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味くんの家族再生支援日記

味くんの家族再生支援日記

被害者のためのDV講座

被害者のためのDV講座

以前、私のグループワークに数年通われてたいわゆる被害女性の方がおられました。DV被害ということで、あちこち相談にも行かれてたようです。けれど、相談員や講師の説明にしっくりとは行かないものを感じられて、私の所にもつながって来られました。

たしかに夫に受けた暴力はトラウマのように心に残っているし、夫が簡単に変わる訳ではないということは頭ではわかっている、けれど夫が危険でとんでもない人物で、すぐにも逃げないと命が危ない、というような相談員や専門家の話しには、納得もできず、すぐに離婚しても生活して行く力も勇気もないとのことで、離婚を勧められる事に、違和感を感じておられました。

夫自身も自分の暴力が良くない事と理解し反省もしてたし、それ以来暴力を振るう事はありませんでした。こんな状況に対する本人の主張に対して真摯に耳を傾ける専門家も少なく、その方たちから逃避、離婚以外の具体的な方法論に関する助言もなかったとの事。

そんな中で私のワークでの学びは、その方にとっても納得のいくものだったようで二年間ほど続けて参加されました。私はDV問題はいわゆる加害者だけの問題ではなく、相互の関係の問題だと説明しています。善人悪人の問題でもありませんし、たんなる暴力の問題でもありません。

身体的な暴力も含め、弱者をパワーでコントロールする事がDVの本質であること、暴力をやめても、いろんなコントロールパワーで相手をコントロールしているうちはDVがなくなったとは言えないと言う事です。夫さんにすれば暴力を振るわなくなった自分はDVは解決したと考えているのでしょう。妻さんは、暴力がなくなるだけではなく、パワーコントロールしないで、自由で対等な関係にならないと、ほんとのDV解決ではないと理解しています。

で、対等な関係・・自分の気持ちを自由に語り合い信頼を深めていくことで、過去のトラウマからも解放されるし、豊かで穏やかな二人の将来に希望を託す事もできると考えた妻は、夫にその事を伝えるのですが、夫はそこまでする必要はない、今のままで何の問題もないと言うばかりで自分を変えようとする事もなく、妻が言うほど不機嫌になり、暴力は振るわないものの、様々なコントロールパワーで妻をコントロールして来ようとしたとの事。

これではいつまでたっても夫の機嫌に一喜一憂して暮らす事になると考えた妻は、別れて暮らすための方法について考えたようです。住まい、仕事、お金、ネットワーク・・などなど・・・自立して生きていくために必要なものでまだ本人が持ち得ていないもの・・を獲得するよう、本人なりに努力されたようです。結局安全で安心した夫との交渉に入るにはいったん夫のコントロール圏を脱出しないと難しいと言う事もわかりました。夫の攻撃的なあるいは巧みな物言いに、本人の不安が出てきて、冷静な対応ができなくなってしまうからです。そこで一旦はシェルター利用の必要が出てきました。

かといって、本人のような状況で入れるシェルターはありません。シェルターに入っても諸手続きがあって夫の探求を交わしながらも本人がいろんなところと交渉したり、書類作成したりも必要です。こもりっきりで事が進む訳ではありません。また弁護士に依頼することで事を大きくするのも本意ではありません。ということで、その方は私のところのシェルターを利用されました。

ひと月ほどの利用の後、少し寒くなった頃にその方はシェルターを出られましたが、とりあえず、別居や離婚のための準備を整え、何より、夫のコントロールを拒否する勇気やそのための支援のネットワークを作る事もできたようです。

コントロールを拒否する勇気、自己主張する力がなければ、いずれまた誰かのコントロールを受けDVを被害を繰り返してしまうか、自立できないままの人生を続けるしか無くなり、ひいては子どもに問題を連鎖させてしまいかねません。ほんとのDV問題の解決は、不安や孤独を乗り越え、様々な他者との自由な人間関係を作る対人関係スキルや自己肯定感を作る事でしか、達成できないのかもしれません。離婚したら即問題解決等と言うものではありません。

