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テーマ:心の病(7503)
カテゴリ:日記
ワークや講座であるいは職場での人間関係で人の好き嫌いの感情が起こる事はごく自然な事で、カウンセリングの場でも転移とか逆転移とかいう心理状況になることはしばしば議論される事です。
人の感情に善悪はありませんが、それは快・不快や憎悪に到ったりもする厄介なものです。私自身嫉妬に苦しんだ事もありますが、相手の行為に問題があるのではなく、自分の嫉妬心が問題であることは理解しているので、相手に自分の欲求をぶつける事はせずに済みました。 もちろんそれは自分にとって苦渋の選択ではあるけれど、その選択は自分の尊厳を保つにはとてもいい選択だったように思います。あのとき自分の嫉妬を相手にぶつけていたら自身の尊厳どころか、修羅場は大惨事にもなりかねませんでしたから。 私は自身の嫉妬は相手にぶつけない、相手の自由にまかせるという選択をしてきました。それでなんとか問題の拡大を防いで来たように思います。けれど、私が嫉妬の対象になった時、相手は私の自由は認めてくれないどころか、しばしば感情的に攻撃されたり、理不尽な要求をぶつけられたりということもあります。 相手が嫉妬妄想にかられていると自覚している場合もあれば、無意識的に嫉妬心が働いている場合もあるようです。いずれにしてもそんな相手にいくら理屈で説明してもそれは妄想を膨らませるだけになりかねません。 嫉妬妄想に苛まれる苦しさは私も体験していますからよくわかります。が、妄想はその人の心の中のできごとでしかありません。嫉妬のおこる理由(相手のことではなく自分の)を自分で考え、自分の嫉妬に到る認知を変えるしかありません。人は人の心を縛る事はできないのだから。 もし人が人を愛することがあるなら、愛する人を縛るのはそれは愛ではないでしょう。結局愛されない自分を自分でどこまでも愛してあげるしかないのかもしれません。私はそうやって嫉妬妄想から自由になりました。それゆえの自己愛性格かもしれませんねえ。(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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