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テーマ:家族(111)
カテゴリ:メンズカウンセリング
明日も某県の男女共同参画センターにニキの冥福を祈りにいきます。ニキ・ド・サンファールの作「女神ナナ」に会いにいきます。 ニキは暴力的、攻撃的なアートの傍ら力強い女性の象徴としての女神ナナを創ります。そんなニキの男性性に私の女性性がシンクロします。 人はだれももともとは両性的な存在で、片方だけしか生きられない現実は多くの人に不全感をもたらすのでは無いか、と思います。 おばさんみたいなおじさんとして生きる私はとても生き易いし、性役割にしばられて苦悩することもありません。 多くの女も男も、それぞれの性に与えられた役割を学びその役割のままに生きる事を善として身につけます。それ以外の人生を捨てる事を学びます。 ボーボワールが、女は女に生まれない、女に育てられる、と喝破したごとく、男もまた男にうまれるのではなく、男に育てられるのです。 女が自由に生きていけるように世界は様々な歴史を刻みました。けれど、男が自由に生きていくために歴史は刻まれてはいません。 男のための講座も、男のためのシェルターも、男のための相談所も、ほとんど皆無です。 私は男性運動の中で日本で先駆的に男のための支援の仕組みを模索してきました。コミュニケーション講座、電話相談、非暴力ワーク、メンズカウンセリング、などなど。 男が権力や経済力あるいは暴力で弱者を支配することなく、対等で自由な人間関係を作るための、そんな男の新しい生き方を模索し、モデルを提示してきました。 その私の男のための援助論(当然女性のためにもなる)をペースに電話相談のワーカー養成を行ってきました。その機会を与え続けてくれた某県の男女共同参画センターには、その先見性を高く評価したいと思います。 その先見性はニキのナナの設置に象徴されているように思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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