会津キリシタン研究所

2014/03/29(土)08:47

会津の大日堂の「巳待供養塔」石碑

                      【会津の大日堂の「巳待供養塔」石碑】 これは2006年7月11日に撮った写真です。「已待供養塔」と彫られた石碑ですが、右側に「寛保二???天」と彫られています。「天」年号ですが、この「天」年号は会津では珍しいものではありません。ここでもご紹介しましたが、ある村の墓地の一画には「天」年号が彫られた墓石が多数、並んでいます。 「己侍」と「天」年号、蒲生家の家臣団であっても、加藤家の家臣団であっても、保科松平家の家臣団であっても不思議ではありません。小生は、とある史料に記されていることから、加藤嘉明はキリシタンであった可能性が非常に高いと考えています。このことが記されている本もありましたが、その著者はお気付きにはなっていらっしゃらなかったようです。 ただ、最近の『軍師官兵衛』では、キリシタンのことがよく出てきますが、あの時代の武将がキリシタンになっていても不思議ではありません。そして、高山右近と出会っている武将は、その多くがキリシタンに惹かれたであろうと思われます。ただ、ここまでやって良いのか?と思えるほど、最近の脚本家もキリシタンの現実にお気付きになられているようです。 「武士は神道」ということを耳にしたことがありますが、神道が葬儀を執り行うようになったのは、もっとずっと後の時代です。最初に神道葬儀が行われた時には、かなり議論が為されたと神道研究者のか寶お伺いしました。ただ、会津藩の武家の中には神道請の家が多かったのは事実ですが、葬儀を神道式で行っていたということを確定できる史料に、小生は出会ったことがありません。

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