この方とはまた別の方ですが、先日、夫のパワハラがきつくて不安発作が起こりそうとの事で、とりあえず、心を安定させるために私の所に来られた方もおられました。この方は幼い子どももいるし、当面の経済をまかなう資金もないし、家を出ても生活を保証してくれる人もいません。攻撃的な物言いをする夫に対する恐怖にコントロールされていて、それから逃れる力も今はありません。かといって今のままの状況が続けば共依存の関係が深まり、いつか関係が病理化していく事も考えられます。もちろん悪いばかりの夫ではありませんからそれなりの愛着や依存心もあります。

本人の意思や能力を無視してシェルター利用を勧める事は私の支援ではあり得ません。当面不安発作や恐怖に苛まれる心を見守り、育てる事でパワーコントロールを拒否する勇気を持ってほしいと願いつつ、見送りました。

DV被害者は意思も心も、加害者の暴力と言うコントロールを受けて自分で自由に考え判断する事ができなくなることもよくある話し。私の支援したある方は、パートナーに首を絞められて、気絶する事もしばしばあったとの事だけれど、本人は慣れてて自分さえ我慢してたらやがてパートナーは興奮もおさまって、いつか暴力をやめてくれるだろうと考えてたとの事。

最後にはカミソリで腕を二十針くらい縫うほどの怪我をさせられたけれど・・・怖くてなかなか別れようとも言えなくて、一時は調停を立てたけれど、裁判所にも怖くて行けなかったとの事。

それから何年か後に私と繋がって、私の支援のもとにパートナーとの離婚も達成する事ができました。人は恐怖心にとらわれると、当たり前の判断もできなくなるし、頭ではわかってても行動できなくなります。

加害者はしばしば社会規範に忠実で真面目で几帳面、面倒見もいい人が多く、被害者がパワーコントロールされている状況もうちの家族は大変なんですよと冷静に説明しうるので、コントロールされてる被害者が感情的に被害を訴えても、わがままだの考え過ぎだの、そんなもんだのと被害者の問題と理解されてしまいやすくなります。

ここに、被害者の孤立がおこり、被害者は抵抗する事自体を諦めて、加害者に心身ともに支配され、少しずつ人格的に病理化したり崩壊していったり、他の家族に連鎖したりと、病理が社会にネガティブに還元される事になります。

このプロセスでは被害者は自分の意志で考える事を放棄し、自分の存在を自分で捨ててしまう事で人格の崩壊を防ごうとしますが、その際は何が起こっても自分の意思ではないので結果に対して責任を取らなくてはならないと言う考えにはなりません。全部相手が悪い、全部誰かが悪い。何が起こっても私の責任ではない。だって私はそこにはいなかったのだもの・・。

何かににてませんか・・そう、加害者のいい分です。全部お前が悪いんだ、オレを起こらせたお前が悪い。加害者も被害者も相手が悪い自分は悪くない、という構造になっていますが・・・実は同じ構造にあるからなのです。自己決定していないのです。

実は加害者も自分の自由意志で考えているのではなく、社会規範を動機として考えていますから、自分で判断している訳ではありません。自分は社会規範に従ってるからうまく行ってる。なのにお前はそんなオレの言う事もきかず、問題が起こってる、だから問題が起こる責任はすべてお前にあって、これ以上オレを困らせるな。

DVにならない夫婦は、自分の判断も自分の行動も、自分の自由意志に基づくのであって、夫婦の関係も個々の関係であって、二人で相談して関係を作っていけばいいと考えられる夫婦。けれど、多くの夫婦はそんな自由意思に基づいて関係構築されている訳ではありません。

多くの夫は社会に支配され、社会的に脱落する事を恐怖しています。自己の自由意志をを抑圧し生きのびるのですが、その心理的なストレスから自己を取り戻すのが、自分の自由な意思で他者をコントロールしうる家庭と言うものでしょうか。家族はたまったものではありませんが、それは今の社会の構造的な病理に由来するものだから、誰かが悪いと言っても仕方ありません。

そんなDV社会DV家族から問題を表面化し問題解決をはかるには、個々人がコントロールを拒否し、自分の意志で考え自分で決定し、その決定に対しては自分で責任をとるという行動様式を獲得する事です。

