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カテゴリ:DV
DVの分離強化が進み、DVが減ったという話は聞きません。被害者支援の現場でも、本質的な解決にならない支援に疲れ果てているとの声も聞きます。そして何より、一方的に進められる法的対応がたくさんの悲劇を生んでいる現実があります。
ここ数日、何件か、痛ましい相談を続けて受けました。罪刑法定主義、証拠主義、疑わしきは被告人の利益に、といった、近代の司法の大前提が少なくとも、DVに関しては崩れていて魔女裁判に成り果てています。 DVは申告によって立件されますが、法の中に公正中立な判断があるとは思えません。保護命令は簡単な審尋だけで出されてしまいますし、いきなり自宅退去となれば、証拠保全もできません。いわゆる被害者の申し立てが虚偽であってもそれを証明する事ができません。 少なからずの親が互いに話し合う事も子どもに会う事もできなくなってしまいます。子どもの福祉のために客観的に証拠に基づいて判断すべきですが、証拠提出もままならず、被害者の一方的な主張がまかり通ってしまいます。 勿論、女性が子どもを奪われることも少なくないのですが、いずれにしても子どもの福祉や人権などほとんど無視されてしまいます。とったもん勝ち逃げたもん勝ち、の無法状態と言っても過言ではありません。そこに弁護士が関わっているから、なおさらのこと、不信感がつのってしまいます。 勿論すべての判事が弁護士がという訳ではないでしょうが、いまの法曹界のレベルや法的制度的現実では、そういう言い方をしてもさほど間違いではない、という悲しい現実があります。 問題をたくさんかかえた親が無理矢理子どもを相手の親から引きはがして、親子の間を断ち切っても、司法は黙認です。よほどの事がない限りは。ただしよほどの事があっても行政も警察もDVというだけで相手方の情報はいっさい流しませんから、相手方はその事すら知る事ができないということもありえます。 事件や悲劇が起こってからでは遅いのに、それすらも責任はうやむやにされてしまうのが今の法律です。 こういう悲劇をなくすには、加害・被害を超えた冷静な援助が必要ですし、当事者の不安や怒りをあおる言説はやめ、被害者や子どもの最大の利益のための援助がなされるべきでしょう。そのためには、被害者支援が支援者の語るストーリーによって進められるのではなく、当事者の願いと語りにより導かれる新たな物語によって支援の方策が決められるべきでしょう。 ただ、こういった問題は法的制度的に問題があるけれど、それは市民一人一人の責任に還元される事であり、市民が無関心であったが故の現在です。少なくとも事実を知った当事者にはその事をちゃんと世間に伝えてほしいとの思いがあります。 いつまで痛ましい相談を聞かなくてはならないのか・・・・、ほんとに胸が痛みます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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