会の中で良い悪いは別にして地代のあがりで生活のできる地主層もいた。だから「大学をでたけれど」という昭和不況の時代には、職のない学生の多くは郷里にもどって農村で暮らしたり、自営業をやっている親戚のところで勤めるという選択があったのである。
第二に上記のこととも関係するのだが、親族間の扶助機能が脆弱になっているということだ。兄弟は頼れる時代ではないし、親にしても、その親世代に余裕がなくなっていれば、頼ろうにも頼れないだろう。それに加え、「家」という意識がなくなって、兄弟はいうにおよばず、親子といえども別の人生という感覚も強くなってきている。
第三にこれはロスジェネ世代の派遣社員の話だが、実際の予備軍はもっと広範囲であるということ。就職難や貧困の問題を特定世代に限定して語るような人もいるが、実はロスジェネ以後もずっと就職難は続いており、今また新氷河期を迎えているともいう。そして新卒採用の絞り込みは同時に社員のリストラなどとも並行して行われているので、単純な既得権益ある正社員の中高年と非正社員の若者という対立の図式でもない。さらにいえば、途上国も含め他の国にはあまり見られないような10日以上の連続勤務、月200時間以降の残業という過酷な勤務もまん延しており、そうしたところに勤務している人もまた、失業、不安定雇用予備軍ではないのだろうか。

いったいどこでどう間違えてこんな日本になったのだろう。
かつて冷戦時代、「社会主義革命の脅威」なるものが実在していた頃には、保守的な政治家にとっても財界にとっても「貧困の撲滅」が最大の懸案だった。
貧困こそは社会主義、共産主義の温床になると考えられていたし、国内にも日本社会党という政党があって、不満層が一定以上に達すれば政権はそちらにいくのではないかと思われていた。
社会党は万年野党と揶揄されてもいたが、自民党は福祉や雇用政策で適宜社会党の主張する施策を取り入れ、その結果として政権を維持してきたというのが実態ではないか。その意味で、戦後長く続いた体制は、自民党一党独裁というより、自民+社会党の長期政権というべきものだったのかもしれない。
思うのだが、国家として成功したかどうか、社会の在り方としてうまくいっているかどうかは最も数の多い中間層がどのような生活をしているかによるのではないか。その意味で一億総中流ともいわれていた頃の日本社会というのは最大に成功した国家のモデルであった。
当時のような社会に戻るのは無理であるにしても、貧困の拡散にストップをかけ、社会の崩壊をとめようとするのであれば、経済的弱者や勤労者の側にたった政治勢力が躍進するしか途はない。
おろかにもかつて自民党からわかれた人々が主導権をにぎる「民主党」にそんな期待を託した人もいたようだが、今となっては苦い後悔を感じていることだろう。
マスコミは今度は公務員バッシングや正社員バッシングの方に世論を誘導するかもしれないが、そんなものに騙されてもいけない。
本当の問題は、「経済的弱者や勤労者の側にたった政治勢力」というものがなかなか見えてこない…相棒の「ボーダーライン」の話を他人事だと思えない多くの人の感覚に合致する政党が見えない、こんなところにあるような気がする。
どうでもよいけどこうした政治家の先生方はハロワに並んでいる人達と車座になって話合い、そうした人達の思いや本音をきいてみてはどうなのだろうか。総理のはどうせパフォーマンスだろうけど、そういうのは真似した方がよいと思うよ。
山が動かないと、国も社会も沈んでいくばかりだろうからさ。
**
就職難でもう一つ気になる点。
民間企業に入れなかった学生の中には公務員試験の勉強を始める人もいるようだが、公務員試験もすっかり様変わりしているのはあまりしられていない。
いまや公務員も面接重視で学科試験を通ってもその先に2倍、3倍の面接試験がある。要は学科支援は単なる足切りで面接で決まるという意味では公務員も民間も同じになってるのである。
ありていにいえば、女性ならブスより美人が得、男でも石川遼の方が誰誰(自粛)より得という図式である。
せめて公務員試験くらいは公平で私見の入らない学科重視で行えばよいのだが。
**
「政治について」や「ニュース」のテーマで同じ人が多くのエントリーをしている。同一人のエントリー回数というのは制限できないのだろうか。