私は、人の支配を受けない、自分で決める、いいも悪いも結果は自分で引き受ける、この自己決定自己責任と言う行動様式を動機化し、家族関係を再構築する事で暴力やコントロールとは無縁なハッピーな家族を作る事ができると考えます。けれどそれを難しくするのが、不安や恐怖の感情、あるいは依存心、愛着や執着でしょうか。

頭ではわかっても感情は意思ではどうにもできないものです。そこで必要なのが他者の見守りと支援でしょうか。不安の状況から解放し安全・安心を実感してもらう事で、少しずつ、自分の抑圧された感情や意思が表面化して行く事になります。

昨日の離婚後のカップルカウンセリングでも、元夫には理解不能な元妻の言動が、生育の中で自由意志を放棄する事で生き延びてきた、無意識に刷り込まれた行動様式に由来する事を理解して頂きました。

夫婦間葛藤の問題の原因の本質は妻の言動や夫の攻撃性にあるのではなく、自由意志を阻害する社会構造にあるということで、問題解決には、それぞれの自分の生育の中で身に付けた抑圧の構造から自己解放することと、それぞれが人生の物語りを書き換え夫婦関係を再構築していくことが必要と私は考えます。

被害者が依存的で自己決定自己責任から逃れていてはほんとうのDVからの解放はないのかもしれません。離婚しようとすまいと。被害者支援の方にはこのあたり理解してほしいものです。

加害者の脱暴力支援に関わる人は、加害者が社会規範を同一化している事に気づき、自分の意志で考える自己尊重の価値観を獲得できるように支援する事、そのためには社会規範を権威、権力で当事者に押し付けると言う事は行うべきではありません。このあたりの事は・・またいつか・・

そうそう、冒頭に書いたカミソリの被害者・・柔道で鍛えた立派な体の男性です。男性でも被害者になれば女性と同じ被害者心理になります。当然の事です。加害被害は性別で特定できません。
現在の被害者支援では「DVは治らない、プログラムは無意味、別れるしかない、離婚しないとどんどんエスカレートして危険になる・・」などなど、家族の解体分離のみが解決法との指導がなされるようです。けれど、この指導の根拠はありません。また支援の有効性についての追跡調査もありません。

DV法自体の問題はすでにいろいろ書きましたが、中途半端な法律や制度が適切な支援の存在を阻害しています。結果、被害者も救われてないし、加害者も野放し、脱暴力支援も育たず、冤罪加害者にされたり、一方的な家族解体になったり・・・結局だれも幸せにならない被害者支援になってるのではないかと危惧する私です。

被害者も救われていないという事だけれど、一方的な離婚の結果相手方や相手方親族の支援が受けられず、離婚後の子どもを抱えての生活が困窮していく事、逃避のために遠隔地に転居し、仕事、人間関係を失ってしまい孤立しやすくなる事、元夫の追跡や追求を逃れるという心理的負担、子どもの養育の負担が母親一人にかかる事、母親が子どもに対して暴力的になり、問題が連鎖していく事、などなど、離婚後の困難についてちゃんと説明する人もいないでしょうし、その困難に寄り添い支援する援助者もいないでしょう。

今の支援者は、問題はDV男の存在と考え、そのDV男から離れたら、DV問題は終わる、と単純に考えているでしょうし。しかも善意ですから。ほんとに困ったものです。

DVは問題の表面であって、社会的な問題が背景にあるし、夫婦間の関係の問題、認知の問題、生育の問題・・などなど様々な要因がDVの背後に存在します。それらの問題に蓋したまま分離離婚しても、それぞれが再婚してDV家庭が二つになる可能性や、それぞれが離婚後の生活の困難を抱えざるを得ない事、など問題が変遷するだけでなんも解決しないということは少なくないものと思います。

そのあたりの矛盾に被害者が思い至って、離婚を悔やんだり病理化したりしないよう、また支援者に問題を振り向けないようにするために、加害者に対する不安や憎しみをあおり続ける必要も出てくるのかもしれません。怒りでアイディンティティーを支えると言う事が必ずしも悪い事ではないし、自立のプロセスには怒りの表面化も時には必要と私も考えます。

