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カテゴリ:メンズカウンセリング
先日の学歴妄想だけではないけれど、インフルエンザ妄想、通り魔殺人妄想、などの集団妄想てんこもりの現代日本。これらはマスコミが振りまく不安によって引き起こされる集団ヒステリーの親戚のようなものかも。 インフルエンザで死ぬ人も少しはいるかも知れません。通り魔や押し込み強盗に殺される人がいるのも事実。けれどわずかな人数、宝くじに当たるよりも少ないはず。 少なくとも交通事故なら毎日二十人くらいは死んでるし自殺なら、毎日百人近く死んでるから、心配するならこっちを心配すべきでしよう。けれど、交通事故にあうのが怖いから、車には乗りませんという人は少ないし、自殺してほしくないから、ひどい会社をやめてもらいます、と言う人もあまりいません。 よーするに人々の不安に基づいた行動にはあまり根拠がなく、リスクマネジメントからはほとんど無意味な行為でしかないでしょう。ではなぜ行うのか、ねこじゃらしにとびつく猫のようなもの、と私は見ています。 人は情報に引きつけられるという性質があるようです。さらにその情報から意味を見いだそうとします。これは遺伝プログラムに学習効果が加えられた反応でしょう。こんな人のもつねこじゃらし反応をうまく利用して、経済的利益を得ることのできる人たちもいるでしょう。 人々が安心して何もしないより、不安に駆られて何かする事で確実に経済は大きくなります。隣が普通車ならうちが軽というのはみっともない、とか、あの人が短大なら、うちはできれば四大に、とか、マスコミを通じてあおられた不安、もしくは優越感に駆り立てられて、経済行為をする。不安は際限なくあおられるから行為に終結はあり得ません。 ここまでなら、まだあおられる人のバカさ加減を笑っていればいいだけの事だけれど、問題はそんなに簡単ではありません。不安や欠乏感をあおられる多くの人たちは常にフラストレーションを抱え、それは潜在的な怒りを内包します。 この怒りは弱者やマイノリティーに向けられます。また社会規範を逸脱した人や犯罪者とラベリングされた者にも向かいます。社会に抑圧され不条理な人生を余儀なくされた者にとって抑圧する社会はリベンジの対象でしかあり得ません。 極端な事を言えば、車に乗りハンバーガーを食らうアメリカ兵に家族をなぶり殺しにされた貧しいアフガンの農民にすれば、個々のアメリカ人という意味はありません。アメリカ人に対して爆弾抱えて突っ込む事が正義でなくてなんでしょう。 、親に受け入れられずに育った宅間氏は学歴コンプレックスを肥大させ精神科医に処置入院させられて人を信頼しなくなります。彼はリベンジの方法に池田小を選びますが、彼にはそれは必然です。誰でもいいのではなく、池田に象徴される学歴エリートの系譜でしょう。 数年後に秋葉原事件を起こした彼は宅間氏の事件を受け継ぎます。池田の命日に宅間氏の陳述に基づいて犯行を決定します。が、リベンジの対象は秋葉でチャラチャラしている連中です。彼も大きな挫折感を育てています。 善悪をわきまえないおかしな人間がそんな事件を起こすのだから、そんなやつは早く死刑にすればいい、としか世間は考えません。誰もが持つ人の心の闇に光を当てようとか、自分もまた誰かを抑圧しているのではないか、と自省する事もありません。 携帯GPSを子どもに持たせてしっかり塾に通わせても、何の解決にもならなかったとわかるのは子どもが交通事故にあったり、父親が自殺したり、子どもが心病んでしまったりした時でしょうか。 自分の人生に何がほんとに必用なのか、自分の人生の意味は何なのか、ぎりぎりまで追いつめられないと人は何もわからずに終わってしまうのでしようか。少なくともテロリストにはその迷いはないのかも知れません。自分の命の意味も死の意味も理解しているのだから。 そしてそんなテロリストを育てるのは、恵まれた私たちの不安に基づいた差別意識でしょうか。テロリストにテロをやめさせるには彼らから別の人生の意味を見いだすチャンスを奪わない事、リベンジしか意味が無くなるような暴力を弱者に加えない事、でしょうか。 テロリストも私たちも不安や怒りと言う心の闇を共有しています。あちらとこちらであるいは善と悪で線引きできるものではありません。 暴力やテロと言う問題の本質は、私たちが人として大切なものを失ったと言う事かも知れません。すべてのひとりひとりを大切にし、みんなで育ちあう、ともにある事の意味を私たちが忘れてしまったということなんでしょう。 この事に多くの人が気付く事ができるのか、できないまま人類の荒廃にすむのか、いったいあなたには、そして私には何ができるのでしよう。 数年前になくなった敬愛するニキ・ド・サンファールは「テロリストになる代わりにアーティストになった」と言ってたけれど、私も社会に対するリベンジは私の存在動機です。ただしテロリストと違って、暴力は使いません。非暴力と愛でしょうか。媒体は違うけれど、心はニキとおんなじかも。 ああ、今日は禅問答になってしまったのかも知れませんねえ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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