自由に対する責任。
こういった「儀式」があると、乗り物の機械を動かすぞ、という気分にさせてくれる。自動化しなくていい部分は、無理にする必要はない、という提言を1988年頃だったか、NASAが提唱していたのを思い出した。このほうが例えばエンジンの調子も、そのときの掛かり具合でわかるのだ。ドッドッドッドッという大きな水平対向の音と、勢いよく回るプロペラを前にして、そんなことを考えつつその後のチェックもこなしていった。ここまではよかった。(続く)-------------------------------------------------------------------------------この続き書いてなかったから、書いておこう。この日はエンジン始動の項目までで、タキシングは教官が見本をみせてくれて終わり、という流れだと思っていた。実際始動してからアドバイザリーを呼んで、タキシングしますよーと報告を教官がしていたから、ふむではどんなもんか見せていただこう、と構えていた。教官は突然「じゃあ少し散歩しましょう」と言った。何を言っているのだ、とホントにそう思った。飛行機の地上走行をタキシングと呼ぶが、それをやってみろと言っているのだ。「大丈夫です、無線は私が担当してますから」などと言っている。そういう問題じゃない心の準備ができてないお前は一体何を言っているんだ、などと思っている暇もなく「Okegawa advisory,JA33HA」「JA33HA,Okegawa advisory,go ahead.」などと教官が会話している。アドバイザリーもgo ahead.じゃねえよと思いつつも後には戻れない。そもそも私は自分で飛ばすことが目的じゃないか、ここでそんな弱気でどうするのだ!などということをルンブルン回るプロペラを眺めながら考えていた。アドバイザリーは管制官ではないので、こちらから一方的に「今からこうするんだかんね」という内容を教官が伝えている。動きの全責任は機長にある、という考えは船と同じだ。だから一方的に通報する。もし問題があるようなら、アドバイザリーが伝えてくれるのだ。それにしてもいきなり「じゃあやってみましょう」と言われたところで「じゃあやりましょう」なんて返事ができる訳がない。あまりにも突然に操縦を渡されたのだ。しかし仕方がない、覚悟を瞬間的に決めるしかない。この場合の会話は「You have.」と教官に言われるので、私は「ああああI have.」と返事をした。しない訳にはいかない空気というものがあった。スロットルを少し開け、エンジンの回転数を1,000rpm付近に合わせると、ヨロヨロと動き出す。左右の向きは足のラダーペダルを踏んでコントロールする。これが実に難しいのだ。クルマのハンドルなら、中立といいますか、まっすぐの状態というものが目でみてわかるでしょう。でも足を踏んで操作するものだから、どこが真ん中になるのかがまずわからない。次に、どのくらい踏めばどのくらい曲がる、という感覚が全くわからないから、それこそどのくらいペダルを踏み込むのかがわからない。あと、踏んでから曲がるまでに結構タイムラグがあるので、ああ曲がり過ぎたといったところで修正を加えると、今度はその修正が大きくなる傾向がある。つまりどんどんフラツク度合いが増えていってしまうのだ。外から見ている人がいたら確実に危険を感じるセスナ機だったと思う。狭いタキシーウェイではなく、滑走路上でもタキシングの練習をさせてくれた。こういうのはプライベート空港の強みだろう。通常滑走路は飛び立ったり降りるためにあるものだが、ホンダ所有の空港だからそういうのはあまり関係なく自由に使うことができる。滑走路は広かった。幅が25mあるのだから、普通の道路の感覚でいうと4車線の高速道路が1つになっているようなものだ。だがセスナ機自体の幅が約11mあるので、着陸のときはそんなに広く感じないだろう。滑走路のセンターラインに沿って真っ直ぐ進みたい。進ませてみたい。しかしフラフラ。モドカシイ。あまりにも悩ましい表情をしていたのか、教官が「たぶんですね、最初は飛ぶ操作よりも地上走行のほうが難しいですよ」とフォローしてくれた。優しいなあ。2周ほどヨロヨロしたところで、滑走路上で教官が離陸速度まで出力を上げ、停止するという見本をみせてくれた。勢いエンジンが「よしきた!」という感じで本気を出し、身体は確実にシートに押し付けられる。小さい機体なのにこの感覚は素晴らしい。ローテートの速度はこの機体の場合55ktなのだが、滑走路を半分程度走った段階でその速度に達していた。その段階で目の前にある操縦桿を手前に引けば、機体は徐々にしかし確実に空中へと向かう。だが今回は地上滑走の講習だから、空へ行くのは次回のお楽しみだ、と思う間もなくブレーキが掛かり、機体は滑走路終端に向かっていく。こういう手順を目の前にして思ったのは、咄嗟の判断が直接生死を分ける事態に繋がっている、ということだ。それも秒単位、状況によってはコンマ単位の瞬時の判断が必要になってくる。これが飛行中であれば、尚更であろう。大型の旅客機を扱うパイロットの精神的な負担というのは、もっと大きなものだろうな、と想像した。うーむ、この辺の緊張感は、鉄道とはちょっと違うなあ。全ての動きを自分で行うのは、とても忙しい。例えば、鉄道だと「避ける」という動作ができない。できないからする必要がないので、その点は無視できる。しかし航空機の場合左右だけでなく、上下もあるものだから、飛行中の注意力は相当分必要になるし、操作も同様に行う必要が出てくる。セスナのような小さい機体は、通常VFRといって、有視界の飛行をする。これは、空中の安全確保は全部機長さんがやるんですよーというものだ。ある一定の決められたルートを飛ばなくてもいい、自由に飛行できる代わりに、その状況の監視も自分の責任でね、でないとぶつかっちゃうぞ!となる。自由に対する責任は重大だなあ。6時間の講習だったにもかかわらず、このタキシングを結構しっかり教えてくれたので、時間は大幅に過ぎていた。こんなにオーバーして教えてもらっていいんだろうか・・・と感謝しつつ、自宅で再び教本を開く日々が始まるのだ。