医者不信
私が以前某大学で話した時に、来談者が自分で体調を見ながら薬を調整できるようになると、快復に近づいたと思えるし、それを勧める、と話した所、ある受講生から、ドクターの指示を勝手に変える事を勧めるなんて、危険な事ではないか、との意見を頂きました。これはまさに正論で、この価値観からすれば、私は危険なカウンセラーになるのかも知れません。(笑)けれど、私は正論に根拠がない事を知っているので、自分の発言が間違っているとは考えませんでした。その場では時間もないので、議論はしませんでしたが。医者の指示にどれだけの根拠があるのか、実は何もないのです。様子を見ながら選んでいるだけなのです。その様子は患者の訴えを前提にしています。従って、患者本人が状況が変わったと感じたら、薬を変えるべき時期に来ているのです。にもかかわらず、医者の指示がなければ、変えてはならないと言うのは、根拠のない話しです。もし、医者の処方が絶対的な物なら、社会的入院とか薬漬けという言葉がうまれる状況にはならないはずです。要するに権力や権威に逆らってはならないと言う、思い込みに多くの人が縛られているだけなのです。ある来談者と語った時に、その方は医者嫌いで、できるだけ薬を使いたくなかったけれど、不安や混乱から逃れるには薬しか方法がなかったし、だからしんどかったと話してくださいました。でその方は私と話してるうちに、医者の薬を拒否してもいいし、医者を自分の都合で使えばいいんだっと思えるようになって、自己信頼ができるようになり、実際に薬を減らしていく事ができたとの事。権威や権力を相対化してそのパワーから逃れるには、権威、権力から自由でそれらを笑い飛ばす存在が必要だと言う事で、私と意見が合ったようです。もちろん、すべての医者がダメだといつているのではありません。有能な方がたくさんおられる事も知っていますし、私が信頼できる医者がいるのも事実です。けれど、医者をとりまく社会構造は、個々の医者の意志とは関わりなく、医者を権力化していくのも事実でしょう。じっくり話しを聞いて、薬に頼らないで快復を促すなんてことをしてたら、医者は経営が難しくなりますし、やるにはよほどの覚悟はいるでしょうねえ。私はほとんど医者にかかる事はないけれど、自分が必要だと思えば、それなりに自分で医者や薬を選んで、医療を利用するでしょう。決めるのは私です。私の決定をサービスとして提供するのが医者の仕事です。もちろん、ここまで言えるのは私に少しは医学上の知識があるから、ということはあるでしょう。誰にでもできると言う訳でもないかも知れません。が、少なくとも、患者は客で、医者は医療と言うサービスを提供する職人でしかありません。・・こんな亊言うから私は嫌われるんですよねえ。わかってま。