最終更新日  2010年12月19日 10時42分19秒
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2009年02月03日
カテゴリ:格差社会
いまだにこういう議論があるとは驚きである。
「いくら不景気だといっても餓死者がいるわけではなく、努力しだいでどんな職業にも就ける、自由で豊かな諸外国と比べて格差の少ない社会であることはいうまでもない。」
今の日本を評した文章である。
出典をいえば今月号の「諸君」に掲載されていた「宮崎駿監督、どさくさ紛れの嘘八百はやめてください」という文章で筆者は山際澄夫である。

不景気や貧困といっても餓死者や凍死者がいるわけではないという発言はこれに限らずあちこちにみられる。
日本の貧困はアフリカよりマシという某有名女流作家や経済界の重鎮の発言もこれにつらなるものだろう。
現実には餓死や凍死はある。
餓死のニュースはちらほら報道されているし、ホームレスなどの凍死はたぶんニュースにもならないだけだろう。上記のような発言をする人はこうした事実が目に入らないのだろうか。
それにたとえ餓死や凍死をしなくたって、人は「餓死や凍死」をしないために生まれてくるのではない。貧困のレベルが人としての尊厳を保持し、健康で最低限度の生活にみたないものであれば、それはそれで問題であろう。

努力しだいでどんな職業にも就ける。
これは中学生でも聞いたら笑い出すのではないかというくらいの明らかな嘘である。
言った本人ですらたぶんこんな言葉は信じていまい。
思うに日本ではこうした建前としての努力信仰が強すぎ、それが貧しいのは努力不足のせいだといった貧困の自己責任論につながっているように思う。
努力ではどうにもならない部分が多い。だからこそ皆人生には苦労しているのである。
努力しだいでどんな職業にも就けるものなら、日本社会はスポーツ選手とタレントであふれていることだろう。

日本が自由な国というのも、どこと比較してということだろう。
確かに公開処刑や強制収容所のあるところよりは自由だろう。
しかし他の民主国家と比べた場合、集会やデモの規制、総理邸宅見学ツアーや新聞投函で逮捕などという実態をみる限り、とてもそんなに自由な国だとも思えない。
不況をきっかけにヨーロッパなどではあちこちでデモが起きているようだが、日本でああいうデモがあれば、きっと逮捕者がでるだろう。
格差についても、同様にどこと比較してという話である。
文化や社会風土によって格差の認識は違う。
もともと皆が平等であるべきであるという規範や感覚の強い社会ともともと不平等は当たり前ということを前提とした社会では、同じような格差でもその受け取り方はずいぶん違うはずだ。
たしかに地球上にはとんでもない格差があって、それでもそれなりに安定している社会というものはある。たぶんそういう社会では多くの場合、宗教などが安全装置の役を果たしているのではないのだろうか。画面いっぱいの多勢の人がいっせいに祈りをささげる場面などがテレビでよく紹介される。もし人間が絶対神の被造物だというのなら、人には努力などを超えた差があるのはあたりまえであるし、来世の平安は富者にも貧者にも平等に開かれているのであれば、それは現世で苦しむものにとってはこよなく慰めになることであろう。






最終更新日  2009年02月03日 08時16分02秒
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2009年01月04日
テーマ:ニュース(79852)
カテゴリ:格差社会
厚生労働省の講堂に設けられた派遣村・・・5日の朝までに退去という方針らしいが、そう簡単にことがはこぶわけがない。
昨年の秋以降、住居と職の両方を失い寒風ふきすさぶ街に放り出された人が多勢いる。
頼みの給料も寮費などをひかれて逆にマイナスとなっている例もあるという。
派遣村のニュースをみてもそこに行くだけの交通費のない人も大勢いることだろう。
また、派遣村に来る人の中には、元派遣以外のホームレスもいるだろうが、ホームレス化の危機にたつ人に手助けしてもすでにホームレスになった人には支援しないという理屈はなりたたないわけで、ホームレスを拒む理由はない。
つまりあの派遣村というのは、まだまだ膨張していく可能性がある。

