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カテゴリ:どんぐり
ここ2ヶ月、盆と正月とクリスマスとおひな様とお彼岸が一度に押し寄せて
来てしまったかのような忙しさで、なんだか八方塞がりだなあ… と思う事しきりな毎日で、それでもなんだか自分を持てたような、この 忙しさのお陰でもあるのかもと思ったりしています。 次女の学校とか、宿題とか、どんぐり問題、とか、長女が12才になるのもあと2ヶ月、とか いろいろ考えてたら、しまりすさんが過去ログ始めから読んだって書いてらして、 そうだ、こういうときは基本に戻ろう、と思い、私も印刷してある 過去ログを引っ張りだしてきて読み始めました。まだ300までですが。 で、読んでいて、私の求めていた答えがあって、じーんと来てしまった箇所が、 絶対学力のあとがきでもある、この部分なんです。長いけれど抜き出します。 過去ログ[66]から抜粋 多くの場面において、自分自身で判断基準を創り 出すことができると人生は一気に素敵なもの・有意義なものになり ます。私は子ども達に自分の人生を楽しめる人になってもらいたい と思っています。そして、その基礎力が考える力であることは言う までもありません。教育とは、決して知識の切り売りなんかではあ りませんし、問題の処理方法を教えることでもありません。教育と は学力を育むことです。そして、親である以上、あるいは教育者で ある以上は、間違っても「知識=学力」あるいは「処理能力=学力」 などと思ってはいけません。学力とは人生を有意義なものにする 必要不可欠な考える力のことなのです。教育は子育ての一環です。 保護者も教師も教育者です。ですから、子どもと接する機会のあ る人は誰もが「教育とは何か」を真に分かっていなくてはいけま せん。教育とは人生を楽しむことが出来る力を育てることです。 一人一人が自分独自の判断基準を創り出すことが出来る力を育て ることです。そして、学力とはこれらの様々なものの見方・考え 方を理解できる力のことです。 私は長い事、「知識=学力」「処理能力=学力」だと思い込んで、 その考えのもと、子育てをしてきました。 できないことは努力でなんとかなる、すべきだ、と、こどもを、自分の思う ようなこども像に近づけよう、それにあてはめようと、接してきました。 しかしながら、そんな風にいくわけがありません。いくわけないんだ、と 教えてくれたこどもたちのお陰で、藁をもつかむ思いでいた2年半前に どんぐり倶楽部に出会ってからというもの、長い時間をかけて、回り道や 行き止まりで焦燥感を感じながらも、せかせかしていて、時間に焦っていて、 こどもたちを急かせて、何事にも完璧を求めてきた母という固い鎧を 少しずつ少しずつ外してきています。 まさにせかせか母からの脱皮、が完了しつつあるのだと、今、思えます。 「時間」が大事なんだ、と、そのこと自体を、「時間」そのものを使って、 私に教えてくれたかのような長い月日がかかりました。 これが正解、とムネをはっていえる毎日を過ごしているわけではないけれど、 それでも、私が積み上げてきたもの ー過去も含めてー は全て私のものであり、 私自身になっていて、それは揺るぐ事のない、私の財産です。 とはいっても、わかっていたはずなのに、いつもいつも、同じ場所に戻って、 こどもたちに偽の学力を知らず知らず求めてしまう、そんなだめだめな母 だったりもするのですが、また同じような落とし穴にはまってしまいそうなとき、 この文章に、基本に、立ち戻って、毎日を積み重ねて大事にしていこうと思います。 と書いてる今日も通過点に過ぎないし、また悩みが出てくるのだろうけど、 それでも、こうやって書き留めておきたいな、と思いました。 よ~し、過去ログにもどるぞ~。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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