性別役割分担意識の崩壊と未婚化
しばらく前まで女権拡張論者(フェミニスト)が声高に唱えていたスローガンがあった。それは「男は仕事、女は家庭という固定的役割分担意識の見直し」である。最近この言葉を聞かなくなったのは、その見直しがすっかりと定着したせいなのだろうか。むしろ、最近では多様性の名のもとに、女性の登用ということが主張されている。この男は仕事、女は家庭という意識なのであるが、昭和の40年代、50年代くらいまでは、結構根強く、民間企業でも、男は企業戦士予備軍、女は社内結婚花嫁予備軍としての採用を公言しているところもあったくらいだ。それが変わってきたのは男女雇用機会均等法以降だろうか。法律が世の中を変えたというよりも、産業構造の変化が背景にある。男女格差よりも、男男格差、女女格差の大きい時代となり、その格差も開いていったわけである。一方で、家事はどんどん簡単になり、花嫁修業と言う言葉も今はほとんど死語である。昔の家事の最難関は洋裁であり、服飾系の専門学校の前身が花嫁学校だと言っても知らない人が多いだろう。もう一つ、負担感の大きい家事として老親の介護があったが、これは家庭でやるという時代ではなく、親も子供をあてにはしていない。そんなわけで一家の大黒柱の夫と専業主婦という家庭はどんどん少なくなり、最近の婚活市場では、家事手伝いという名の無職女性、専業主婦志望の女性は敬遠されるという。婚活市場には高収入の男性は参入していないので、そんなものかもしれない。固定的役割分担意識が崩れたせいで、婚活も変化しているわけである。しかしこれは、同時に結婚しにくい社会の到来なのではないか。女性の就労が普通になったとはいえ、就職のハードルが男性と全く同じになったわけではない。また、女性の側にも昭和時代の残滓のような結婚観があり、どうせ主婦になるのだからと言う安易な道を選んだ人もいるだろう。ざっくり分けると、女性は自立できる収入のない場合、かつかつ自立できる程度の収入のある場合、高収入の場合の三通りがある。最初から専業主婦志向で自立できる職業についていない場合には、婚活市場でも敬遠されてそのまま貧困に陥るということも多く、こうした女性の貧困ということも問題になっていくのかもしれない。かつかつ自立している女性は高収入男性と結婚できればよいが、そうではなく、自分とさしてかわらない収入の男性との結婚にはあまり利点を感じない。なんとか自立できるのであれば、何が何でも結婚しなくてもよい。高収入の女性の場合であるが、それはそれで、自分と同等以上の高収入男性しか相手にならないと思うので、結婚は難しい。これを男性の側からみると、家族と言う贅沢品を手に入れる高収入男性以外では、結婚を諦め、気楽な独身を謳歌する人々が大量に生まれるわけである。昔と違い、家事の難易度は下がっているので、妻がいなくとも、生活になんら支障がないし、場合によっては高齢でも元気な親がはりきってかわいい息子のために家事をやっていることもあるだろう。こうして考えてみると、「男は仕事、女は家庭」といった固定的役割分担意識の強い社会は、女性を差別していたのではなく、単に依存心の強い女性を優遇していたのかもしれない。