会津キリシタン研究所

2015/02/16(月)12:29

会津の不思議な村名の村の墓地

キリシタン(16134)

       【会津の不思議な村名の村の墓地】 2006年5月23日、前述までの一帯に不思議な名前の村があるので、そこを訪ねてみました。そして、村から少し離れたところに墓地があるので、その墓地をじっくり歩いてみました。左上の墓石には「禅門」という位号が彫られています。右上の墓石には「天」年号が彫られています。左下の墓石の戒名は「一」で始まっていて、位号が禅尼になっています。そして右下の墓石は、戒名が彫られていた部分が人為的に破壊されています。 この村の名前は、『新編会津風土記』に出てきているのですが、国土地理院の地形図には、まったく別の名前が記されています。その名前は、江戸時代の村の分類に使われていたもので、固有名詞として使うべきものではありません。しかし、国土地理院の地形図に出ているということは、明らかに正式名称として使われていることになります。 そして、これらの墓石に彫られている文字列からすると、この村からそれほど離れていない村にある臨済宗のお寺の檀家になっているのであろうと思われます。また、ここでこれまでご紹介してきたように、これらの墓石も転切支丹類族墓石であることは間違いないと言えます。 明治以降に、この村が村として登録された時に、現在の名前が付けられたのであろうと思われますが、理由は転切支丹類族であったからではないかと、小生は訝しがっています。そして、それが明治・大正・昭和を経て現在も変えられることなく使われているのであろうと思われます。この村と同じ名前の村は会津にはほかにはありません。

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