かつては自己責任であり、個人の悲劇として黙殺されていたホームレスなど貧困層の問題が、大量派遣切りということを契機に一気に社会問題として噴出した感がある。
新自由主義の嵐の中で、安定した雇用も、あたりまえのようにあった労働者の保護もどんどん空洞化していった。
いまや雇用者の3分の1が非正規雇用。
年収200万円以下は1千万人超。
もちろんこの中には裕福な夫を持つ主婦もいるわけで、全員が全員困窮しているわけではないにしても、困窮している人が少なからずいることには異論はないだろう。
非正規雇用は経営側からみれば景気の調整弁という意味もあるので、ひとたび不況になればこんな問題が起きるのは当然予期できたはずだ。
20代や30代の元派遣の中には、親の住居に身を寄せている人もかなりいるはずなので、実際の深刻度はもっと高い。
あと10年か20年もしたら彼らの親は低収入の息子や娘を支えきれなくなる。
そうしたらさらに多くの人々がホームレス予備軍として街にはきだされてくるだろうから。
想像をたくましくすれば現在過酷な残業に追いまくられている「正社員」もその頃には体力の限界を感じ、低収入、定職なしの隊列に加わってくるかもしれない。
職も住居も失った元派遣労働者達による官庁講堂占拠といういささかショッキングな事態が日本の雇用政策の転換をうながす契機になることを望む。

こんなニュースとまるで時期をあわせるかのように新自由主義を標榜していた元政治家が他界した。
彼自身にまつわる興味深く哀しい話は下記ブログで紹介されている。
http://caprice.blog63.fc2.com/
失敗の責任をとらせるということを主張していた彼は、自身でもそれを実践したわけである。
彼のような元官僚の政治家を多数かかえていた民主党という政党もしょせんその本質は新自由主義政党ではないのだろうか。
自民の新自由主義的施策に疑問をもつ層が批判票のつもりで民主に票を投じようとするのなら考え直した方がよい。






最終更新日  2009年01月04日 14時28分42秒
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2008年12月21日
カテゴリ:格差社会
政府は雇用対策をいろいろと打ち出しているが、そのほとんどが解雇後に寮を提供した企業にナンボ、解雇された元派遣を正社員に登用した企業にナンボ・・・というように解雇された本人ではなく、企業に対する優遇策であることに注意。もちろんその出所は税金である。
現在、職と住居を同時に失う非正規雇用者の失業が大問題となっているが、あらためてこうした事態を招来した雇用の規制緩和、その背景となったコイズミらの真自由主義政策の罪深さを思わざるを得ない。
この年末年始、そして冬にかけて事件続発、もしかしたら暴動発生ということだってあるだろう。

世の中には賢い人がいろいろといて、こうした不満を横にそらそうという言論が必ずでてくる。社会の不満層の憤りを公務員にぶつけさせる公務員バッシングなどはほとんど定番となっている。
それを総選挙にうまく利用したのがコイズミで、次第に顕著になってきた貧困や格差の拡大に対する不満をうまく、最も身近な国家公務員である郵便局員に対する嫉妬にすりかえてしまった。
皆様は明日にもリストラされるかもしれないのに、郵便局員は気楽に暮らしていますよ。
皆様はサービス残業を余儀なくされているのに、郵便局員は定時で帰っていますよ。
本当の問題はリストラやサービス残業なのに、「公務員は恵まれていること」に問題がすりかえられているのである。
非正規雇用の問題についても、今後は「正社員が恵まれすぎているから」のような議論がでてくるかもしれないが、騙されてはいけない。

かつて渋沢栄一は論語と算盤ということを言っていたそうである。
論語はいうまでもなく士大夫、つまり権力や知識やもっている階層が人民を統治するための倫理を説いた書である。
士大夫は自らの支配する社会を安定させるためにも人民の幸福に気を配らなければならない。
今の財界人には算盤はあっても論語の方はないようである。
日本の貧困はアフリカよりはまし。
低賃金労働者が足りなければ外国人を入れればよい。
聞こえてくるのはこんな発言ばかりなのだから。

政府は3年後の消費税増税を明記するという。
社会福祉のために財源が必要なことは異論ないのだが、いったいなぜ消費税なのだろうか。
所得税の累進税率や相続税、法人税の議論が全く行われず、あたかも消費税しか選択肢がないような立論の立て方自体に、ものくごく恣意的な匂いを感じる。
もちろんこれを指摘しないマスコミにも。
ここわずか10年ほどをとっても富裕層に対しては非常に大きな減税が行われている。
なぜこうした情報がマスコミにはあまり載らないのだろうか。
http://www.news.janjan.jp/government/0812/0812143466/1.php






