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カテゴリ:日記
このごろつくづく思います。世界は言語によって作られるけれど言語はその人の体験によって意味付けられているから、体験の異なる者が語り合う事のなんと難しい事か。所詮世界はその人の価値観の投影にしかすぎない、と理解している私は、わかりあえなくて当たり前、という思いもあります。
というか、私は昔から感じ方、思考様式、対人関係の取り方が、どうもフツーの人とは異なるようで、社会のシステムには乗れないようです。私は人には理解されにくいパーソナリテイーを持っているようだっていうのは、子どもの頃に感じていました。 ですから、そんなパーソナリテイーとして生きて行く中で、私は理解されない事に対して、耐性を持っています。それは、理解されない事で苦悩するクライアントにカウンセラーとして共感すると言う意味においては、また社会の中で独自の価値観やライフスタイルを創造すると言う意味においても、それはプラスに作用します。 けれど対人関係と言う意味では、かなりマイナスに作用します。特に日本のように協調性、統一性を重んじる価値観の人間関係では、理解しあえない存在になってしまう私は、理解しあえていないことにさほど違和感はないけれど、周りの人は困難を感じてしまうようです。その困難は感情的対立や不信につながってしまいます。 ずっと昔の事だけれど、こどもの学校との関わりや地域社会との関わりなど、その不信や対立をさけるために深入りは避けていました。地域社会に対するスタンスはいまも変りません。同じ価値観を持つ地域の人々はそれぞれの投影する世界も同じようなものだから、それはそれで、社会として回って行くのでしょう。 さあ、これからの世界はどうなるのでしょうねえ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
私も、世間でいう常識人、フツーの社会人に当てはまらないでしょうね(笑) みんな同じ、ひとと異なることに不安がる傾向が強いと、 みんな同じにしたがるのでしょう、変わったものを排除しがちです。 反乱を恐れて抑圧する構造で育つ子供の将来のほうが 怖いと思いませんか? 心からひとそれぞれ独特でええじゃないか。 ひとに言われようが、変わり者で生きたいですね(爆笑) 自分と違った考え方、生き方を参考にできる「謙虚さ」を見失わないようにしたいものです。 今日も、どこかで、自分の筋書きに沿ったカウンセリング、支援がされています。 そんなことに気付けるのも、体制になびかない変わり者の利点でしょう。 さて、今日もぼちぼち始めますか。 あらぬ非難、攻撃、批評は、人の数ほど降りやまないのでしょうね。 わざわざ濡れる必要もなし、止むまで放置するもよしでしょう。 ただ、世間が他罰的習癖を帯びているのは、間違えないでしょうね(笑) 自分でやるべきこと、やりたいことに励みたいですね。 (2009/07/29 09:34:23 AM)
人と違っている、その意味はたぶん社会の認知から降りているということでしょうね。
そのことは幸いです。例えば、私はその認知の故、DV加害者となり、その鎧を脱ぐのに、17年もかかったわけですから。 はじめから、認知が脱げている、鎧を着ていない味さんが、他ならぬカウンセリングという援助している。 その意味で、今の味さんは、「認知を脱いで、自己一致したら、楽なんだよ~。ここにおいで~」と言うばかりです。それでは援助と言えないと私は思います。 認知の鎧が脱げているのなら、ハーレーン・アンダーソンの言う「無知」のポジションにすぐ立てるでしょう。 その次です。アンダーソンの言うような「セラピー的質問」が味さんから発せられることはない。「あなたがその病気にかかってどのくらいですか?」という質問が。 曰く「○○はね、問題を抱えているんだよ~」「あなたの問題なんだ」「母親は拒否するんだ」云々 私はなぜ援助をされているのかを問いたい 認知を降りている、到達すべきモデルとしての味さんではなく、 その人の人生の「専門家」であるクライアントに、「無知」で向き合い、何とかその人の苦しみを理解しようとし、 そのために「セラピー的質問」が思わず発っせられ、 共に苦しみ、あらゆる手を使い、その人の抱えている今の問題を解消するために身悶えする それこそが私に教えていただいたことではなかったのですか? (2009/07/29 10:38:51 AM)
難しい議題ですねぇ~。。。でもザックリ考えれば今の私にピッタシの案件だとも思えてなりません。私は東京の下町文化にこのお調子者の性格でとけ込んでいたのですが、あることがキッカケとなり8年の付き合いから見放されてしまいました。この深い内容を書くとワープロA4用紙に11ポイントのフォントで10枚くらいになりそうなので書くことはできませんが、「東京の一個残し」のエエカッコシイ江戸文化は異邦人にはとてもとても往きにくい世界です。私は異邦人の自分を強調しちゃったので、独りぽっちになっちまいました。
