選挙の票のブルーオーシャン
本日東京都議選が告示され、街は騒がしくなっている。一人一票の民主主義は、現在ある制度の中では最良の制度だというが、すべての人が十分な知識や判断力を持っているわけではないという点で限界のある制度である。だいたい知識にしろ判断力にしろ、そんなもの誰も測ることはできないのだから仕方ない。仮に古代ギリシャの人々が理想としたような賢人政治なんてものがもし行われたとしたら、これも賢人を客観的に選抜する指標があって、その賢人による政治が行われたらということなのであるが、そんなことをしたら賢人に都合のよい政治が行われるだけのことで、凡百の非賢人は悲惨なことになるだろう。神ならぬ身の人間の内の賢人なんてその程度のものである。そんなわけで凡百の愚人の一人であるわたくしも、今度の選挙では一票を行使するのであるが、一番主に考えるのは身近な生活感覚である。物価高とか税金とか、あと、最低賃金をどうするのか、派遣や非正規の問題をどうするのかといった労働政策である。よく労働政策は選挙争点にならないなんていう説もあるが、これはオールドメディアがそういっているだけではないか。身近な問題以外で、各政党の政策を吟味して…なんていうことは、正直なところ、とてもできそうにない。原発の問題は技術的知識の問題だし、国防の問題は現在の国際情勢をどうみるかといった問題だろう。ずっと昔の選挙でB層を狙え…なんていう戦略があったのだが、案外とこうした政治的な関心は薄いし、各党の政策を子細に検討するわけでもないのだが、身近なテーマにはすぐに反応する層というのは選挙の票としてはブルーオーシャンなのかもしれない。以前の日記で書いたB層とD層、特にD層である。