2014/05/14(水)16:47
信濃のとある庵の近くにて
【信濃のとある庵の近くにて】 これは同じ墓地の奥にあった十字墓列です。やはり、山梨県と長野県はキリシタンで繋がっていたようです。そして、会津にも多数の十字墓が墓地に並んでいる村がありますが、あの一帯の村々も長野県と繋がりがあるようです。村の名前の付け方が独特なのですが、同じ名前の付け方が伊那高遠にあります。 この写真も2010年10月1日に撮ったのですが、この日は記念すべき日でした。修道院で小生がお話をすることになっていたのですが、そこにある先生がお見えになられていたのです。学生時代に、あの先生に出会わなかったら、宗教社会学に関心を持つことはなかっただろうと思います。そして、大学紛争以降、悩んでいたことがすべて吹っ切れました。 ただ、残念なことは、その先生はもう小生の母校では講義をされていらっしゃらないと聞いていたことです。理由は、受講している学生が「不信仰だ」と言ったからだと聞いていますが、おそらく、宗教社会学を神学の中で考えられなかったのであろうと思います。おそらく、先生が講義で示された参考文献などを読んでいないのだろうと思います。 この写真を撮ったあと、修道院へ戻ったら、先生が建物の入口付近に立っていらっしゃって、早速ご挨拶しました。そして、自分がR.N.ベラーの研究で修士号を受けたことをお話ししたら、大変に喜んで下さいました。どうも、最近の日本の神学は社会のことをまったく無視しているようですが、先生もその日の内に東京へお帰りになるとのことで、先生と奥様を小生の車でお宅までお送りしました。感動の一日でした。