が、恐怖や怒り、男性嫌悪から解放されて、他者に対する信頼や思いやり、自身に対する自己肯定感、生活の安定や健やかな親子関係の構築、などにいたらなければ、豊かな人生を楽しむ事はできません。

結婚生活で傷付いた人であればなおさら離婚後の生活を信頼感・安心感に満ちた豊かなものにしてほしいもの。そのためには、自身の生育や認知の問題、被害体験などについても自身と向き合う事も必要です。あなたは悪くない、全部相手が悪い、だけでは被害者が自分の問題に向き合う事にはなりません。

被害者がもっともっと自分と向き合い、自分の問題も解決できるようなそんな被害者のための支援が求められますが、日本の被害者支援には無理だろうなあ・・・論理も実践もお粗末だからなあ・・・・加害者支援までやってくれとは言わないけれど、せめて被害者の問題に被害者が向き合えるような、そして離婚後も生活の困難、心理的負担にならないような、篤い継続的な支援を行ってほしいものだけど・・・無理だよねえ。当事者のための支援をしてるというより支援のための支援を行ってるとしか思えないんだものねえ。

えっ私の所?、私の所では被害加害関わらず、DV問題をきっかけに自己成長する事を支援してるから・・いわゆる加害者と被害者が場を楽しみ語り合う事も可能となります。今の被害者支援しか知らない人には信じられない事かもしれないけれど・・・

暴力や対立の渦中にある時はその対立や暴力から逃れる事が精一杯だし、逃れた後も不安や恐怖は心に染み付いてますから、本当に安心が得られる訳ではありません。事あるごとにフラッシュバックし心は引き戻され、怒りや憎しみで自分を支える時期もあったかもしれません。


けれど、いろんな当事者・・特に異性の当事者との語りは自分の視点とは違う視点で自分の状況を理解するいい機会にもなり得ます。さらに利害のない他所の子どもとの関わりでもいろいろ気づきは得られます。

ある夜のグメナイトでの語りでも、実際の暴力に関する話題あまりありません。暴力の問題はすでに終わった事と理解されているからでしょう。テーマは暴力からはなれ、パワーコントロールに関するお話がメインになっていたようです。

世の中の人間関係の多くはコントロールするされる関係で成り立っていて、DVや虐待は問題視されるけれど、その本質であるパワーコントロールについてはあまり問題視されません。そのおかしさについて、参加者は身を持って理解しているのか、ほんとにここちよい人間関係を作るには、コントロールしないされない、自由で対等な関係を作る事が大切と理解しています。当事者同士の自由な語り合いの中でこそ、それを学べるのでしょう。

世間では、どこに行っても、たとえセラピーの場であっても、聴く人聴いてもらう人、助ける人助けられる人、の権力構造があり、それぞれ無意識のうちにコントロールするされる関係になってしまいます。それではコントロールしないされない関係は学べません。

けれど、当事者同士の語り合いでは、同じ立場で語ることが可能だから、援助者がアンダースタンドの位地で関われば安心で安全、かつコントロールとは無縁のここちよい場を作る事が可能になります。

すべて自分の言動は自分の意志で行うことであり、他人や世間の価値観に従っているのではないという事が当たり前の場では、当然自分の言動についても自分で責任を取ると言う事が当たり前になります。自分と他者の境界をはっきり分けると言う事。相手の世界に勝手に入り込まないし、相手を自分の意志で動かそうとしない。けれど、パワーコントロールの関係に依存している多くの人には、これは簡単ではありません。

夫のDVから逃れても、支援者のコントロールに依存するとか、新しい男に依存するとか起こりやすくなり、結局問題解決には至りません。自分の人生は自分で作り上げるしかないのですから。けれど、生育の中であるい結婚生活の中でコントロールを受け続け、自分の心を感じる事も表現する事も許されない時間を長い間過ごせば、他者に依存することで問題回避する事しかできなくなりますし、自分の意思や感情について自分で感じる事も考える事もできなくなると言う事になります。

先日こられた離婚したての女性も、自分のゆれる気持ちを明確化し言語化できるようになるまでには、まだ後数年はかかるのではないかと感じました。その間の元夫に対するフォローも必要で、ほんとに自由で対等な関係の元夫婦になるまで私もお二人を暖かく見守り続けていたいと思います。



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