まぁその分、プライベートのお付き合いは土日で同じ趣味を持ついわば異邦人の集まりである仲間達との交流でストレスの発散としています。 平日の孤独に耐えて異邦人を選ぶか、協調性を重視して江戸文化にとけ込むか、正直なところ、私は協調性があったらよかったなぁと思っています。できないんですけどね・・・。 サラリーマン上でもそれはやはり関係していて、6割方は巧くこなしていますが、残りの4割で壁にぶち当たり逃げ出したくなります。でも暮らす為に辞めるわけにはいかないのですが。こちらも日々色々と葛藤続きですわ~。常識人の世界は往きづらい人種が異邦人なんですね~。 (2009/07/29 11:17:41 AM)
タウリンさん
的を得たことをおっしゃってくださいました 「私は異邦人の自分を強調しちゃったので、独りぽっちになっちまいました。 正直なところ、私は協調性があったらよかったなぁと思っています。できないんですけどね・・・。」 これってまさに味さんではないですか? でもきっと味さんは『私は孤独は感じないけどね~。神とつながっているからね~』と言うことでしょう。 でも援助とは「壁にぶち当たり逃げ出したくなります。でも暮らす為に辞めるわけにはいかない」ような「葛藤」を受け止めて、ともに葛藤することから始まるのではないのでしょうか? 『わたしは大丈夫~』と言われて、味さんすごいと思えたのは最初だけ。それだけなんだもの。 (2009/07/29 12:58:45 PM)
こんにちは。また、ありきたりなコメントで恥ずかしいのですが、
私も味さんには到底かなわないけど、世間基準から外れた価値観を持っている部分があります。ただ私の場合、「仕方が無いな」と思える範囲内を設定して、世間基準並の人たち合わさざるを得ないと考えて、そうしていますねえ、日ごろ。合わさないと、相手にストレスを与えたり、傷つけたりする場合もあるのですからね。もちろん、そんなつもりはないのですが。しゃあない、と考えてしまうのです、私は。まあ、なんとも度胸の無い話です。 せやし、世間基準を当然と考えている人に対しては、あえて深くはかかわらない、とするのが一番かな、と考えています、とはいえ、親兄弟の場合はそうもいかず難しいのですけど。 ところで、おおさわさん。なかなか、厳しい指摘で、なんとも私はコメントしようがありませんが、ここのところ 援助とは「壁にぶち当たり逃げ出したくなります。でも暮らす為に辞めるわけにはいかない」ような「葛藤」を受け止めて、ともに葛藤することから始まるのではないのでしょうか? 本当にそうですねえ。私はもっと気楽な立場ですけど、そうだと確信します。ある労働問題や人権問題にセンシティヴなはずのフェミニストの男学者が「それでも、オレは家族を養わなければいけない」との多くの男の葛藤を「アホクサ、オレはそんな心境を突き抜けているんだ」と得意げに一蹴していたのを聞いたことがありました、自分は家族を養っていない立場でありながら・・・。これは怖いことですね。私たちも気をつけたいものです。 (2009/07/29 01:27:32 PM)
さくら海老☆”さん
>私も、世間でいう常識人、フツーの社会人に当てはまらないでしょうね(笑) そうですよねー、世間の枠にははまりきらない何かがありますよねえ。 >反乱を恐れて抑圧する構造で育つ子供の将来のほうが >怖いと思いませんか? もちろんです、抑圧された者は抑圧する人に育ちますからねえ。 > >心からひとそれぞれ独特でええじゃないか。 >ひとに言われようが、変わり者で生きたいですね(爆笑) そう、自分自身であることが変わり者なら、喜んで変わり者でいたいです。 >自分と違った考え方、生き方を参考にできる「謙虚さ」を見失わないようにしたいものです。 そうなんです、自と他の違い、それぞれの思いや体験に敬意を感じていたい私です。 > >今日も、どこかで、自分の筋書きに沿ったカウンセリング、支援がされています。 そうですね、支援のための支援、筋書きの書かれたカウンセリングがまかり通っています。 >そんなことに気付けるのも、体制になびかない変わり者の利点でしょう。 おっしゃるとおり、体制とは異なる価値観で自身を支える力があればこそですよね。ありがとうございます。 > >さて、今日もぼちぼち始めますか。 >あらぬ非難、攻撃、批評は、人の数ほど降りやまないのでしょうね。 >わざわざ濡れる必要もなし、止むまで放置するもよしでしょう。 > >ただ、世間が他罰的習癖を帯びているのは、間違えないでしょうね(笑) >自分でやるべきこと、やりたいことに励みたいですね。 ----- (2009/07/29 09:54:57 PM)
おおさわさん
