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カテゴリ:メンズカウンセリング
メンズカウンセリングと称してジェンダーに関わるカウンセリングを行なっているのは、おそらく私が我が国では初めてだろうと思うし、今の所私以外にメンズカウンセリングをやっているという人の存在はしりません。
メンズカウンセリングと言ってますが、男性の行なうカウンセリング、という意味でも、男性のためのカウンセリングと言う意味でもありません。男性論に基づいたカウンセリングという意味です。男性が行なうカウンセリングは従来からあるし、単に男性のためというなら、女性を排除すればいいと言う事になりますが、そんなものでもありません。 メンズと名付けるにはそれに先立つ、ウイメンズという言葉の理解が必要かもしれません。ウイメンズカウンセリング、あるいはフェミニストカウンセリングというカウンセリングが80年代頃から普及してきます。それは、従来のカウンセリングに対して、女性が抑圧される社会構造に対する問題意識を持って、女性のカウンセリングを行なうというものです。 個別の悩みも全て女の苦悩は男性支配の構造からきているという立場に立ちます。従って、すべての男は抑圧者であり、女は被抑圧者なのです。すべて女は抑圧される存在だからカウンセラーもクライアントも対等な立場にたってカウンセリングを行なえる、というのが本意でしょうか。 しかしながらこの文脈で理解するとカウンセリングというにはどうしても矛盾が出てきます。カウンセリングはそもそも、カウンセラーの価値観でクライアントを「見る」のではなく、クライアントの語りに無条件に傾聴し、共感するものなのだから、個別には女性の抑圧性を女性クライアント自身が語ったときには、不一致が必ずおこります。 またカウンセラー自身の抑圧性にも気付いた上でクライアントに向き合う事でかろうじて、カウンセラーとクライアントが対等な立場に立てるけれど、共に被抑圧存在でしか無いと自己規定した途端に自身の抑圧性、加害者性はたちまち隠ぺいされてしまいますから、クライアントに対して無自覚的な抑圧者になってしまいます。 少なくとも、この単純な二点を考えるだけでも、フェミニストカウンセリングはカウンセリングとしては機能しにくいと言う事が言えると思います。 ジェンダーや社会の抑圧構造に対しての理解、またクライアントとカウンセラーは対等な存在であるという自覚を理解した上で、なおフェミニストカウンセリングのような不一致にならないカウンセリングとして私はメンズカウンセリングを称しています。 フェミニストカウンセリングとメンズカウンセリングの大きな違いは、1、カウンセリングは社会(マクロ)に行なうのでは無くあくまで個人(ミクロ)に行なうものだから、必ずしも男が抑圧者としては規定できない。2、人は一人の個人の中に加害者性も、被害者性も存在する、両義的な存在である。という二点です。 これは、カウンセラー自身がクライアントを抑圧する可能性があると言う自覚にもつながるし、女性の中の暴力性や加害者性も受容する事を可能とすることもできます。すなわち被害者とクライアントをラベリングせずにあるがままのクライアントの語りに傾聴する事ができ、不一致にはなりにくくなりますし、二次被害を与える可能性も低くなります。 カウンセラーはクライアントの真実をクライアント自身が自己受容するためのクライアントの自己像を映す鏡だとしたら、あるがままを写せる鏡でなくてはなりません。カウンセラーの価値観とどれだけ異なるクライアントの姿だとしても。 自分を支えるのが男に対する怒りであっても愛であっても、それはクライアントの人生としてクライアントがきめるべきでしょう。自己決定のない人生は自分の人生では無いのだとしたら。 私はこんな考え方で日々カウンセリングを行なっていますが、クライアントの四割は女性ですし、私の女性クライアントが大きなトラブルに巻き込まれたということはありませんし、男性クライアントが事件を起こした事もありません。 そのうち、メンズカウンセリングを認定制にしたいと思っていますが、メンズカウンセリングに興味のある方、メンズカウンセリング講座にご参加下さいね。ある程度の参加と養われた実力をもって、メンズカウンセリング認定カウンセラーとして認定したいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/03/12 02:24:49 AM
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