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カテゴリ:メンズカウンセリング
今日はセルフカウンセリング講座全十回の最終回。カウンセリングのロールプレイにあたるような、ナラティブスタイルでのセッションを行いました。
役割を演じるのではなく、あるがままの感情や意志で対話して行くことのスリルをギャラリーの立場の人は感じたようです。そのスリルはギャラリーの心を刺激し、感情を引き出します。 対面のセッションの途中でギャラリーが思わず会話に入りだしたり、シェアリングで自身の体験や思いが溢れ出たり、とまあ、リアルな対話では当事者の感情に基づいた言葉が出てきます。 実際のカウンセリングでは何が出てくるかわかりません。それは日常の対話も実は同じ。ある程度自身の感情に任せて話しができる場合は、いろんなものが出てきますが、ややもするとそれは誤解や対立の原因にもなりやすいようです。 これはカウンセリングでも同じ。クライアントらしい発言を求めるカウンセラーの場合は定型的な対話になるかもしれないけれど、自由な対話を引き出せるカウンセラーであれば、何が出てくるかわかりません。その出て来たものがそのクライアントの真実であれば、それをカウンセラーはあるがまま受容し、その事で起こる心の動きをクライアントが傷つかないように伝えつつ、クライアントに返して行く、この連続作業の中で物語が生まれ、クライアントは新たな自己像や新たな選択肢を獲得する事が可能となります。 カウンセラーは様々な技法や知識を持っている事、それを行使する事そのものは、特に禁止されるべき事とは思いませんが、それらは無意識に用いればたちまち、セラピーにおける権力構造を補強するパーツになってしまいます。 それらに頼らずクライアントとの対話を紡ぐ中でクライアントの自尊感情を高め、クライアントの人生の語り直しを促す事ができる、それがナラティブセラピーというものでしょう。それはとても大きな可能性を持つセラピーではありますが、カウンセラーはクライアントの世界に入りともに語り合うのですから、共犯者にもなれば巻き込まれて苦しくなる可能性も出てきます。 そう言った意味でカウンセラーにとってはとても困難なセラピーかも知れません。今日のセッションでギャラリーであつた受講者は勿論、対面で対話してくださった受講者も感情が引き出され、思いが様々にゆれ動いたとしたら、その動かされたことそのものが、ナラティブのありようと言えなくもありませんが、そのことでナラティブの雰囲気を感じ取って下さっていれば、きょうの講座も有終の美を飾ったと言えるのかもしれません。 またこの講座秋から再開ということで、終了いたしました。参加いただいたみなさんありがとうございました。お疲れさまでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009/07/11 01:53:25 AM
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