最終更新日  2008年12月21日 07時31分06秒
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2008年12月17日
テーマ:ニュース(79852)
カテゴリ:格差社会
雇用の問題がクローズアップされているが、労働法制を規制緩和し、非正規雇用を増やし続けた頃からこうした問題が起きることはわかっていたはずではないか。
企業は低賃金で雇用できるという利点のみならず、景気の調整弁として非正規雇用者を増やし続けた。
だからこそ好景気といいながらワーキングプアやフリーターが社会問題となっていたし、それが今回の景気悪化でどっと失業者として街にはき出されてきただけのことだ。
雇い留めにともなう住宅確保策として企業に金を助成するなんていう案もでているようだが、こうした企業に対する助成というものは、どこまで当の非正規雇用者に恩恵が及ぶのだろうか。いつも思うことだが、結局こうした策というのは税金を使って散々労働者を搾取してきた側を肥え太らせるだけの施策ではないのだろうか。
そうでなくとも一時的な策は根本的な解決策にはならない。
内定取消しを法で禁止すれば内定そのものを出さなくなる。
市役所では雇い留めされた労働者を臨時職員として雇うところもあるというが、今後もずっと雇い続けていられるのだろうか。
やはり根本的解決策は人材派遣業に対する法規制を強化するしかないのではないか。
一時論議された派遣業の規制の議論がこの期に及んであまりでてこなくなったように思うが、不思議でならない。
応急措置ももちろん必要だが、根本的な解決策はやはり労働政策全体の見直しや雇用面における規制の強化しかないのではないか。
ほおっておくと資本主義は必ず凶暴化する。
経営者や株主の利潤を極大化するためには人件費は安ければ安いほどよいからである。
もちろん社員を育成しなければ利潤にはつながらないのだが、ここまで産業が高度複雑化した時代には仕事そのものが高度な専門職や組織運営能力を必要とする仕事と比較的誰にでもできる仕事とに二極化されている。
だから無策のまま放置すれば、数の多い後者の仕事に向く人々(いうなれば凡人)は必ず不幸になる。
非正規雇用やワーキングプア、正規雇用であっても過剰な残業や低賃金の問題がそれである。
最大多数の最大幸福を願おうとすれば資本主義の暴走にもタガをはめなければならない。
それが労働法制であり雇用規制であろう。
それはまた「すべての人々の健康で文化的な生活」つまり憲法25条の理念を実現するためにも不可欠なものである。






最終更新日  2008年12月17日 07時42分19秒
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2008年11月03日
カテゴリ:格差社会
雇用問題を問う若者の集会を報じながら某大新聞はこんなことを書いている。
「票にならないと思うせいか歴代政権はこうした問題にとりくんでこなかった」と・・・。
歴代政権がとりくんでこなかった、というよりも規制緩和によってかえって問題を拡大深化されてきたことは事実だけれども、その理由は「票にならない」と思ったせいではあるまい。
こうした問題にとりくもうとすれば政界要人のディナーのお相手でもある財界の皆様方の利益に反するからだろう。
ごくごく小さいことかもしれないが、リベラル、サヨク的(あくまでカタカナのサヨクだが)と評される某大新聞がさりげなく「票にならない」と書いているあたりがちょっと気になる。
なんとなくこんな問題は「票にならない」、つまり有権者がこの問題を基に投票行動をするようなテーマではない、という刷り込み効果が危惧されるではないか。
そういえばこの大新聞がしきりに煽る「二大政党制」のもう一方の雄ミンシュもこの雇用の問題はとりあげていない。これは決して「票にならない」からではなく、財界のお歴々の利益に反することはしたくない・・・という点でまさにジミンと軌を一にしているからだけである。

いうまでもないが世の中の人間は皆大新聞の記者のような人達ばかりではない。
20代、30代の3人に1人が非正規雇用者。
年収200万円以下も1000万人を超えている。
もちろん中には経済的に安定した家のパート主婦もいるだろうけど、今の生活や将来に不安を感じている人も多いはずだ。
このほか、正規雇用者でも極端な残業で悲鳴をあげている人もいるだろうし、リストラなどの雇用不安を抱えている人もいる。
雇用の問題、そしてその先にある貧困や格差の問題は「票にならない」どころか、今後の政治地図を塗り替えるほどの「大政治テーマ」ではないか。

不況(今までが好況だったというのもあやしいが)の足音とともに新卒の就職も厳しくなりそうである。そんな中でこんな話をきいた。
最近では派遣業界の中で新卒派遣といって、いきなり大卒の新人を派遣に登録するところもあるのだという。
就職にあぶれた学生に、「スキルが身につく」だの「正社員への途がある」だのといって募集をかけるのだが、その派遣に登録すると、すぐに研修がはじまり、その研修料で何十万かをとられるそうである。
研修で給料を貰うのではなく、逆に金を支払う研修なんて・・・?
つまり派遣社員はピンハネだけでなく、入り口の研修からしてとことん「搾取」されるということだろうか。
こんな業界を伸ばし、ろくに規制もしてこなかった歴代政権の罪は重い。

