会津キリシタン研究所

2015/05/09(土)16:58

伊那高遠の石碑列

キリシタン(16134)

     【伊那高遠の石碑列】 これらも伊那高遠で撮った写真です。1枚目の写真に写っている石碑はかなり大きいです。真ん中の「甲子」碑は台石を含めると2メートル程度あります。『高遠町誌』には、村毎に競って大きな石碑を建てると書かれていましたが、この村はかなり大きな村です。 2枚目の写真に写っている村は、かつては木地師の村であったかもしれませんが、もしかすると沢の奥に硫黄鉱山があったのかもしれません。「硫黄神社」という神社が村の一番奥にあります。ただ、その神社の境内にも不思議なものが残っていました。 3枚目の写真は、また別の村にある祠の近くに並べられている「百庚申」ですが、この村が建立したものではなく、建立者が個人である「庚申」碑がいくつもあります。そして、ここに建てられている祠の屋根には、伊那高遠の守屋神社の屋根にある千木と同じ形の千木が取り付けられていて、ここでもご紹介したことがありました。 それだけではありません。この村と同じ名前の村が会津にあるのですが、その村は『新編会津風土記』に記されていることからすると、江戸時代中期以降に現在のところに移住して出来た村です。そして、墓地にははっきりとしたキリシタンの痕跡が残っています。

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