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カテゴリ:日記
昔々、あるフェミニストは言いました、男は男であると言うだけで抑圧者なのです。一見正論ですが、なんか違うなあ、という実感が拭えない私でした。
様々な統計でそれを説明することは可能です。けれどそれはどうも数字のマジックの様だ、とも感じていました。 今、援助の現場で実感するのはその言説は本質とはかけ離れたレトリックにすぎないと言う事。母親に絞め殺される男児が抑圧者であるはずがないし、ラーメンをすすっている高収入の夫が、昼間のバイキングレストランでお友達と毎日お喋りしている専業主婦より生活が豊かなはずがない。 毎日三百人くらいが自殺するその七割以上が男と言う現実の中で、男が女を抑圧していると単純に考えられるのはよほどの世間知らずか、お人好しでしよう。 フェミニストの言説でズッポリと抜け落ちいてるのは女の加害者性と女による抑圧でしょう。男性支配の社会であるということは否定しませんが、それは超マクロな視点でしかなくて、視点をミクロにズームする程、女と男と相互に抑圧し加害・被害入り乱れていると言う現実が見えてきます。 誰のおかげでメシが食えてるのだ、との男の言葉の裏には「妻子を養ってやれる立派な男」というジェンダー依存の男の哀れな姿が見えてきますが、そのジェンダー依存的心理をくすぐりつつ女たちは婚活し、期待にそぐわなければあっさり離婚します。 ほんとあわれな男たちです。私は若い人に簡単に結婚おめでとうなんて言えません。特に男性には。現代日本の結婚生活は圧倒的に男に不利です。その不利を担保するだけの力が男にあるいはパートナーにあるのか、相互信頼があるのか、など確認もなしに結婚するなんて、大ばくちです。 とはいうものの、私は若気の至りというか勢いで結婚したからえらそなことは言えません。けれど、パートナーを養ってやるとは一言も言わなかった事、いやなら離婚もかまわない、と言ってること、これは正解だつたと思います。パートナーを抑圧する事もされることもなかったし、パートナーを経済依存にしなくてすみました。 女が嫌な男には離婚を突きつけるように(今は離婚の申し立ては圧等的に女から)男もいやならさっさと離婚を突きつければいいのです。幸せな結婚は相互信頼であり相互依存は幸せとは言えません。 ランチでおしゃべりする妻のために残業なんかすべきではありません。働くのはほどほどにし、妻にもしっかり働いてもらえばいいのです。その分男が家事労働を引き受けるのは当然の事。 じつはこうした考えは欧米先進国ではごく当たり前なんですが、日本では非常識のようです。妻を養い家族を支える立派な男、という言葉に洗脳され続けている哀れな日本男児、傷つき抑圧される日本の男、その現実を直視してみたらどうかな。 こんどの秋の男性学会議では、そのあたりの事をMAYUさんがしっかり語ってくださいます。おんなに傷つけられる男が実はすくなくないのだと。 |
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