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テーマ:キリシタン(4919)
カテゴリ:キリシタン
【会津の廃村跡】 これは大沼郡金山町三条という村の写真です。金山町の許可を頂戴してここでご紹介したことがあります。この写真は、こぶし館という民俗資料館に掲示されている大きな写真を撮ったものです。(多少、トリミングしています) 小生が最初にここを訪れた時には、この写真に写っている村の住宅跡が残っていました。歴史春秋社の『 歴春ブックレット16 嶝峠』にも興味深いことが記されています。この村を訪ねた著者が、以前にここを訪ねた人が、「源氏か平氏か?」と尋ねられたことがあると聞いていますがと村人にお話ししたら、「この村は公家の三条家とつながりのある村ですから、そうしたことを尋ねるはずはありません」とはっきりとおっしゃったと記されています。「上流からお椀が流れてきて、村があると判った」というエピソードがありますが、この村は只見川の支流沿いにあり、この村と只見川の間に村はありません。ですから、「お椀が流れて来た」のは只見川沿いの村でしょうから、この沢から流れて北面のかどうかは、判断不能です。 こうしたエピソードは、良く創作されます。しかし、この村の墓地に残っている古い形式の墓石は、この村がかなり古くからあったことを示しています。そして、その墓石と同じ型式の墓石は、伊南川沿いにも残っています。その中には『文禄三年蒲生家高目録』に名前が記されている村もあります。こうしたエピソードは十分に注意しなければならないと思っています。即座に排除するのではなく、それが事実であるかどうかを検証しなければなりません。只見川沿いからこの村へ行くへ車で行くことが出来る道は、只見川沿いのダムが建設された時に開削された道路です。(未舗装です。ガードレールのないところがありますから、慣れていない方はお入りにならない方がいいと思います。) この写真は、それ以前にこの三条の村から、只見川沿いの本名(ほんな)という村へ出る山道から撮った写真ではないかと小生は考えていますが、その山道がこの村に通じる唯一の道でした。そしてこの村には、記録には残すことのない、とある軍事技術を継承していた村ではないかと思い続けています。その証拠を探すために、また出掛けてみたいと思っています。それが見つかれば、その軍事技術がいつまで継承されていたかも考えなければなりません。軍事技術は現在でも極秘事項です。ネット上に公開されている軍用機の航続距離など、小生はまったく信じていません。
Last updated
2012.04.15 08:10:05
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