おおさわさんの熱い思いは伝わってきますが、私の一部分だけ切り取られて、ああだこうだ言われてもねぇ。 またみんなと一緒に話し合えたらと思います。 (2009/07/29 09:59:03 PM)
じゃふぁれくさん
>おおさわさんの熱い思いは伝わってきますが、私の一部分だけ切り取られて、ああだこうだ言われてもねぇ。 おっしゃるとおりですねぇ 失礼いたしました。 (2009/07/29 10:03:12 PM)
タウリンさん
>私は異邦人の自分を強調しちゃったので、独りぽっちになっちまいました。 ええっタウリンがひとりぽっちぃ、しんじらんない。 >まぁその分、プライベートのお付き合いは土日で同じ趣味を持ついわば異邦人の集まりである仲間達との交流でストレスの発散としています。 ああそうか、プライベートは異邦人仲間がいて楽しめるんですね。それならなっとく。 >平日の孤独に耐えて異邦人を選ぶか、協調性を重視して江戸文化にとけ込むか、正直なところ、私は協調性があったらよかったなぁと思っています。できないんですけどね・・・。 ははは、タウリンは異邦人だからパワフルだし魅力があるんだすよ。タウリンはタウリンでいいっすよー。 >サラリーマン上でもそれはやはり関係していて、6割方は巧くこなしていますが、残りの4割で壁にぶち当たり逃げ出したくなります。 さすがですねー、六割もこなせるなんて。 >でも暮らす為に辞めるわけにはいかないのですが。こちらも日々色々と葛藤続きですわ~。常識人の世界は往きづらい人種が異邦人なんですね~。 お疲れさまー。またいつかおしゃべりしましょうねー。異邦人どおし、たのしくねー。 ----- (2009/07/29 10:09:51 PM)
今晩は。文章下手なんですがまたお邪魔しました。
私も異邦人です。ちょっと世間の考え方とは違うと思います。世間と言うより日本人になりきれないのかな?と最近はそう思うようになってきました。 なので、グループや、組織の中に入るとたちまちに弱ってしまします・・・時には腐ってしまいます。 小さいときから自分の考えを言うとガツン!!と頭を打たれる。私は異邦人なので懲りずにまた言う・・・またガツン!!打たれる。 打たれたくないから自分のことを言わなくなったらガツン!!は無くなったけれどそれと一緒に自分もいなくなった。 だけど最近やけに心が動きます。動けば動くほど今までいなくなっていた自分が戻ってくるような感じがしてます。おそらく自分で封印してしまった“変わり者”の血が目覚めはじめたのでしょう。 “変わり者”だからこそ、理解されない事で苦悩する人の気持ちや、世間の常識の落とし穴にも気付く力が少なくとも常識人よりはあると思っています。 “変わり者”より“異邦人”の方が良いですね。 どこにも属さないっていう感じがします。 何かやっぱり変な文章になってしまいました(+ +) (2009/07/30 12:55:34 AM)
ぶち犬さん
>今晩は。文章下手なんですがまたお邪魔しました。 こんばんわ、ご訪問ありがとうございます。 > >私も異邦人です。ちょっと世間の考え方とは違うと思います。世間と言うより日本人になりきれないのかな?と最近はそう思うようになってきました。 ああ、私も、前世はイタリア人だったのではないかと思うくらい、日本、特に関西に違和感を感じています。 >なので、グループや、組織の中に入るとたちまちに弱ってしまします・・・時には腐ってしまいます。 そうそう、一般社会では生きて行けないすよねえ。 > >小さいときから自分の考えを言うとガツン!!と頭を打たれる。私は異邦人なので懲りずにまた言う・・・またガツン!!打たれる。 ああ、思い出します。やられました。ぶち犬さんもこりずに言ったんですねえ。仲間がいるようで嬉しいです。 >打たれたくないから自分のことを言わなくなったらガツン!!は無くなったけれどそれと一緒に自分もいなくなった。 そうなっちまいますよねえ。私は言わなくなった時はアルコールで自分を消してましたよ。 > >だけど最近やけに心が動きます。動けば動くほど今までいなくなっていた自分が戻ってくるような感じがしてます。おそらく自分で封印してしまった“変わり者”の血が目覚めはじめたのでしょう。 ああ、素敵です。心動かせて変わり者の血をめぐらせてくださいな。 > >“変わり者”だからこそ、理解されない事で苦悩する人の気持ちや、世間の常識の落とし穴にも気付く力が少なくとも常識人よりはあると思っています。 おっしゃる通り、変わり者、異邦人の意味は重要ですよね。そんな存在として、声を上げて行きたい私です。 ありがとう。 > >何かやっぱり変な文章になってしまいました(+ +) はい、素敵に変です。 ----- (2009/07/30 02:05:38 AM) |
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