さらにまたこんなことも考える。
昭和30年代、40年代の頃の貧困というのは階層性によるところがかなりあった。
貧しい若者は長じても貧しいことが多く、逆にある程度豊かな家であれば貧困は遠い問題であった。でも今は大学を出て、派遣会社に払う何十万かの研修料も親に工面してもらえる若者でも貧困予備軍、ワーキングプア予備軍になりうるということだろう。
そういえばアキバ通り魔も堅実な地方のサラリーマン家庭出身で両親は瀟洒な二階建ての家に住んでいたし、個室ビデオ店放火犯も何千万かの遺産を相続できる家に生まれた。
そうした意味で古典的な「社会階級」というのはかなり過去のはなしになっているのではないか。
もちろん貧困層の子供が貧困層にしかなれないという社会階層の固定性は今でもあるし、それが大問題であることは否定しない。
しかしだからといって機会の平等だけが問題だ、貧困の世代間連鎖さえ断てばよいという議論には与しない。
それにそもそも、機会の平等には、社会的階層の上位につく機会が平等であるという通常の意味の他に、貧困に堕ちる危険もまた平等であるという意味がある。
実はそこそこ余裕のある家の出身で大学まで出してもらえたような人が貧困層におちる危険は今ではかなりひろがっているのではないか。
いや、それどころか堅実で普通の生活をしていたサラリーマンがリストラなどであっという間に転落する例だってけっこうあるだろう。
貧困は誰の隣にもある。
そして多くの人にとって他人事ではないはずだ。

雇用、貧困、そして格差の問題。
これこそが今後の政治を考える上で、第一に視野にいれるべき問題ではないか。
「票にならない」なんて気楽に書いた記者の見識を疑う。






最終更新日  2008年11月03日 12時13分08秒
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2008年10月25日
カテゴリ:格差社会
最近、「格差」批判に対する再批判といった趣のコラムを読んだ。
一つは週刊誌Sに載った著名評論家のコラムで、人間の能力や努力に差がある以上格差は当然だということと、格差の少ない社会というのは日本の昭和20年代や30年代にみられた「特異な現象」であるといったようなことを書いてある。

人間の能力に差があるから格差は当然なんだということをいう人は多いし、現総理も著書でたしかそんなことを言っていた。
能力に差があるなどということはいまさらいうまでもないくらい当然のことだし、能力を十分に花開かせるためには相応の努力が必要なこともスポーツ選手などをみていれば明らかである。
だから、能力に関係なく人間を平等に扱えなんてことを言っている人はいないし、たとえいたとしてもごく少数であろう。あのマルクスだって「能力に応じて働き必要に応じて与えられる」社会と言うのは人類究極の進歩の果てに出現する共産主義社会でしか実現しないと説いている。
結果の平等は究極の理想にはなりえても、すぐに実現可能な目標にはなりえない。
だから格差そのものは否定しないが、問題はその程度である。少数の富裕層の対極に大量の貧困層が出現し、しかもその貧困層が増えていくような社会でよいのか・・・今、格差批判を行っている人の多くが問題視しているのはそこである。

また、格差の少ない社会は、日本の一定時期に見られた特異な現象という説も、その真偽はさておき、そのことが日本の競争力を支え、日本を経済大国におしあげたように見えることについてはどう考えているのか。
高い品質やサービスの質は、すべての社員が安定した生活を営み、会社と一体感をもって仕事をしているからこそ可能であろう。
よく格差拡大は国際競争に勝つためには仕方ないという議論があるがこれも疑問である。
世界に受け入れられ外貨を稼ぐような文化や商品は国内に厚い消費市場がなければでてこない。また、経済を支える内需だって、多くの中流層がいなければ拡大を望めないではないか。
そしてまた、犯罪や社会福祉需要など、貧困層が拡大すれば、本人の不幸ばかりでなく、社会全体の負担もはかりしれない。

