絞首刑の残虐性
かなり前にオーストラリアに行ったことがあるのだが、そこの博物館で開拓時代の処刑場についての展示があった。それが首に縄をかけて足元の板が落ちるという日本と全く同じ方式なので驚いた記憶がある。おそらくこの方法はかつての英国でも行われており、明治期に日本でこれまでの斬首さらし首にかわる文明的な方法として、この方法をとりいれたものと思われる。昔よくテレビでやっていた西部劇でも「縛り首」という言葉がよく出てきており、絞首刑は英米で一般的だったのかもしれない。そしてこの方法は太政官布告という明治期の法律に規定されており、延々と続いている。死刑制度の是非についての議論は多くあるのに、その執行方法についてあまり議論にならないのは前から不思議に思っていた。例として不適切だと怒られそうだが、犬猫の殺処分については静脈注射やガスなど苦痛の少ない方法が模索されてきている。憲法では残虐刑を禁じる条文があるが、いまさら江戸時代にあったような執行方法が復活するわけもなく、残虐の定義も時代とともにかわる。科学技術の進歩により、苦痛のより少ない処刑方法があるのに、あえて明治初期の方法をそのまま残すのはやはり問題なのではないか。死刑囚三人が死刑の執行方法について提訴したという。これにより執行方法についての議論もでてくるのであろう。米国のビル爆破犯については、たしか薬物注射による処刑方法だったかと思う。しかし、苦痛の少ない執行方法というのは文明的な一方で不安もある。今でも時々、死刑になりたいという動機で犯罪を犯す人がいる。土浦あたりで起きた通り魔事件では、自殺は痛いから嫌だ、死刑にしてほしいと犯人は語ったという。こうした輩(あくまでも例外的なのだろうけど)が増えるのも、また困る。