久しぶりに書く
久しぶりです。お終いにすると書いてあれからどれだけたった??まだ2ヶ月なんだね。随分経ったような気がしたけどね。こないだちゃこさんが名古屋にやってきて、いろいろ話をする機会があった。なちまりさんやアキさんとも一緒に飲んだんだけど、私はもうどんぐりは卒業だからって言ってるんだ。いや、別に卒業宣言なわけじゃないんだけど、やっぱり子どもの年齢がね、次女も来年中学生になるしって思ったのよ。でも、やっぱりどんぐりの考え方は私の中にずっとあるし、4年前の夏(ええ~まだ4年か)に思い詰めてたときに救われてから時間かかったけど、私もジブンになれたら、子どもも変わってきた。それでもね、やっぱりときどき私の中の「フツウ主義」や「おもい描く子ども像」みたいなものがときどきふっとおりてきたりもする。それが親のエゴであり、ジブンかわいさが理由っていうのもわかってるのにね。でも最近はぐっと抑えてここでコトバを発しない方がいいっていうのもわかってきたし、随分自分でも成長したと思うよ。ちゃこさんからね、「すんなりわからん帳」っていう助言をもらった。これが一番難しいんだよ。すんなりっていうのがね。やっぱり教科書の単元を1つ1つ理解してすすむっていうのが身に付いてるからね。英語の授業でもそうだよ。でも、今わからなくてもそのうち繋がってくるっていうの、生徒たち見ててもわかる。今、に拘り過ぎるんだよね、わたし。倍数、約数っていう言葉、これって難しい。一度には入っていかないの。でも、回数かけて、時間(これは一日の短いスパンじゃなくって、時間をあけて、長期で)をかけることで、定着する、理解することが可能なんだって次女を見て思った。教師って、生徒のわからなさをわかってあげられなかったりするじゃない。でも、次女みてると、どういうところでひっかかるのか、よくわかるんだ。それだけでも私が中学で教師やってる意味があるなあって思ったりする。そうだ、だから、すんなりわからん帳ってすごくすごく意味のあることなんだってこと、今わからなくても、一年後、三年後、わかるときが来るんだよね。わからないことは悪いって突き詰めて考えがちな方って私も含めて多いと思うのだけど、それをおいておく、とにかく突き詰めないってこと、とても大事だなあって思う。ああ、いつまでたっても子どもに教えられること、多いね。そして今日は過去ログからあげておきます。する選択、しない選択。はっきり過去ログにあります。子どももジブンも追いつめないで肩の力ぬいていきましょう。様々なリセット方法はありますが、常に忘れてはいけないことがあります。「どんぐり倶楽部」ではないものを選ぶ...という選択肢もあるということです。●する事と同じようにしない事は同等に選択なのです。ですから「しない」という選択肢も常に持っていなくてはいけません。テキストのために子供があるのではなく子供のためにテキストがあるんです。子供のために「しない」という選択もありえるんです。※ただし、「どんぐり倶楽部」の理論は知っておいて下さい。その上で「しない」場合は大丈夫です。大事なのは理論なんです。理論が分かっていればどんなものでもアレンジできます。理論を知っていればどんなものでも工夫が出来ます。ですから、大丈夫です。...ただ、「どんぐり倶楽部」のものは100%確実だというだけです。 (2007年02月24日 14時32分07秒)