もう一つ読んだ「格差」批判の再批判のコラムは産経新聞朝刊に載った著名な女性作家のものだ。この人は最近アフリカの貧困を紹介しながら、日本人は本当の貧困を知らないなどと書いているが、人が生まれてくるのはアフリカなみの生活を享受するためではない。
ネットカフェ難民やワーキングプアにむかって「あんたたちの状態はアフリカよりもマシなのよ」と言ってみたところで意味はない。
ちなみにこの日本の貧困はアフリカよりもマシなんてことは、経済界の重鎮も言っているようである。評論家の言葉ならともかく、国の施策を左右するような経済界の重鎮がこんな発想でいるようではちょっと怖い。
※※
昨日久しぶりにタクシーに乗った。
金曜日の夜なのに走っているのは空車ばかりでつかまえるのに苦労はない。
小生もそうなのだが、どうしてこんなに皆タクシーに乗らなくなったのだろうか。
景気が悪い、収入が伸びないということもあるだろう。
でもそれだけではなく、なんかタクシーそのものに対する安心感のようなものがなくなったような気がする(偏見だったら申し訳ない)。
かってはタクシー運転手は裕福ではないけど普通の職業だった。
「ちびまる子」のお父さんも魔法使いサリーのよし子ちゃんのお父さんもたしかタクシーの運転手さんだったように記憶する。
しかし、今ではタクシー運転手はワーキングプアの代表のように語られることが多い。
30代、40代の男が家庭ももたずにその日暮らしのぎりぎりの生活をしているようなイメージなのである。
夜道が怖い女性はよくタクシーを使ったものだが、今では夜道も怖いがタクシーも怖い、そして金もないという女性が多いのではないか。
貧富の格差の拡大や貧困層の増加は、これまであたりまえのようにあった社会をなりたたせていた安心感や信頼を一つ一つ壊していく。
(秀逸な動画。ぜひ御覧あれ。http://jp.youtube.com/watch?v=v0siyuT_0as)
(ミンシュの待ち受け画像 縁起でもないと思うのだがよく・・・。http://mobile.dpj.or.jp/medias/wallpaper/docomo/d_t/334281_F_505.jpg)






最終更新日  2008年10月25日 09時16分05秒
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2008年08月28日
カテゴリ:格差社会
昨日もNHKで日雇い派遣の特集を行っていた。
この問題について世上の関心が高まっていくのはけっこうなことだと思うが、番組中で気になった点がある。
それは焦点をあてて報道された派遣労働者の一人についてである。
よれよれのTシャツスタイルでの求職活動。
書きなぐりの乱雑な字の履歴書。
職業安定所で職員の話をききながら頬づえをついている態度…。
仕事の基本は「人の立場にたって考える」ということだと思うのだが、番組で紹介されていた人は、相手についての気配りがすごく希薄なような気がする。
番組の主張とは裏腹に、あれでは貧困の自己責任論をいう人が元気づいてしまうのはないのだろうか。
そういえば政府の教育改革にも関与した高名な小説家で「非才、無才は誠実さだけを身に着ければよい」などと差別的な言辞を弄した人がいた。
まあ、世の多くの人は小生も含め、非才、無才グループに属するわけだが、それでも誠実と努力だけは忘れないように生きている(つもりだ)。
誠実であり努力をしてもなおかつ貧困から抜け出せない人が多勢いる。いや、我々だっていつその貧困の側においやられるかもしれないということこそが今日の問題である。
テレビにでていた一人の派遣労働者だけで、世の中の派遣の問題のすべてが論じられても間違うような気がする。

人によっていろいろ意見はあるだろうけど、やはり派遣は貧困の温床のように思われる。
通訳のような労働単価の高い専門職はともかくとして、たいして技能を必要としない労働にピンハネを認めたら食うに食えない人達がでるのはあたりまえである。
しかもそのピンハネ率にはなんの法的規制もない。
サラ金の金利ですら上限があるのに、口入屋のピンハネはやりほうだい。
グッドウィルの元社員が「こんなに取られていたなんて悔しい」といってたけど、そりゃそうだろうなあ。
かっては割のいいバイトといわれていた引越し手伝いも今やほとんど派遣で業者にとっては重宝しているようだけれど、いいことばかりではないだろう。
この間の近所の引越しでも、屈強なお兄ちゃんではなく、細っこいあんちゃんや時には女の子が重い家具などを運んでいるのを見たけど、数字にでてこない労災や事故も案外増えているのではないか。
いつ手がすべって家具が倒れてくるかと思うと怖くてちょっと近寄れなかった。

民主党をわってでた人達がつくる新党の名前は改革クラブというらしい。
改革、改革なんていっても、市場原理主義的な方向の改革は多くの人が辟易しているのではないか。
そんな手垢のついた名称でブレークするとはとても思えない。






最終更新日  2008年08月28日 22時11分35秒
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