珍しい家紋
これは「丸に並び瓶子」と呼べばいいかと思われる家紋です。 秋田書店から出ている家紋大図鑑には載っていません。瓶子は載っているのですが、並んでるのは非常に珍しいようです。 家紋大図鑑によれば、「瓶子はふるくから神に供える酒器でもあったため、神家およびその関係者が用いた」とされています。 会津では、他にもこの家紋のお宅があるかと思いますが、小生は先日、とある村の墓地で初めて見ました。同じ形の酒器が二つ並んでいて、神家とその関係者が用いたということを考え、また研究課題が増えました。 明治以降のプロテスタント・キリスト教は、江戸時代は武士だった人々の中で発展しました。それ故に、非常に儒教的な色彩を帯びてしまっています。「無教会」というグループがありますが、これを英語に訳してアメリカ人にお話しすると、ほとんどのアメリカ人は首を傾げます。キリスト教にはサクラメントという大事な儀式が7つあるのですが、これが行われる教会なくして、何故教会なのかと考えてしまうからです。 プロテスタントの多くの教派では、サクラメントは2つであると考えている教派が多いのですが、このことによる教理的矛盾は未だに解決されていません。これも、儒教的な精神主義の理念が引き起こしている問題かもしれません。子供の時に洗礼(幼児洗礼)というサクラメントを受けても、堅信礼というサクラメントでない式を受けないと、御ミサのサクラメントに預かれないという矛盾です。小生は学生時代から悩み続けていましたが、会津キリシタン研究所の母体である単立聖アルバヌス教会では、サクラメントは7つであると規定していますので、今は気が楽です。 この家紋、多くの家が家紋を使うようになったのは室町時代の半ば以降であるとされています。これを天皇制と結びつけて批判している方もいらっしゃいますが、家紋の考え方は西アジアなどには紀元前から存在しています。日本独自の習慣ではありません。そもそも、日本は大陸との関係の中で文化が進化してきました。小生が小学生の頃は、何でもかんでも中国から伝わったと教えられましたが、韓半島の先端とアフリカの喜望峰は地続きです。 法隆寺の金堂の柱はエンタシス(ギリシアのパルテノン神殿の柱の形)になっていますし、奈良東大寺大仏殿の北西にある木造大倉庫・正倉院には、ペルシャのものが残されています。 またイスラエルの12部族にはそれぞれ紋があったそうですし、ダビデは独自の紋を持っていました。ヨーロッパ人やアメリカ人は、日本人の各家に家紋があることを知ると、ものすごく羨ましがります。 文化は民族の移動と共に移動し、他民族との間に文化接触を起こし、ある時にはそれが融合したり、そのまま取り入れられたりしています。古事記の中の神話に、伊弉諾尊と月読尊の出生神話が残されていて、太陽と月がそのシンボルに用いられます。所謂「日月紋様」ですが、キリスト教でも主イエスを太陽、聖母マリアを月とするシンボルがあります。一般的に、純粋培養された宗教は進化しないと考えられています。 宗教も文化接触の中で進化してきました。 しかし、宗教が発生する以前の文化を持っている人々がいます。 白人とは一切接触を持っていないアボリジニ(オーストラリア大陸の原住民)は宗教を持っておらず、人間の文化の原型はそこにあるという、歴史学や宗教社会学では有名な論文があります。(原本が会津キリシタン研究所にあります) R.N.Bellah; "Beyond Belief", Religious Evolution, Harper & Low, Publisher, New York, Evanston, and London, 1970