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カテゴリ:日記
私は子ども時代を振り返るワークをした時に、長屋の社宅の自宅の風景やら、母親との分離のときの風景やらをありありと思い出します。今に比べればはるかに貧しく、安全とも言いがたい生育環境でした。
私はたくさんの野良犬と戯れたり、近所の仲間といつまでも遊びほうけていました。テレビもゲームもない時代です。小学生の頃から毎朝の新聞配達をしわずかな小銭を得ていました。 大変な時代だけれど振り返って感じるのは、自由であった事、自分でいられた事です。兄からはしばしば暴力を受けはしたけれど、私は自由な時間をふんだんに楽しんでいたように思います。 けれど、今、いろんな方のお話を聞かせてもらうたびに、今の子どもたちには自由な時間が極端に少なく、安全のため将来のためと言われて常に管理され強制される時間を生きているように思えてなりません。 生育の中で自身の存在に対して絶対的な信頼感を獲得する事ができず、常に他者の評価に依存する心理的な問題を抱えた存在として成長してしまいます。そう言う人は他者の評価が得られないとき様々な心の病や対人関係上の問題を引き起こしてしまいます。 子どもの幸せを願うなら、成績とか学歴ではなく、人生の基礎としての自己信頼感をしっかり育ててあげてほしいもの。自身の欲求や好奇心を抑圧せず自己判断自己決定し自己責任のとれる、当たり前の人に育ててほしいものです。 「何があっても大丈夫、しっかり遊んできなさいね」と言える親は今どこにもいないのじゃないかな。幸い私の親は、勉強もせず、教師と対立ばかりしていた私を管理する事もなければ、自由を奪う事もしませんでした。 社会適応不全の私が今こうして、金も仕事もないのに安楽な日々を暮らせているのは親の与えてくれた自由のおかげと今更ながら親に感謝する次第。そして今の子どもたちを思うと胸が痛みます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2008/10/21 02:23:56 AM
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