会津キリシタン研究所

2014/04/03(木)07:54

会津の「子安観音」石仏

キリシタン(16134)

                        【会津の「子安観音」石仏】 前述の不思議な「石仏」がある村付近の村々にある「子安観音」石仏です。これらは何回もここでご紹介したことがあります。3枚目の写真の「子安観音」石仏は小さな祠の中に祀られていますが、その祠は素押し手前からでないと視認できませんが、それ以外の2体は道路脇に祀られています。そして、これらの「子安観音」石仏以外にも、それぞれの村には気になるモノが残っています。 そして、非常に気になるのは、これらの3つの村は『寛文風土記』(1666)には載っているのですが、1枚目の写真の「子安観音」石仏がある村以外の2つの村は『文禄三年蒲生家高目録』(1594)に名前が出てきていません。そして、この村の名前は、とある戦国大名の城があった場所と同じ名前で、その戦国大名と同じ姓の人物が『天正十九年蒲生家家臣帳』に載っています。 そして、その戦国大名の領地一帯にもキリシタンの痕跡が残っていることを、小生も確認しています。最後にそこと訪ねた時には、その一つを所長が見付けました。勿論、写真を撮ってきてありますが、ここではご紹介したことはありません。江戸時代中期末から後期にかけての墓石です。 会津のキリシタンを解明するために作った、史料のデータベースが非常に役に立っています。パソコン無しでここまで簡単に明らかに出来るとは思えません。そして、何よりもフィールドワークです。データベースを見ていて気になるところがあると、翌日、雨が降っていない限り出掛けてきました。ただ、還暦を過ぎたら疲れやすくなって、以前のようには出掛けられなくなりましたが、まだ続けたいと思っています。

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